一律残業禁止に潜む「危険」 重要になる「時間によらない働き方」のルール

日経ビジネスオンラインに5月19日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/051800044/

残業時間が企業を選ぶ「尺度」に

 厚生労働省が大企業に対して従業員の残業時間の公表を義務付ける方針を固めたという。日本経済新聞が報じた。2020年をメドに、月平均の残業時間を年1回開示するよう求められ、従わない場合、罰則も設けるとしている。同省の労働政策審議会で具体的な制度を詰める。残業時間の実態を公表することで、「世の中の目」を企業が意識せざるを得なくなり、長時間労働の是正に結び付く、という考え方だ。長時間残業が常態化している企業が「見える化」されることで、働き手が就職先として企業を選ぶ場合のひとつの尺度になっていく可能性もある。

 安倍晋三内閣が「働き方改革」を掲げて以降、長時間労働の是正が1つの柱になり、残業削減の大号令がかかっている。電通の女性新入社員が過労自殺した問題に世の中の関心が集まり、厚生労働省強制捜査を行うなど、これまでにない厳しい姿勢で違法残業の摘発に臨んでいる。

 3月末には政府の働き方改革実現会議(議長・安倍首相)が「働き方改革実行計画」を決定。労使で合意した場合の残業時間の上限を「年間720時間」と定める案を決めた。また、特に忙しい月は特例として「100時間未満」までの残業を容認することとなった。経団連は当初、働き手の自由度が狭まるとして上限規制に抵抗したが、安倍首相が「裁定」する形で、上限設定を決めた。

 「働き方改革実行計画の決定は、日本の働き方を変える改革にとって、歴史的な一歩であると思います。戦後日本の労働法制史上の大改革であるとの評価もありました」

 安倍首相は実行計画の取りまとめを受けて、こう自画自賛している。

 「長時間労働は悪だ」という風潮が強まり、企業などの間では残業時間を規制する動きが広がっている。

 日本KFCホールディングスは4月から、本社と支社に勤務する社員を対象に午後8時以降の残業を原則禁止した。また、フレックス勤務制度を導入し、その制度のなかで勤務可能な時間帯を午前8時から午後8時までとし、残業もこの枠内とした。

 また、川崎市は5月11日から、市職員の午後8時以降の残業を原則として禁止した。従来は「ノー残業デー」を週2日設けてきたが、なかなか守られなかったため、「禁止」とすることで徹底を図る、という。東京都も小池百合子知事の指示で、昨年秋から午後8時以降の残業を原則禁止している。

問題となる「クリエイティブ系」の仕事の扱い

 こうした動きは地方にも広がっている。鹿児島銀行は4月から、午後7時以降の残業を原則禁止したうえ、退社から翌日の出社まで一定時間を空ける勤務間「インターバル制度」を導入した。

 こうした企業の取り組みが広がることは日本人の働き方を大きく変えていくことになるだろう。残業を禁止しても、案外、業務に支障はない、という声も聞く。ひと足早く2016年4月から午後7時以降の残業を原則禁止にした神戸製鋼所の場合、開始前は反発が強かったが、昨年末の調査で7割が「支障なし」と回答したという。

 長年、企業風土として染みついた長時間労働は、そう簡単には是正できないが、こうした一斉「原則禁止」をきっかけに、働き方を見直す動きが広がって来たのも事実だろう。

 そんな中で、今後大きな問題になって来るのが、時間で管理することがそぐわないクリエイティブ系などの仕事の扱いだ。

 現在でも「裁量労働制」という仕組みはある。仕事の成果を時間で計るのではなく、業務内容で評価するというもので、基本的に残業代は支払われない。

 大きく「専門業務型裁量労働」と「企画業務型裁量労働」に分けられている。「専門型」の場合、デザイナーやコピーライター、インテリアコーディネーター、新商品開発といった職種のほか、証券アナリストや弁護士、建築士といった専門職が対象として認められている。また、「企画型」では、「経営企画」「人事・労務」「財務・経理」「広報」「営業企画」「生産企画」が導入可能な職種として法律で定められている。

 ただし、裁量労働制といっても、時間無制限で働けるわけではない。制度導入に当たって「みなし労働時間」を労働基準監督署に届け出ることになっており、「みなし労働時間」を9時間と定めれば、残業代は支払われないものの、1時間は残業時間と捉えられ、残業時間の上限も守らなければならない。深夜残業や休日出勤の制度も適用され、こちらは別途手当が支給される。

 さらに厄介なのは、「裁量」労働制なので、従業員に「裁量」権があることが前提で、会社から具体的な業務・作業について指示・命令ができないことになっているのだ。外部の専門家を使うのに似た感覚でその従業員を使うことが求められるわけだ。

 政府はこの裁量労働制の拡大を進めようとしているが、共産党など左派政党は、残業代を払わずに労働者を酷使することにつながるとして強く反対している。厚生労働省は2015年度に裁量労働で働く人は11万人で全体の0.2%に過ぎないという推計値を公表しているが、実際にはもっと多いのではないかという疑念もある。共産党の求めに応じて厚労省は、今後、労基署に提出された届け出を集計して公表する方針を示している。

 つまり、一方では、裁量労働制が無秩序に拡大し、一般の営業職などにも「みなし労働」が広がっていく危険性を指摘する声があるわけだ。他方、ベンチャー企業の社員やグローバルに競争する金融機関の社員の間には、「上限規制に関係なく思いっきり働きたい」「グローバルに競争するには残業時間規制は邪魔」という声が強まっているのも事実だ。

企業は「時間より成果」を評価

 欧米でも、グローバル企業のホワイトカラー層などは日本のビジネスパーソン以上に猛烈に働いている。そうした働き方に接している個人や、そうした企業と競合している会社の経営者は、今、日本で進んでいく「時間管理」の厳格化への危機感を露わにする人が少なくない。「こんな事をやっていたら日本はどんどん欧米企業に負けてしまう」(ソフトウエア開発会社の会長)というわけだ。

 経済産業省の「『雇用関係によらない働き方』に関する研究会」は今年3月、報告書を公表した。企業と「雇用」関係の中で働く場合、残業規制など労働規制がフルに適用される。一方、「雇用」でなくなり「自営業」となった瞬間、労働規制の保護の対象からは完全に外れてしまう。

 過去にも、実質的には社員同様に工場のラインで働いているにもかかわらず、個人事業主として「請け負い」で働く格好にしていた「偽装請負」などが問題になった。建設現場なども実態は雇用に近いのに個人事業主として仕事を請け負った形で契約する「ひとり親方」などが常に問題になる。今、「フリーランス」と呼ばれる働き方が増えつつあるが、下手をすると何の保障もない「二等社員」のような存在に甘んじなければならないケースもある。

 「自由な働き方」を求める人が増え、企業も「時間よりも成果」で評価するようになる中で、従来の「雇用」の枠にはまらない人たちが確実に増えつつあるのだ。

 こうした状況をふまえて、経済産業省の報告書では、「雇用関係によらず働くためにも、企業(発注者)と対等なパートナーシップを構築することが不可欠であり、取引慣行の健全化と企業の需要喚起に資する取組が必要」としている。また、そうした働き手が円滑に働けるよう環境整備することが重要だとして、「雇用関係にあるか否かで、社会保障・労働法制の面で、差異が生じている現状を踏まえて検討していくことが必要」と指摘している。

 もちろん、多くの職場や職種では、従来型の時間管理は有効で、残業時間などを厳しく制限していくことで、「ワーク・ライフ・バランス」を実現していくことは重要だろう。欧米でも、企業の現場で働くひとたちは、ほとんど残業をせず、長期のバカンスを当然の権利として楽しんでいる。一方で、企業を引っ張るマネジメント部門や、専門性の高い職種では、時間制限の一律強化は逆に生産性を落とすことになりかねない。もちろん、そこには働く人の「自律心」が大事で、企業との対等な関係の中で、自らの働き方を選択していくことが不可欠になる。

 現状の政府の「長時間労働是正」の議論は、前者を想定したものだ。その議論を進めれば進めるほど、後者のような「時間によらない働き方」をどうルール化していくのかが重要になってくる。