東芝の原子力幹部に届いた「直訴状」 政府が優先すべきは原子力技術者の確保だ

日経ビジネスオンラインに6月23日にアップされた原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/238117/062200052/?i_cid=nbpnbo_tp

 経営危機に直面している東芝から、次々と原子力技術者が去っている。「会社」を存続させるため、半導体モリー事業の売却に経営陣や政府が躍起になっている間に、肝心の原子力部門が静かに崩壊を始めているのだ。東芝原子力部門は東京電力福島第1原子力発電所の汚染水処理や廃炉で中心的な役割を担ってきた。そこからの人材流出は、国民の生命に直結する事故処理の大きな支障になりかねない。

 東芝は6月21日、半導体モリー事業の売却交渉で、官民ファンドの産業革新機構を軸とした「日米韓」連合と優先的に交渉すると発表した。同日午前に開いた取締役会で決議した。日米韓連合には、産業革新機構日本政策投資銀行、米投資ファンドベインキャピタル、そして韓国半導体大手のSKハイニックスが加わる。

 報道によると、「日米韓連合」は優先交渉権を得て、東芝半導体モリー子会社を買収するための特定目的会社(SPC)を設立。産業革新機構と政策投資銀行が各3000億円、ベインキャピタルが8500億円を出資するという。ベインキャピタルの出資額のうち4000億円をSKハイニックスが融資、三菱東京UFJ銀行からも5500億円の融資を付けることで、東芝が望んでいる「2兆円」の買収資金を確保する見通しだという。

 事態は流動的だが、東芝は6月28日に開催する定時株主総会までに最終合意し、2018年3月までの売却完了を目指すとしている。

「付け焼き刃」に終始する経済産業省

 日米韓連合の組成には政府・経済産業省の意向が大きく働いた。だが、国が設立して税金も投入されている産業革新機構を使うにもかかわらず、政府は、東芝を建て直すための全体像も、半導体原子力などの産業を今後どうしていくのか、という産業政策も持ち合わせていない。付け焼き刃の対応に終始しているのだ。

 政府が主導して半導体モリー事業の買収受け皿を用意したのは、決して「東芝を守る」ことが目的ではない。もともと経産省東芝問題に尻込みしていた。粉飾決算が表面化して経営陣が入れ替わった後、2016年3月末に医療機器事業を売却したあたりまでは「東芝救済」に動く経産省幹部もいたが、同年末に米原子力事業での巨額損失が発覚すると経産省の動きは止まった。

 もともと、東芝米原子力大手ウエスチングハウスを買収する過程で、経産省幹部が深く関与しており、「経産省の責任」を問われるのを恐れたからだ。買収当時に担当課長だった現職幹部は、東芝について一切口にしなくなった。

 そんな経産省半導体事業の売却について口を出し始めたのには1つのきっかけがあった、と官邸関係者は言う。

半導体技術の海外流出を懸念した経済界

 官邸に菅義偉官房長官を訪ねて、経団連会長の榊原定征東レ最高顧問と、経団連名誉会長の御手洗冨士夫キヤノン会長がやってきたのだという。その際、御手洗氏らが、東芝が潰れれば日本の半導体技術が中国などに流出する、東芝半導体の海外流出を食い止めるべきだ、と直訴した。

 安倍晋三首相ら政府首脳はもともと東芝については火中の栗を拾うつもりはなく、菅氏も関心は薄かったとされるが、御手洗氏らの要請を受けて、半導体を守るよう経産省に指示したという。つまり、東芝半導体の受け皿づくりは経済界の要請に基づいたもので、政府が東芝という会社を今後どうするかまで考えているわけではない、というのだ。

 では東芝の現経営陣は、半導体モリー事業の売却で、東芝の将来像を描けるのかというと、そうではない。「新生東芝」の将来像などは何度も作られ、公表されているが、それで現在の東芝社員の雇用が守られ、企業として成長し、社員の待遇が改善していくのか、と問われると、まったくおぼつかない。

 半導体モリーの「2兆円」という売却額にしても、2兆円で売れなければ残った東芝本体が債務超過を解消できない、という「目先の帳尻合わせ」が動機だ。売却期限を来年3月までに設定したのも、それまでに債務超過が解消されないと東京証券取引所のルールで上場廃止になってしまうからだ。

 もっとも、言われているように、東芝メモリーの協業先である米ウエスタンデジタル(WD)が事業売却に反対しており、国際仲裁裁判所に提訴する事態に発展している。WDとの交渉が円滑に進まなければ、到底、来年3月までに売却するのは不可能で、まだまだ先行き不透明な状態が続く。

 しかし、日本にとって重要な東芝の技術は「半導体」なのだろうか。本当に東芝半導体モリーにはそれだけの技術的な優位性や国際競争力があるのかは、専門家の間でも意見が分かれる。半導体市況は景気に大きく左右される。現在は確かに東芝に残った「稼ぎ頭」かもしれないが、それを維持しようと思えば、将来にわたって巨額の投資を続ける必要がある。波の振幅が大きくリスクが高い事業だ。そうした事業に国が税金を投入することが許されるのか、という議論も別途ある。

 政府が守るとすれば、半導体よりも原子力技術ではないのか。原子力は政府指導で進めてきた事業であるばかりか、福島第1原発事故以降は、国が責任をもって事故処理せざるを得ない事態に直面している。東芝はそれを現場で担っている会社だ。いや、会社を守るというのではなく、そこで働く原子力技術者をきちんと確保することが政府の責任だろう。

中堅の原子力技術者が相次ぎ離職

 ところが、現実は政府の無策が続いている。結果、東芝原子力技術者が静かに会社を去っているのだ。

 この春、東芝原子力事業の幹部の元に、「直訴状」が届いた、という。原子力事業の技術者が書いたもので、実名が明記されていたらしい。そこにはこんなくだりがあった、という。

 「楽観的すぎる将来予測で従業員を惑わせないでほしい。期初方針説明会における今後の原子力の見通しでは、仕事がたくさんあって着実に回復するとの内容だった。肝心のその仕事は、誰がやるのか。その仕事を受けるだけのリソースは確保できるのか。リソースに合った仕事量にして欲しい。将来再び『チャレンジ』が発動されても困る」

 直訴状では、原子力事業の幹部が将来どんな会社にしていくかを明確に語ることができないから、若手社員が将来を悲観して退職していくと指摘していたという。退職者が出れば、その分、残った社員に負担がかかる。「その仕事は誰がやるのか」という指摘は悲鳴のようにも聞こえる。

 『チャレンジ』は言うまでもなく、一連の粉飾決算の過程で、結果を出すことを無理に社員に押し付けていた会社の体質を表す言葉である。

 脱線するが、東芝を退職して他社に転職した人物がしみじみと言っていた。

 「転職先の経営会議で、今期は目標にこれだけ足りませんでした、と報告したら、では来期は頑張ろうと言われて終わった。えっ本当にそれだけでいいの、チャレンジで何としても数字を作れって言わないの、と初めて東芝の異常さに気が付きました」

 そんな社員に無理を強いる体制が、東芝では当たり前になっているというのだ。

 「直訴状」に話を戻そう。その直訴状には、社員が所属していた原子力の技術系の部の人材流出状況がついていた。

 それによると、東芝原子力技術者の採用を再開した2005年以降にその部に入った50人の動向が記載されていた。既に18人が退職、5人が希望して他部門に移籍していた。“離職率”は46%にのぼる。さらに50人の中から入社3年以下を除くと、その数字は何と64%にのぼるという。中堅の技術者がボロボロ辞めているのだ。

簡単に補充できない原子力技術者

 退職時期を見ると東日本大震災後の2011、12年と、2015年の粉飾決算発覚以降に大きな2つのヤマがある。震災後は他部門への移動希望が多かったが、2015年以降は他の企業へ転職している人がほとんどだ。しかも、残っているほとんどの人たちが、現在、転職先を探す活動をしているという。

 東芝だけでなく、メーカーの技術職の採用は各部門ごとに独立してやっているケースが少なくない。原子力技術者ならば、特定の大学の研究室と太いパイプを持ち、毎年のようにそこから採用していく。ほかのメーカーから中途採用することもあるが、社内で部門間を移動するケースはあまりない。専門技術が固まっているためである。

 つまり、原子力技術者が抜けていくと、簡単には補充することができないのだ。

 実は、直訴状を書いた中堅社員もその後、退職して、外資系企業に再就職したのだという。しかも、業種はまったく原子力とは異う分野。震災から6年を経てもなかなか収束にメドが付かない福島第1原発に関わる技術者たちは、知らず知らずのうちにストレスをため込んでいる。「もう原発には携わりたくない」という人たちも少なくない、という。

 福島第1原発の事故処理・廃炉には数十年単位の時間がかかるとみられる。世代を超えてそれに携わる技術者を「確保」していくことが不可欠だ。債務超過からの脱出など決算書のつじつまを合わせて、東芝という会社を存続させたとしても、肝心の技術を持った人たちが流出していってしまったら元も子もない。会社を守るのではなく、どうやって技術を確保するのか。

 一時、自民党政治家の一部からは、原発廃炉を専門的に管轄する「廃炉庁」を新設するべきだとする案が出されたこともある。だが、原発の再稼働を進める中で、廃炉に焦点が当たることを恐れたのか、廃炉庁構想は封印されたままだ。今こそ、廃炉庁を作り、専門技術人材の確保策などを真剣に考えないと、事故処理を自前で進められない国になってしまいかねない。