どうなる「高度プロフェッショナル制」 労働基準法改正案を巡り、秋の国会で与野党激突?

日経ビジネスオンラインに8月18日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/081700050/

残業時間の上限規制は労働組合の「悲願

 安倍晋三首相が掲げる「働き方改革」が大きなヤマ場を迎える。秋の臨時国会で審議される見通しの労働基準法の改正案を巡って、与野党の攻防が予想されるからだ。

 焦点は大きく2つある。まずは3月末に政府の働き方改革実現会議(議長・安倍首相)がまとめた「働き方改革実行計画」の目玉である「時間外労働の上限規制」。もう1つは、2年以上にわたって審議さえされていない「高度プロフェッショナル制度」の導入である。

 高度プロフェッショナル制度については、これまで反対姿勢を貫いていた連合の執行部が7月にいったん受け入れを表明したが、傘下の労働組合民進党の猛烈な反発にあって「撤回」する異例の事態になっている。それだけに、臨時国会では与野党激突法案になる可能性が高い。今後、政治的な駆け引きが激しさを増すことになるだろう。

 残業時間の上限規制は、労働組合側の「悲願」でもある。

 残業時間は労働基準法で月45時間、年間360時間と決められているが、労使で合意(いわゆる36協定)すれば、特例が認められることになっている。3月末に決まった実行計画では、上限を年720時間とし、原則の45時間を超えることができる月を6回までに制限。2カ月ないし6カ月の平均残業時間を80時間以内とした。その上で繁忙期だけ例外的に認める単月の上限を「100時間未満」としたのだ。

 この「100時間未満」については労使双方から異論が出た。使用者側である経済団体などからは「おおむね100時間」といった程度にとどめ、許容範囲を持たせるべきだ、という指摘があった。一方の労働側からは100時間を切った上限の明示を求める声が強かった。結局、安倍首相の「裁定」という形で、「100時間未満」で労使が合意、働き方改革実行計画に盛り込まれた。

 残業時間の上限を法律で明記し、違反した場合に罰則を設ける労働基準法の改正は、労働組合にとっては何としても成立させたい法案ということになる。

 もう1つの焦点が「高度プロフェッショナル制度」の導入。こちらは労働組合が導入に反対。左派系野党も反対姿勢のため、安倍内閣閣議決定して国会に提出したものの2年以上にわたって審議さえされていない。

連合執行部の人事に生じた混乱

 高度プロフェッショナル制度は、年収1075万円以上の社員に限って、労働時間規制などから除外する仕組みだ。共産党民進党労働組合などは、「残業代ゼロ法案」「過労死促進法案」などと批判している。1075万円以上の年収がある従業員は全体の1%未満だが、労働組合側は、いったん制度が導入されれば、「1075万円以上」という条件がどんどん引き下げられ、対象が拡大していく危険性があると主張している。「働き方改革実行計画」では、高度プロフェッショナル制度についても「早期に実現を目指す」とされた。

 この2つの改正は「セットだ」というのが、高度プロフェッショナル制度の導入を目指す厚生労働省側の考えである。同じ労働基準法なので一括で審議し、同時に成立させるべきだ、としている。この2つの改正は、いわば「バーター」ということだ。

 そのバーターに応じたのが7月の連合執行部の「受け入れ表明」だった。

 受け入れを決めるに当たって、厚労相や官邸サイドと交渉していたのは、連合事務局長の逢見直人氏だったとされる。長年、会長候補と見られてきた逢見氏は安倍官邸とも親しく、調整に力を発揮してきた。「今回ばかりは逢見ちゃんは早まった。加計学園問題で安倍内閣を追い込んでいる時に慌てて合意する必要などない」(民進党幹部)と批判を浴びた。

 関係者によると、連合会長の神津里季生氏と逢見氏との間にも行き違いが目立っていた。「100時間未満」とした3月の合意でも、神津氏は100という数字ではなく、何とか90台の数字にしたいと考えていたが、逢見氏がさっさと「100時間未満」で手を打った。残業100時間で過労死すれば、間違いなく労災認定される。100時間未満ということは「過労死寸前まで働くことを認める」ということになり、組合員からの反発は必至だった。

 6月には新聞各紙が「連合・神津会長が退任へ。後任は逢見氏が軸」と書いたことも二人の関係を微妙にした。新聞報道直後、神津氏自ら「あれは誤報です」と厚労省幹部に連絡を入れている。

 神津氏は2015年10月に、下馬評の高かった逢見氏を抑えて会長になるが、背景には古賀伸明前会長の意向があったとされる。その際、「1期2年で逢見氏に譲るという密約がなされた」という噂もある。6月の報道は、その履行を迫るために逢見氏周辺が流した情報をもとにしたものだったのかもしれない。

 連合は7月19日に役員推薦委員会を開き、神津氏の会長続投の方向性を確認。新設した「会長代行」に逢見氏を就け、後任の事務局長に自動車総連の相原康伸会長を推薦する人事案を申し合わせた。高度プロフェッショナル制度への対応を巡って、逢見氏の連合内での求心力は急低下することとなった。

「健康確保措置」と「裁量労働制」が課題に

 これまで反対してきた高度プロフェッショナル制度について、連合が受け入れに転換するのは簡単ではない。7月の合意では、政府側が譲歩する形で、いくつかの修正をする事になっていた。

 連合が求めた修正は、「健康確保措置」の導入。年間104日の休日確保に加えて、退勤から出社までに一定の休息を設ける「勤務間インターバル制」や2週間連続の休暇、臨時の健康診断など複数の選択肢から、それぞれの企業の経営者と労働組合が合意したうえで選ぶようにするとした。

 また、労働基準法改正案に盛り込まれている「裁量労働制の対象拡大」にも条件を付けた。裁量労働制は実労働ではなく、「みなし労働時間」に基づいて賃金を支払う制度で、弁護士や公認会計士などの専門職や、研究職、クリエイティブ職などに適用が認められている。これを法人向けのソリューション型営業と呼ばれる提案営業にまで適用拡大することが改正案に盛り込まれている。連合はこれが、商品販売など一般の営業職で使われることに警戒してきたが、今回の改正案の修正で、一般の営業職は対象外であることを明確にするとした。

 今後、秋の臨時国会に向けて、こうした「合意条件」が水面下で探られる事になるだろう。高度プロフェッショナル制度を巡る連合内の混乱が、人事など体制を巡る確執に端を発しているとすれば、残業時間の上限規制と「バーター」で高度プロフェッショナル制度が導入される可能性は十分にある。だが、逢見氏が「中二階」に就いたことで求心力を失えば、これまでの交渉が全て白紙に戻る可能性もある。

 そうなると、安倍内閣の政治的な判断に焦点は移る。内閣改造厚生労働相になった加藤勝信衆議院議員は、働き方改革担当相として3月の実行計画をまとめ上げた本人である。「労働時間の上限規制」という歴史的な改革を何とかして成し遂げようとするだろう。一方で、高度プロフェッショナル制度については前厚労相の置き土産と見ることもできる。

 厚労省の幹部は、「労働基準法改正案はよく見ると、上限規制と高度プロフェッショナル制導入を切り分けることができてしまう。もっと、それぞれの条文を関連させるなど、一体不可分の法案にしておけば良かった」と振り返る。

 加藤厚労相が、労働側が求める「残業時間の上限規制」と、経営者側が求める「高度プロフェッショナル制度」を、一体のものとして成立させることにトコトンこだわるか、労働者への配慮という有権者「ウケ」を優先するのか。衆議院議員の任期満了を来年に控えて、解散総選挙も視野に入ってくる中で、今後、労働基準法改正がどう扱われていくのか。大いに注目される。