なぜ私たちは「公務員が多すぎる」と感じるのか  柳井発言の真意を受け止めるべきだ

プレジデントオンラインの11月1日掲載された拙稿です。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/30515

「公務員半減」発言の真意はなにか

ユニクロを運営するファーストリテイリング柳井正会長兼社長が日経ビジネスのインタビューに答えて「このままでは日本は滅びる」と危機感をあらわにしている。(柳井正氏の怒り 「このままでは日本は滅びる」/2019年10月9日)

「まずは国の歳出を半分にして、公務員などの人員数も半分にする。それを2年間で実行するぐらいの荒療治をしないと。今の延長線上では、この国は滅びます」というのだ。歳出半減、公務員半減というのは、おそらく、実際に半減するべきだという具体的な話ではなく、荒療治によって、もっと「官」の部門を効率化しないと日本は成長しない、という意味に解するべきだろう。

だが、公務員半減という言葉が刺激的だった故に、日本の公務員は世界的に見て多くはない、半減は暴論だといった批判の声が上がっている。確かに、雇用者に占める一般政府雇用者の比率は、日本は5.9%で、OECD諸国の平均の18.1%を大きく下回り、公務員比率は突出して低いというデータもある。

日本の公務員数は、人事院によると2017年度で332万3000人。厚生労働省労働力調査によると雇用者数は6000万人だから、概ね数字としては正しい。ただ、雇用者のうち正規雇用者は3500万人で、常勤者が多い公務員の数を、多いと感じる庶民感覚はあながち誤りとは言えない。

「民間」の顔をした「官」は少なくない

また、2000年度には435万人の公務員がいて、それがおよそ100万人減ったことになっているのだが、実際には郵政民営化などの組織形態の変更に伴うもので、「民営化」と言っても政府が株式を持っており、職員の意識もまだまだ「親方日の丸」的である以上、実質的な政府部門と見ることもできる。東日本大震災原子力発電所事故を起こした東京電力は、実質的に国有化されており、政府部門に加えることも可能だろう。

 

さらに、だいぶ統合が進んだものの、各省庁の外郭団体など特殊法人や、官民ファンドを含む政府出資の株式会社など、「民」の顔をした「官」も少なからずある。公務員が多すぎるので半減すべきだという論に賛成するわけではないが、日本が十分に「小さな政府」かというと、決して実態はそうではないだろう。

公務員の数をどうするかは、国の形をどうするのか、と密接に関わる。北欧の国々で人々が高負担高福祉を受け入れているのは、広い国土と厳しい自然環境の中で、個人だけで生きていく事が難しいからだ。

日本やアジア諸国のように、自然が比較的穏やかで、人口密集度が高い場合、お上に依存しなくても「自助」「共助」で成り立っていく。むしろ「民間」ができることは「民間」に任せるというやり方の方が、効率的だというのがここ二十年来の「民営化」に旗が振られたベースだろう。

災害時の人手をどう確保したらいいのか

もちろん、それで良いのか、という問題も出てきている。これだけ自然災害が大きくなると「官」の役割がどうしても必要になる。政府本来の役割とも言える。その人材をどう確保するのか、これ以上、公務員を減らしたら災害時に人手が全く足らなくなる。そうした事態が全国で起きている。

また、北朝鮮問題や台頭する中国の軍事プレゼンスに対処するために、自衛隊員や海上保安庁職員、警察官などを増やさざるを得ない環境に直面している。

特に地方自治体は深刻だ。地方で急速に進んでいる人口減少が「官」の役割に大きな問題を投げかけている。人の数が減り人口密度が薄くなると、行政の効率性はどうしても落ちる。

平成の大合併で役所の数が減ると、地域の問題に目が届かないだけでなく、役場から地域に出掛けるにも時間と労力がかかるようになった。行政サービスの質を落とさないようにするには、人員が必要になるが、財源は乏しい。

本来、行政サービスは、その地域から上がる税収で賄うべきだが、長年日本が進めてきた中央集権政策のため、国がいったん税金を集めて税収を再分配する地方交付税交付金制度が根付いてしまっている。1765ある地方自治体のうち、国からの交付金を受け取らないで済んでいるのはわずかに86。ほとんどの自治体が財政的に自立できずに「国頼み」になっているのだ。

三位一体の改革」はどこへ消えた

小泉純一郎内閣や第1次安倍晋三内閣の頃には、国庫補助負担金改革や、税源の地方移譲、地方交付税改革を同時に行う「三位一体の改革」が叫ばれたが、権限を失うことになる霞が関の反対もあって、半ばで挫折。今ではまったく言われなくなった。

 

一方で、経済産業省を中心に「民間」への「支援」がどんどん拡大している。本来は民間が行うべき分野に、官が金を出している。金を出すと当然、口も出す。結局、政府部門の実質的な肥大化が進んでいる。かつては禁じ手だった個別企業への補助金も、円高対策や災害復旧を口実に事実上解禁され、官民ファンドを通じて出資するのが当たり前になった。

民間への過度の関与は、経産省の「仕事」を作ることになり、余分な公務員を抱えることになる。民に恩を売った高級官僚が、その見返りに、退官後、社外取締役やアドバイザーに就任するケースが目立っている。かつての「規制」を武器にした天下りが形を変えて続いているのだ。弱い企業ほど官依存を強め、補助金などをもらう結果、競合相手のまともな会社もダメにしていく。

税負担とサービスの相関関係が切れている

公務員の給与が諸外国に比べて高いという問題もある。公務員の給与が高いと言うと、自衛隊員や警察官は薄給で命を張っている、という批判を受ける。防衛職員など特別職約30万人と、人事院勧告で給与が引き上げられている給与法が適用される一般職28万人を一緒くたにするのは議論の焦点がぼける。

一般職の公務員給与は6年連続で引き上げられたが、建前は民間並み。民間では給与が上昇している感覚が薄い中で、公務員は着々と引き上げられている。国家公務員に準じて地方公務員の給与も上がる仕組みだ。

公務員の仕事からは基本的に収益は生まれない。サービスを受ける国民がその給与を負担しなければならない。人口減少が今後激しさを増していく中で、どうやって公務員の数を維持し、人件費をまかなっていくか。それには、「このサービスを提供してくれるなら、これくらいの負担は致し方ない」という国民や地域住民のコンセンサスが必要だ。

ところが、国は借金で歳出を賄うのが当たり前になってしまっており、サービスと負担の関係が見えにくくなっている。地方自治体にしても、地方交付税交付金制度のために、住民の税負担とサービスの相関関係が切れている。

行政の役割を見直して再配置する必要がある

これを抜本的に見直すことが不可欠だろう。災害に備えてもっと公務員を増やすべきだというならば、その分の負担が増えること、つまり税金が増えることを受け入れなければならない。あるいは、税負担をこれ以上増やすのは難しいとしたら、公務員の増加は諦めるしかない。

 

あるいは、行政の役割を徹底的に見直して、必要な分野に再配置することが不可欠だろう。公務員もこれまでの仕事の仕方を見直し、不要な会議の時間を減らして、本当に求められているサービス業務にシフトすることが必要だ。本来の意味の「働き方改革」である。

公務員が多いか少ないかは、単純な国際比較で答えが出る話ではない。国土の広さや人口密度、気象環境はもちろん、住民が国や地方の政府に何を求めるかで変わってくる。

官僚主導で国が財政支出をして経済を成長させてきた高度経済成長期が終わり、バブルの生成と崩壊を経て、人口減少社会へと突入した日本で、公務員の役割が大きく変わっていることは間違いない。一度奉職したら定年まで身分が保証される公務員のあり方を、抜本的に見直す必要があることだけは事実だろう。