JICで露呈した「官民ファンド」の限界 役所の「ポケット」なら、もういらない

月刊エルネオス1月号(1月1日発売)に掲載された原稿です。

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発足間もなかった官民ファンドの「産業革新投資機構(JIC)」と、経済産業省など政府の対立が表面化し、十二月十日にJICの民間役員が総退陣する異常事態に陥った。十一人の取締役のうち、残るのは経産省財務省の出身者二人だけとなり、JICは事実上、身動きが取れなくなった。
 対立が表面化したのは、十一月末。JICの取締役らに支払う報酬が高額であることが原因だと報じられた。年額の固定給は社長が一千五百五十万円、副社長が一千五百二十五万円、専務が一千五百万円。これに短期業績連動報酬として、年額四千万円を上限に四半期ごとの業績に応じて支払うというもの。また、長期業績連動報酬として、最大七千万円を支払うとされた。成功報酬である長期業績連動報酬と合わせると一億二千万円超ということになるが、この金額自体はファンド運用など金融業界の相場からすればかなり低い。
 この報酬体系は経産省との事前のやり取りで決まっていたものだが、それを経産省側が白紙撤回したのだという。国民の資産を運用する国のファンドでの高額報酬には国民の理解が得られないというのが反故にした経産省側の主張だ。
 これに民間の取締役が反発。辞表を叩きつけた、というわけだ。辞意表明に当たって民間人取締役は全員がその理由を書いた文書を公表。怒りをぶちまけた。
 経産省がことさら報酬を前面に出し、「国民の理解が得られない」と声高に叫んだことで、民間人取締役たちに非があるような論調が多い。確かに、国民の税金でつくったファンドで、儲かったから高い報酬を払うというのは、庶民感情からは許せないように思える。

日本にイノベーションを起こすベンチャー投資を行うはずが……

 そもそも、官民ファンドとは何なのだろう。特定の分野の成長を促すために、「官」が資金を出して設立し、民間の投資資金を呼び込むというのが建前だ。なかなか高いリスクを取るような資金、いわゆる「リスクマネー」が出てこない日本社会で、その音頭を「官」が取ろうというわけだ。
 二〇〇九年にできた産業革新機構などがはしりだが、第二次安倍晋三内閣が発足した二〇一二年末以降に各省庁が設立に動いた。今では十以上の機関が乱立し、総額四兆円以上を運用している。
 だが実態は、当初の理念とは裏腹に、各省庁の第二の「ポケット」となっている。民間の出資も集まっていないのが実情だ。産業革新機構も当初は成長が見込まれるベンチャー企業などに投資をするという建前だったが、実際にはジャパンディスプレイルネサスエレクトロニクスなど経営危機に直面した企業の支援に巨額の資金が投じられた。
 JICはその産業革新機構を改組して生まれた組織で、設立の理念は、日本にイノベーションを起こすためのベンチャー投資などを行う政府系リスクキャピタル投資機関をつくるというものだった。二〇一七年に経産省が設けた「第四次産業革命に向けたリスクマネー供給に関する研究会」の報告を受けて、世界水準の組織にする、としたのだ。
 そうした理念に共鳴したのが、辞表を叩きつける結果になった民間人取締役九人。田中正明社長は三菱UFJフィナンシャルグループの副社長を務めた人物で、副社長には米国西海岸でバイオベンチャーで成功を収めた金子恭規氏が就いた。社外取締役には坂根正弘コマツ相談役や、冨山和彦・経営共創基盤CEOら「改革派」経営者や、米国の大学で活躍する学者、弁護士らが就いた。

世界水準のファンドになればコントロールが利かなくなる

 社外取締役の一人だった米国スタンフォード大学教授の星岳雄氏は、もともと日本の官民ファンドには否定的で、辞任に当たっての文書でも「成功するはずのない政策の一つが官民ファンド」だと切り捨てている。にもかかわらず彼らが取締役を引き受けたのは、「今度こそ経産省が本気になって日本が変わるきっかけをつくると考えたからだ」と社外取締役の一人は言う。
 金子氏の豊富な人脈もあって、世界のトップクラスの優秀な人材が、JICが設立する予定だった「子ファンド」に集まり始めていた。世界水準の運用力を持ったファンドができると思われた段階で、経産省が「白紙撤回」したというのだ。報酬体系だけでなく、子ファンドの組成など、JICのあり方自体に異を唱え始めたという。
 おそらく、JICが本当に「世界水準」の投資ファンドになり、官僚機構のコントロールが利かなくなることに危機感を覚えたのだろう。本気でリターンを追求するファンドになれば、政治家や役人の胸先三寸で投資先を決めることなどできなくなる。つまり、経産省の「第二のポケット」としてJICを使うことができなくなってしまうわけだ。
 星教授は退任表明の文書で、JICが「ゾンビの救済機関になろうとしている時に、私が社外取締役に留まる理由はありません」とキッパリと語っている。
 つまり、「今度こそは」と期待した民間人取締役たちを、霞が関は見事に裏切ったわけだ。
 やはり、「官民ファンド」に期待したのが間違いだった、ということだろう。「民間が出さないリスクマネーを誰が出せばいいんだ」と社外取締役の一人は言う。
 だが、発展途上国と違い、日本の「民」には膨大なおカネが滞留している。財務省の法人企業統計では、二〇一七年度の企業の内部留保は四百四十六兆円。一年で四十兆円も増えた。しかも「現金・預金」として保有されているものが二百二十二兆円に達するのだ。
 それでもリスクを取って日本にイノベーションを起こすような投資をしようと思わない日本の経営者に問題があるのは間違いない。リスクはとらず、相対的に高給を食んでいる経営者はいくらでもいる。「官」がカネを出すよりも、「民」にカネを出させるための仕組み、政策を早急に考えるべきだろう。