30万円のイヤホンを生むソニーが誇る職人たち

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Wedge (ウェッジ) 2019年 4月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2019年 4月号 [雑誌]

  • 作者:Wedge編集部
  • 出版社/メーカー: 株式会社ウェッジ
  • 発売日: 2019/03/20
  • メディア: Kindle
 

 

 一人ひとり違う耳の形に合わせて、テイラーメイドで作られるイヤホンをご存じだろうか。ソニーの「Just ear(ジャスト イヤー)」。究極の装着性を追求して最高の音質にたどり着くことを狙った逸品は、当然、一つひとつ手作りされる。しかも日本国内でだ。

 東京・青山にある「東京ヒアリングケアセンター青山店」で耳型を採ると、それが大分県日出(ひじ)町にある「ソニー・太陽」の工場に送られてくる。耳型から型枠を作り、そこに樹脂を流し込んでイヤホン本体を作るのだ。

 わずかなデコボコでも装着感が変わるため、手作業で削り、磨いていく。顕微鏡を使いながら精密な電子機器を組み込んでいく。微細な手作業が続く。

 そうして仕上げても、より精緻な装着感を求める顧客のため再調整することもある。

 そんな「究極のイヤホン」。好みに合わせて音をチューニングする音質調整モデルXJE−MH1は30万円(税別)である。イヤホンとしてはなかなかの高価格だ。長年ソニーのヘッドホンやイヤホンの開発に携わったエンジニアが注文客から使用環境や好みの音楽を聞き、それに合わせた音質を提案する。まさに世界に1台だけの「あなたのイヤホン」だ。

 音質プリセットモデルMJE−MH2は20万円(税別)。事前に音質を調整した「モニター」「リスニング」「クラブサウンド」という3つのタイプがある。いずれも、加えて、耳型を採取する費用9000円(税別)が別途かかる。

 実は、このジャストイヤーを作っているソニー・太陽という会社は、ソニーの創業者だった井深大さんが、ある思いを込めて作った会社だ。障がい者が自立を目指す施設として創られた社会福祉法人「太陽の家」と共同出資で1978年に設立された。

井深さんの思い

 本社工場の入り口を入った一角に、パネルが掲げられ、井深さんの写真とともに、こんな言葉が刻まれている。

 「仕事は、障がい者だからという特権なしの厳しさで、健丈者の仕事よりも優れたものを、という信念と自立の精神を持ってのスタートでした」

 太陽の家の創設者だった中村裕(ゆたか)医師の、「チャリティーではなくチャンスを」という理念に突き動かされ、大分に工場を建てて障がい者が仕事に就く機会を作ったのだ。今でこそ、障がい者も健常者と同様に働くのが当たり前という認識が広がったが、当時としては画期的な考え方だった。

 今では、障がい者雇用は法律によって基準が定められ、その基準をクリアすることだけを考えている会社も少なくない。昨年は多くの省庁で障がい者の雇用数の水増しが発覚した。

 だが、井深さんは法律で義務付けられる前からこの会社を立ち上げたのだ。同じように、オムロンやホンダ、三菱商事といった企業の当時の経営者が中村医師に共鳴して共同出資会社を作っている。

 その中村医師は障がい者スポーツの振興にも情熱を傾け、1964年の東京パラリンピックでは選手団長として大会を成功に導いた。「日本パラリンピックの父」と呼ばれている。

 ソニー・太陽で働く社員180人のうち64%に当たる115人に障がいがある。多くが四肢や聴覚の障がいだ。だが、健常者の仕事よりも優れたものをという創業以来の独立精神は間違いなく生きている。

 工場の中では、障がいがあっても同じ仕事ができるように作業台の高さや並べ方を変えている。さまざまな補助作業用具を自分たちで工夫して作ったりするのは当たり前、という文化が根付いているのだ。

 モノづくりの多くは人件費の安い海外に移転していった。ソニー製品も例外ではない。そんな中で国内にある工場に、人手を使って生産する製品を残すのは簡単なことではない。当然、高い付加価値が求められる。ソニー・太陽では、大量生産するほどは売れないが、着実に需要があるハイエンドのマイクロホンやヘッドホンなどを組み立ててきた。

 放送業界で「漫才マイク」としてよく知られているC−38というマイクがある。銘品とされ、音作りの世界でスタンダードになっている。注文数は少ないが、現場に愛され、着実に需要はあるため、生産を止めるわけにはいかない。

 ソニー・太陽の熟練工が手作業で組み立て、音質をチェックし出荷する。その技を伝承していくことも重要だ。ソニー・太陽の工場を歩いていると、ソニーという会社の原点とも言える「こだわりのモノづくり」という伝統を、色濃く残していることに気づかされる。

 「マニファクチャリングというよりも、一人ひとりの職人が技で作り込んでいくクラフトマンシップの会社です」と盛田陽一社長は言う。そして、「ジャストイヤーは一つひとつ違うことがウリなので、機械ではなく、人間がまだ活躍でき、大きな付加価値を付けられる」と盛田さん。まさにソニー・太陽の得意技である。

根気のいる作業

 製造部の宮本晶(あきら)さんは、製造方法を確立する大役を任せられた。ソニー・太陽に28年勤めるベテラン・マイスターだ。

 透明な樹脂でイヤホン本体を作るが、「はじめは気泡が入ったり、割れてしまうなど失敗もしました」と宮本さん。「不思議なのですが、一度失敗すると何度やってもうまくいかないなど、イライラが募ることもありました」と苦笑する。実際、「もうやってられない」と挫折して、担当を代わった社員もいる。それだけ根気のいる作業なのだ。ソニー・太陽の社員の中でも、ジャストイヤーを手掛けているのはごく一部の熟練工で全員が障がいのある社員である。

 一つひとつ手作業のため、量産はきかない。ほぼフル生産の状態だ。声優の南條愛乃さんとコラボした限定モデルは、あっという間に予定数を完売した。南條さんの聴いている同じ音質で音楽を楽しみたいというファンの人気を集めた。

 今後は日本の音響技術に関心の高いアジアの国々でもヒットしそうな予感だ。ジャストイヤーの存在がジワジワと口コミで広がっている。特に香港などで人気が高まっているという。

 まだイベントなどで出品した際の販売が中心で、耳型を採れるディーラー網の整備ができていないため、本格的に供給できていない。所得水準の向上とともに良いものには出費を惜しまないアジアの人たちが増えている。まだまだ販売が増える可能性は高そうだ。

 障がいを乗り越えて健常者以上の成果をあげるようになったソニー・太陽のマイスターたち。高い付加価値を生み出し、日本にモノづくりを残すことに大きく貢献しているのは間違いない。