現代ビジネスに9月30日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87827
先進国を上回る富豪の国
世界屈指の経済成長を続けてきた中国では、先進国を上回る「富豪」が誕生し、高額品消費が激増してきたことは周知の通りだ。日本も新型コロナウイルスの蔓延前は、インバウンド消費に沸き、百貨店などでの高額品が飛ぶように売れたが、それを担ったのも中国人観光客だった。今や、中国は、世界最大のラグジュアリー商品の消費地になっている。
それを端的に表しているのが「高級時計」だ。高級時計ブランドを多数擁するスイスからの輸出先を見れば、その様子が鮮明に分かる。その様子は本欄でも4月15日公開の「高級スイス時計が激売れ…中国経済、実は『ひとり勝ち』が鮮明になっていた」に紹介した。
スイス時計協会の統計数字を改めて見てみよう。2020年の年間統計によると、全世界向けの輸出額総額は169億8410万スイスフラン(約1兆9884億円)と21.8%も減少した。新型コロナで多くの国で経済活動や国際間の人の移動が止まったことがモロに響いた。そうした中で、中国(大陸)向けの輸出額は23億9400万スイスフラン(約2800億円)と、2019年に比べて20%も増加し、過去最高額を記録。スイス時計最大の輸出先に躍り出たのである。
もともとスイス時計の輸出先としては、戦後長い間、香港がトップだった。2019年の香港向け輸出額も26億9100万スイスフラン(約3185億円)と、2位の米国、3位の中国を抑えて圧倒的なトップだったが、2020年は16億9670万スイスフラン(約1986億円)と前年比36.9%もの減少となり、世界3位に転落したのである。もちろん、背景には中国政府による香港への国家安全維持法の適用など、「自由都市香港」が事実上瓦解したことがある。
新型コロナ対応に苦しむ先進国を横目に、中国は新型コロナの封じ込めに成功しているようにみえ、ポストコロナ時代は、高級時計の世界最大の市場は盤石になっていくだろうと予想されていた。
ところがである。ここにきて、その世界最大の市場に急速に「暗雲」が漂い始めている。習近平体制の中国で「大異変」が起きているのだ。
標的となったジャック・マー
ここへ来て政権の「標的」になっている感があるのが「富裕層」である。成功して世界的な大企業となり、富豪にのし上がった企業家たちを、どうやら政権が目の敵にし始めているのだ。
その象徴的な存在が、中国の電子商取引大手アリババグループの創業者で巨額の富を持つジャック・マー(馬雲)氏。2020年11月に傘下のアントグループの新規株式公開が当局によって突然停止され、その後、マー氏は半年以上にわたって姿を消していた。マー氏がシンポジウムで、当局に対する批判的なコメントをしたのが原因だったといわれている。
発端は、アリババグループの金融会社アントグループが2020年11月に予定していた香港と上海での上場が当局によって停止されたことだった。アントは電子マネーAliPayの発行主体で、2014年の設立以来、急成長してきた。
アントが上場した場合の時価総額は約1500億ドル(約16兆円)にのぼるとみられ、米国のシティグループ(約11.5兆円)を上回り、世界最大の上場金融会社に躍り出ると予想されていた。しかも、上場時の資金調達で345億ドル(約3兆6000億円)もの資金が調達できると考えられていた。それにストップがかかったのだ。
当初、これは、「やり過ぎた」アリババだけの問題だとみられたが、すぐにそうではないことが判明した。12月にはアリババとテンセントのそれぞれの傘下企業に、独占禁止法違反で罰金を科したのだ。
さらに、成功を収めた芸能人も「標的」になった。韓国のアイドルグループEXOの元メンバーで、カナダ国籍の中国人スター、呉亦凡(クリス・ウー)が強姦容疑で逮捕されたのだ。成功して富豪にのし上がった芸能人をターゲットに脱税などの罪を負わせる「粛清の嵐」が吹き荒れている。
「新・黒五類」への締め付け
中国の情勢に詳しい東アジアウォッチャーでジャーナリストの近藤大介氏は、こうして当局から「標的」にされている層を、「新・黒五類」だと表現している。「黒五類」とは、文化大革命時に標的にされた「地主」「富農」「反革命分子」「破壊分子」「右派」を指す。近藤氏はこれになぞらえて、今、標的になりつつあるのが、「富裕層」「インテリ」「少数民族」「青少年」「上海・広東人」だと指摘しているのだ。
確かに「青少年」も標的になっている。メディアやコンテンツ産業を管轄する「国家新聞出版署」が8月30日に通達を出し、未成年者の「オンラインゲーム依存症」を予防するためとして、新たな規制を定めた。18歳未満の未成年者に対するオンラインゲームの提供は、週末の金曜日、土曜日、日曜日・祝日に限られ、時間帯も午後8時から9時までの1時間に制限された。中国国営メディアは、「ゲームは精神的アヘンだ」と痛烈に批判した。
習近平国家主席の思想を学ぶことも必修化されている。学者など「インテリ層」に対する思想統制の動きも強まる。また、少数民族への締め付けも一段と激しさを増している。
「少数民族」も同様に「標的」であることが鮮明になってきた。かねてからウイグル族に対する人権弾圧が国際的に批判されてきが、8月末に開かれた少数民族政策に関する政府会議に出席した習近平主席は、「中華文化が幹で各民族の文化は枝や葉だ」と述べ、中華民族の利益を最優先とする考えを明確に示した。
また、香港への「国家安全維持法」の施行で、自由化運動は壊滅し、香港の自治はほぼ消え失せた。習近平政権に対抗してきた「上海閥」包囲網は着々と進んでいる。まさに「上海・広東人」は「標的」になっているのだ。
高級時計市場を支えた富裕層の行く末は
1966年から10年にわたって続いた「文化大革命」の再来だと指摘する識者も増えている。
文化大革命は、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」というキャッチフレーズの下で、文化を改革する運動だとされたが、実態は毛沢東が権力基盤を固めるための政治闘争だった。
今、中国で起きていることも、習近平主席の権力基盤を確固たるものにするために引き起こされている、との見方が強い。
そうした中国の「変質」で、世界最大の高級時計市場という地位は維持されるのか。
中国では当初、高級時計など高額品は「贈答品」として需要が伸びた。持ち運びが簡単で換金性も高いので、地方の党幹部への「賄賂」としてぴったりだったわけだ。
それが習近平体制になって「腐敗撲滅」運動が始まり、贈答品としての需要は激減したとされる。
それと入れ替わりで勃興してきた民間人富裕層が高級時計需要を支えていたのだが、果たして、今回の動きが「文化大革命の再来」で、「富裕層」が標的だとすると、高級時計を買うような層が「標的」になりかねない。「贅沢は敵」だということになれば、世界最大の市場は瓦解することになるだろう。