出生数80万人割れの日本、真剣に「移民政策」を考えないと国家が消滅する これまでの「少子化対策」では手遅れに

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少子化対策相が軽量ポストでは

岸田文雄首相が「異次元の少子化対策」に取り組む姿勢を打ち出した。関係府省庁による新たな検討会を設置し、有識者などの意見を聞いて、3月末をめどに、たたき台をまとめるという。キャッチフレーズこそ「異次元」と威勢は良いが、果たして起死回生の一打になる政策を繰り出せるのか。

岸田首相が急に「少子化対策」と言い出したきっかけは、2022年の出生数が80万人を割る見通しとなったため。厚生労働省が12月20日に発表した人口動態統計の速報値によると2022年1月から10月までの出生数は66万9871人で、前年同期に比べて3万3827人減少した。

もちろん過去最低の水準で、このままのペースでいけば、2021年の81万1622人を大きく下回り80万人を割り込む見通しだ。年間の出生数は1970年代には200万人を超えていたが、2016年に100万人を割り込み、その後、減少ピッチを早めている。80万人を割り込めば、1899年の統計開始以来、初めてのこととなる。

政府の少子化対策は今に始まったことではない。内閣府特命担当として「少子化対策対策担当相」が置かれたのは2007年の第1次安倍晋三改造内閣から。以来、20人以上の政治家が大臣を務めた。15年で21人だから平均すれば1年に満たない間に後退。もっとも頻繁に交代する大臣ポストのひとつだ。

それだけ政権の中では「軽量ポスト」として扱われてきたということだろう。旧民主党政権の時など3年余りの間に、官房長官の事務代理を除いても9人が大臣を務めた「たらい回しポスト」だ。岸田内閣でも野田聖子前大臣は10カ月でその任を終え、すでに2人目の小倉将信大臣に代わっている。さて、小倉大臣は本腰を入れて取り組むのか。

少子化対策では追いつかない

政府の少子化対策と言うと児童手当など金銭的支援と、保育所の整備などが定番だ。民主党政権時代も「子ども手当」が政権の政策の柱だった。その後、自民党政権に戻って、児童手当の拡充に切り替わっている。今回の「異次元の少子化対策」でも、岸田首相は会見で、「児童手当などの経済的支援の強化や学童保育、病児保育、産後ケアなどの支援拡充、働き方改革の推進」を3本柱に掲げている。

どこが「異次元」なのか、おそらく金額を大盤振る舞いして、「過去にない対策」と言うのだろうが、早速、「財源はどうするのか」という声が上がり、挙句、消費増税という話までささやかれる始末。それで出生率が劇的に回復するとは考えにくい。

子育て世帯への経済支援はこれまでも繰り返されている。手当ての拡充だけでなく、高校の実質無償化なども子育て世帯にとっては負担軽減になっている。だが、残念ながら子どもを生む人は減り続けているのだ。これまでの少子化担当相が繰り出してきた政策では少子化に歯止めがかからず、軒並み失敗に終わったということだ。まずはこの反省に立たなければ、少子化は止められない。「異次元」というからにはこれまでの政策の延長線上では意味がない。

もちろん、少子化は様々な政策の「結果」だと言うこともできる。経済政策や教育政策などがすべて絡んでいる。カネをばらまけば子どもを生むという単純な話ではない。長期にわたって経済成長し、所得が増えていくという展望がなければ安心して子どもは産めないし、十二分な教育が国内で受けられる保証も必要だろう。つまり、ひとり少子化担当相だけの問題ではなく、厚生労働相文部科学相経済産業相財務相も皆、責任があるということになる。

逆に言えば、15年にわたって各内閣の大臣たちが取り組んできた結果、少子化が進んでいるのだから、そう簡単にはこの流れは止まらないと見るべきだろう。ではどうするか。

移民政策も間に合わなくなる

歴代内閣が封印してきた「移民政策」を真剣に考える時ではないか。それこそが「異次元の少子化対策」だろう。

日本経済は外国人労働者への依存度を高めながら成り立ってきた。日本国内で働く外国人なしには、農業も漁業もサービス業も工事現場も工場も成り立たないのが現実だ。「移民政策は取らない」と言い続けてきた安倍晋三内閣も、いわゆる「高度人材」の枠組みを積極的に活用したり、「特定技能1号」などの新しい在留資格を新設することで、就労目的の外国人を受け入れることに大きく舵を切ってきた。

一方で、「移民政策ではない」と言い続けたため、日本への定住促進に向けた日本語教育や公民教育などが後回しになり、日本社会に溶け込めない外国人を多く生み出している。移民ではなく、あくまで出稼ぎで一定期間を経たら出身国に帰るのだ、という建前のために、日本社会の構成員として外国人を受け入れる視点が欠けたままになっているのだ。

そんな中で、大幅な円安によってドル建てで見た賃金が大きく減少し、外国人から見た出稼ぎ先としての日本の魅力は大きく低下している。また、アジア各国の経済成長によって、日本よりも他の国々の方が成功のチャンスがあると見られるようになっている。日本でいくらキャリアを積んでも永住することが難しいとなれば、優秀な外国人は日本にやってこなくなる。

「日本は日本人の国なので外国人はいらない」と主張する人たちも少なからずいる。だが、日本人の出生数が減り続ければ、日本社会そのものを成り立たせることができなくなる。社会システムが瓦解しかねないのだ。地方に行けば人口減少のために、村の伝統的なお祭りや行事ができなくなった例は枚挙にいとまがない。むしろ、移住して「日本人」になってもらうことを歓迎する声も少なくない。つまり、外国人を受けて入れ、日本人を増やしていくことが「移住政策」の本旨だ。

今からでは時すでに遅しかもしれない。経済成長していればこそ、移民1世や2世が成功し、社会の中で地位を占めていくチャンスがある。経済力が落ちてきた日本は、そうした移民を引きつける魅力を今も持ち合わせているだろうか。

遅きに失したということにならないうちに、真正面から移民政策を検討すべきだ。さもなければ日本という国家が消滅しかねないところまで、少子化ピッチは進んでいる。