日本では若いうちの「結婚→出産」がハンデになる…岸田政権の少子化対策が異次元に的外れである根本原因 なぜ「出産年齢の高齢化」が止まらないのか

プレジデントオンラインに1月27日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/65888

少子化最大の理由は晩婚化」

「一番、大きな理由は出産する時の女性の年齢が高齢化していることです」

自民党麻生太郎副総裁が、地元福岡県で開かれた講演会で少子化の最大の原因が晩婚化にあるという持論を展開したと報じられた。「今は(女性の初婚年齢が)30歳で普通」だとし、複数の子どもを出産するには「体力的な問題があるのかもしれない」と述べたという。

SNS上ではこの麻生発言に対して批判が相次いでいる。「少子化を女性のせいにしている」「生まない女が悪いと言いたいのか」といった反応だ。過去にも失言の多い麻生氏の発言だけに、政治家として無責任だと捉えられた面もあるのだろう。

だが、晩婚化が少子化の原因だという麻生氏の指摘も完全な間違いというわけではない。問題は晩婚化が進まざるを得ない社会構造と、晩婚化が少子化に直結している現状にあるのではないか。

もちろん、経済問題が大きいのは間違いないが、児童手当などの補助金を増やせばそれで少子化が解消されるとも思えない。何せ、政府は20年以上にわたって子ども手当や児童手当といった支援策を打ち続けているにもかかわらず、少子化に一向に歯止めがかからないのだ。

原因は日本企業の「一律のキャリアパス」にある

なぜ、晩婚化しているのか。それは女性が男性同様のキャリアを積むのが当たり前になっているからだ。麻生氏世代の保守主義者は女性は家庭を守って子育てするものだという考えに固執してきたが、もはや圧倒的な多数が共働き世帯になった。女性が働くのは経済的な理由だけではない。

22〜23歳で大学を卒業した女性が企業でキャリアを積もうと考えると、当然、3〜4年はバリバリ働かなければ同期に後れを取ってしまう。かつて結婚適齢期と言われた25歳前後は、結婚など考える余裕すらない。会社で一定の評価を得るようになるとすでに30歳近くになり、ようやく結婚を考えられる。それでも子どもを生むとなるとキャリアを中断せざるを得なくなり、多くの働く女性が出産を決断できない。

最近は出産・育児休暇などが整備されたが、それでもブランクができれば社内キャリア的にはマイナスになる。つまり晩婚化の背景には、日本企業の新卒一括採用や、入社後の一律のキャリアパスが関係しているわけだ。

出産がハンデにならない社会をつくるべき

しかも、こうした構造的な晩婚化は、今後ますます進むことはあっても解消するのは難しい。企業が求める人材が高度化すれば、大学院で修士を終えるのが普通になってくるだろう。すでに海外ではMBAのみならず博士号を持ったビジネスマンが大きく増えている。グローバルに競争する人材ほど、20代は猛烈に忙しく、就職しても、あっという間に30歳を超えてしまう。つまり、結婚・出産のタイミングを逸してしまいかねない環境なのだ。

もうひとつ、晩婚化が少子化に直結してしまうのも、今の日本社会のあり方に起因している。正式に結婚しないと子どもを産めない社会と言ってもいい。フランスのように婚外子が増えればいい、とまでは言わないが、海外で見られるように、就職していない学生が結婚して子どもを産み育てることのハードルを、日本社会でももう少し引き下げることができれば、晩婚化も少子化も解消されていくかもしれない。

いずれにせよ、若くして結婚し、子どもを産むことがハンデにならない社会を築くことが本当の意味での少子化対策だろう。いつでも子どもが産める社会にすることだ。

「終身雇用」「年功序列」を廃止する

まずは、日本の雇用制度を大きく変えていくことだろう。新卒一括採用を止め、いつでも入社できる仕組みに積極的に変えていく。

そのためには、すでに多くの会社が見直しを迫られているが、終身雇用・年功序列の賃金体系も変えなければならないだろう。年齢に関係なく能力次第でポストを得られるようにすれば、出産でブランクができても待遇で不利になることはない。あるいは、先に出産してから就職するというキャリアパスがあってもいい。仕事と出産を天秤にかけなくても良い社会システムに早急に変えていくことが必要だ。

これはもっぱら人材を雇用する企業側の姿勢に負うところが大きい。岸田文雄内閣は2022年6月にまとめた「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」の中で、「労働移動の円滑化」を掲げた。岸田首相の本気度はともかくとして、これまでの企業に雇用を抱えさせることを後押しする政策から、より生産性の高い企業に労働移動させる政策へと方向転換する姿勢を見せている。そのためにはいつでも入社できる雇用制度の整備が不可欠になる。

企業も出生数の急激な減少を目の当たりにして、危機感を覚えている。従来の新卒採用だけでは人員を充足できないうえ、労働移動が当たり前になりつつある中で、せっかく採用した若者に転職されてしまうリスクをヒシヒシと感じ始めている。雇用制度が大きく変わっていく素地はできつつあると見ていいだろう。ここで政府が本気になって労働規制などを改革すれば、変化が起きる可能性は十分にある。

子ども手当はバラまき」かつて自民党は批判したが…

いつでも子どもを産める社会に変えるには、やはり経済問題が大きい。

民主党政権が「子ども手当」を導入した時、「子どもは社会全体で育てる」のだと説明していた。家庭の経済力に関係なく、生まれてきた子どもには一定水準以上の生活と教育を受けられるよう保証する。そうした発想が重要だろう。

働くお母さんのためにベビーシッター代を必要経費として所得控除するというアイデアが2015年に厚労省から出されたが、自民党内の反対で頓挫したことがある。これに代わってベビシッター利用支援事業として助成金が出されるようになったが、まだまだ十分ではない。簡単なのはベビーシッター代から教育費まで子どもにかかる費用はすべて全額所得控除の対象にすることだ。

ところが、経費の所得控除にすると経費を使える富裕層が有利になるという反対論が必ず出てくるのだ。ベビーシッター控除が頓挫したのも、ベビーシッターを雇えるのは豊かな家庭だけだ、という反対論があったからだ。

そうした「金持ち優遇」に配慮してか、児童手当も所得制限が付されている。だが、これは「少子化対策」と「所得再分配」をごっちゃにした考え方だろう。少子化対策として行うならば、所得に関係なく、子どもにかかる費用を控除するべきだ。低所得層への支援は別の枠組みで行えばいい。

少子化対策は何はともあれ、出生者数を増やすことに直結しなければ意味がない。ここへきて、自民党内からも児童手当の所得制限を撤廃すべきという意見が出ているが、民主党の「子ども手当」をバラまきだと批判した自民党が主導して導入したものだ。

「これで異次元なのか」各省庁案の寄せ集め

岸田首相は1月4日の年頭の記者会見の冒頭でこう発言した。

「本年も覚悟を持って、先送りできない問題への挑戦を続けてまいります。特に、2つの課題、第1に、日本経済の長年の課題に終止符を打ち、新しい好循環の基盤を起動する。第2に、異次元の少子化対策に挑戦する。そんな年にしたいと考えています」

「異次元の少子化対策」をやると大見えを切ったのだ。

どんな具体策が出てくるのかと注目していたが、1月23日の所信表明演説ではまったく内容に乏しかった。「何よりも優先されるべきは、当事者の声」だとし、「まずは、私自身、全国各地で、子ども・子育ての『当事者』であるお父さん、お母さん、子育てサービスの現場の方、若い世代の方々の意見を徹底的にお伺いするところから始めます」とした。いつもながらの岸田流と言えばそれまでだが、まずは話を聞くところから。

少子化問題は今に始まったことではない。実行が求められる首相になって1年が過ぎても、話を聞くところから始めなければならないほど知見が足らないということなのか。

具体的な施策がうかがえるものとしては、「高等教育の負担軽減に向けた出世払い型の奨学金制度の導入」「各種の社会保険との関係、国と地方の役割、高等教育の支援の在り方など、様々な工夫」「6月の骨太の方針までに将来的なこども・子育て予算倍増に向けた大枠を示す」といった程度で、各省庁の担当者が出した文章を寄せ集めた印象だ。「これで異次元なのか」と批判の声が上がるのも当然だろう。

「6月までに」では遅すぎる

政府は20年にわたって少子化対策を「課題」に掲げてきた。民主党政権時代も含め、多くの政治家が「少子化担当大臣」の肩書を名乗った。だが、出生数の減少が一向に止まらない現状からすれば、それらの政治家はすべて大臣失格だったということになる。

では、岸田首相は少子化対策に本気で取り組むのか。

首相は施政方針演説の中でこう述べた。

「昨年の出生数は80万人を割り込むと見込まれ、我が国は、社会機能を維持できるかどうかの瀬戸際と呼ぶべき状況に置かれています」

少子化によって社会機能が維持できなくなるという、とてつもない危機を語っていたにもかかわらず、語り口からは危機感を感じることができなかった。語った危機感が本物ならば、「6月の骨太の方針までに」などといった悠長なことは言ってられないはずだ。

6月に方針を決めても具体的な法案を作って審議するのは早くて秋。どんなに急いでも法律の施行は2024年だ。その政策が効果を上げて少子化に歯止めがかかるとしても、さらに数年の時間がかかる。

時間を浪費している間に日本社会が回復不能なまでに機能不全に陥らないことを祈るばかりだ。