増税予想なのに「国民負担率は下がる」!? 本当か、財務省の論理 「五公五民」国家、日本の現実

現代ビジネスに2月27日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

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本当だろうか

今年も恒例の「国民負担率」の発表が財務省から行われた。

毎年2月に、前年度の実績と、今年度の実績見込み、そして来年度の見通し数字が発表される。「国民所得」に対して「租税負担」と「社会保障負担」がどれぐらいになるかを示すものだ。「実績」の最新数値である2021年度は48.1%で過去最高である。2011年度が38.9%だったので、わずか10年で9ポイントも上昇した。消費税率の引き上げなどが重くのしかかった結果である。

国税地方税を合わせた「租税負担」は28.9%、年金や健康保険の保険料など「社会保障負担」は19.3%に達する。年金の保険料率は2004年度の13.93%(労使折半)から2017年度の18.3%まで毎年引き上げが行われてきたが、その引き上げが終わり頭打ちになっている。一方で「租税負担」は上昇を続けている。地方税の上昇率は緩やかだが、「国税」は2011年度の12.6%から2021年度には18.2%へと大きく増加した。

岸田文雄首相は昨年末以来、防衛費の大幅な増額を打ち出しており、近い将来、1兆円規模の国民負担増が必要になると明言している。今後も国民負担が大きく増えそうな感じなのだが、なぜか財務省は国民負担率は今後低下する見通しだと発表している。

この3月で終わる2022年度の「実績見込み」は47.5%と0.6ポイント下がるというのだ。さらに、2023年度の「見通し」では46.8%にまで低下するという。本当だろうか。

経済成長が思うように行かなければ負担増

実は、この財務省の発表、毎回、見通し数値を低く出して結局は外れるということを繰り返してきた“前科”がある。2年前、2021年2月の発表では、2021年度は前の年度よりも負担率が下がり44.3%になるという「見通し」を出していた。ところが前述のように実績は48.1%の過去最高になった。ちなみに2年前に46.1%になるとしていた2020年度の「実績見込み」も、翌年発表された時の「実績」では47.9%になった。つまり、予想どころか実績見込みですら、大きく外れているのである。

しかも、こうした過少見積もりは毎年繰り返されており、一度として実績が見通しよりも低かったことはない。まさに常習犯なのである。ところが、記者向けブリーフィングで見通しを中心に説明するのだろう。大手の新聞記事は軒並み、見通し数字を報じてしまう。1年後には「誤報」だったことが明らかになってしまうので、さすがに近年は財務省の思惑通りに「低下する」と書くメディアは減ってきた。

なぜ、増税が予定されているこのタイミングで「負担が減る」という見通しを出せるのだろうか。もちろん、財務省にも言い分がある。政府の経済見通しを機械的に当てはめて計算している、というのだ。つまり、そもそも計算の分母になる「国民所得」の政府見通しが過大なため、分子の「租税負担」が若干増えても、負担率は下がるという見通しになる、というわけだ。

今回の発表の場合、「実績見込み」の前提になる2022年度の国民所得は409.9兆円で前の年度に比べて3.5%増えるとしている。2023年度に至っては2.8%増の421.4兆円を前提にしている。高い経済成長が続くというわけだ。

ただし、負担率は下がると言っているものの、税金や社会保障などの負担額が減るとは言っていない。発表された負担率から逆算すると、税と社会保障を足した国民負担の実額は2021年度の実績ベースで190.4兆円。2020年度比5.9%も増えた。これが2022年度は194.7兆円、2023年度は197.2兆円に増えるとしている。負担額が減るわけではまったくなく、7兆円近く増え続けるというのだ。つまり、経済成長が思うようにゆかず国民所得が増えなければ、当然、負担率は上昇する。

それでも財務省は「日本の国民負担率は低い」と言いたいのだろう。毎年、発表する時には「資料」として「国民負担率の国際比較」という図が添付されている。かつては日本の「低さ」を示す資料だったが、最近は様子が変わってきた。かねて日本の負担率は米国より高い。2020年では日本の47.9%に対して、米国は32.3%だ。それでも欧州諸国よりは日本は低いと言われ続けてきたが、2020年では英国の46.0%をも上回った。さらに、ドイツの54.0%やスウェーデンの54.5%といった国の背中が見えてきた。これらの国で国民が高負担に耐えているのは、一方で様々な公費助成が充実している「高福祉」の社会だからだ。

高福祉はないのに高負担

江戸時代の重税の代名詞として「四公六民」あるいは「五公五民」という言葉を教科書で習った人も多いだろう。年貢の取り立てが公5に対して民5、つまり半分を租税として取られるという意味だ。5割に近づいている日本の国民負担率はまさに「五公五民」ということになる。

今年の発表を受けて、東京新聞WEBに良い記事が載っていた。「一揆寸前?令和の時代の『五公五民』は本当か 『国民負担率47.5%』の意味を考える」というタイトルで、国民負担率は高いのか低いのか、を検証している。

その上で、国民所得対比で考えるのは欧米では一般的ではなく、GDP国内総生産)対比で考えるべきだとし、こう書いている。

「日本は社会保障などを借金(国債)に依存しており、財政赤字分も加味したGDP比の『潜在的国民負担率』はコロナ禍前の19年度で35.8%と、福祉が充実したスウェーデンの37.1%に迫る。コロナ禍で財政支出が増えた20年度には、日本が上回った。単純比較ではあるが、日本は、スウェーデンほどの高福祉は受けられない一方、同等以上の負担を強いられていることになる」

決して、日本の国民負担率はまだまだ低いので、消費税率を引き上げても大丈夫だ、という話ではない。それだけの「担税力」が日本国民に残っているのか、という問題でもある。また、この10年で国民負担率がこれだけ上昇したことが、民間の消費や投資を失わせ、経済成長の足を引っ張っている、という見方もある。

国民負担率は、国にどこまでの機能を期待するかという「国家のあり方」と密接に関係する。予算審議が行われている最中の2月に、国民負担率が「見通し」を中心に発表されるのは、決して偶然ではないだろう。大盤振る舞いの予算を通しても、国民の負担は増えませんよ、という魅惑の発表なのだ。だが、そんな甘い見通しのツケはいつか国民に回ってくる。