岸田政権が目指す「労働移動」促進で「構造的賃上げ」は実現するか 30年ぶり高水準で問われる「持続性」

現代ビジネスに5月9日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

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春闘賃上げ高水準でも

春闘の賃上げ率は30年ぶりの高水準となった。だが、足下の物価上昇は続いており、生活改善の実感は乏しい。岸田文雄内閣は、まずは企業が賃上げに踏み切ることが、「構造的賃上げ」につながるとしている。だが、中小企業などは、かなり無理をして賃上げを行っており、来年以降も賃金水準を引き上げ続けられるのか、まだ先が見えない。

労働組合の連合がまとめた2023年春闘の「第4回回答集計」によると、平均賃上げ率は3.69%と、1993年の3.90%以来、30年ぶりの高水準となった。2022年の賃上げ率は2.07%で、これを大幅に上回った。岸田首相が企業経営者らに対して賃上げを求めてきたこともあるが、昨年から本格化している物価上昇に対応して従業員の生活保障をしようとする経営者の配慮などが滲み出る格好になった。物価上昇に背中を押されての賃上げと見ることもできる。

それほどまでに物価上昇は急ピッチだ。総務省が発表した2023年3月の消費者物価指数は「生鮮食品を除く総合」が前年同月比3.1%の上昇となった。1年前の2022年3月は0.8%の上昇だったので、物価上昇が鮮明になった。特に1年前はエネルギー価格の上昇が大きな要因だったため、「生鮮食品及びエネルギーを除く総合」の指数は0.7%の下落だったが、今年3月は逆に3.8%の大幅上昇となった。エネルギーや生鮮食品以外の幅広い商品で価格が上昇していることを示している。

つまり、30年ぶりの賃金上昇と言っても、物価上昇を考えると、実質賃金はさほど上がらないということになる。昨年の2.07%から3月の物価上昇分を単純に差し引くと、実質的な賃上げは1.37%ということになるが、今年の場合は3.69%から3.8%を引くと、実質はマイナスになってしまう。岸田首相が繰り返してきた「物価上昇率を上回る賃上げ」には達していないことになる。

「構造的賃上げ」は持続するか

岸田内閣が言う「構造的賃上げ」は、まずは企業が「分配」を増やして賃上げすることで、消費が増加して、企業の売り上げ増につながる「経済の好循環」が始まるというもの。企業も賃上げ分や原材料価格の上昇分を価格に転嫁することで、業績が改善できるとした。要は賃金引き上げをきっかけに経済の好循環が始まるというわけだ。

新型コロナウイルスの蔓延による経済活動の停滞で低迷していた消費は、2022年春ごろから回復基調にある。総務省の家計調査によると、家計消費支出(2人以上世帯)は2022年4月以降、名目ではプラスが続いている。消費する物やサービスの価格が上昇していることも一因で、消費額全体は増えている。物価を勘案した実質ベースではプラスとマイナスが混在しているものの、消費が急減する気配はない。今年5月からは新型コロナが感染症法上の5類に格下げされるなど経済活動の「通常化」が進んでおり、国内観光地などは大勢の人で賑わっている。

新型コロナの間に旅行などができずに貯蓄が積み上がった、いわゆる「強制貯蓄」分の取り崩しも加わり、消費が盛り上がる可能性は十二分にある。春闘による「賃上げ」が、ひとつのムード作りに貢献したことは間違いないだろう。

問題はこれが「構造的な賃上げ」として持続するかどうかだ。単純に原材料費や人件費のコストを販売価格に上乗せするだけでは、物価上昇を助長するだけで、いつまで経っても物価上昇率に賃上げが追いつかないに違いない。企業収益が改善しない中で賃上げを続けることには限界がある。物価が上昇し続ければ、消費自体を抑える方向に進んで、景気を悪化させることにつながりかねない。

要するに転職すれば

そこで、政府や自民党は、より給与の高い職を求めて「労働移動」が起きれば、「構造的」に「賃上げ」が実現していくとする。給与を上げられる生産性の高い企業に人材を集め、企業収益を向上させれることこそが賃上げを持続させるカギになる。

自民党政務調査会雇用問題調査会は4月25日に「構造的賃上げを実現し、誰もが幸せに暮らせる雇用労働リ・スキリング改革への提言」と題する報告書をまとめた。また、同日、自民党の新しい資本主義実行本部の「リ・スキリング・労働移動・構造的な賃上げ小委員会」からも提言が出されている。

いずれも「賃金上昇を伴う労働移動」に向け支援を行うことが盛り込まれている。より賃金の高い企業に移動できるよう、労働者がスキルを磨き直すことを支援することなどが柱だ。特に後者の小委員会は、日本型のジョブ型雇用システム導入に向けた指針策定や企業による人材関連情報の開示、同一労働同一賃金の徹底などを求めている。

従来、日本の雇用政策は、現在働いている企業にできるだけ解雇させず、雇用を抱えさせることを一義的に考えてきた。新型コロナによる経済停滞の中でも、今年3月まで6兆3000億円に及ぶ巨額の雇用調整助成金が特例措置によって支給されてきた。この結果、諸外国とは違い失業率をほとんど上昇させずに新型コロナを乗り切ったが、一方で労働移動がほとんど進まず、生産性の高い「ポストコロナ」型企業への人材シフトで米国などに大きく出遅れた。

米国のGDP国内総生産)額が新型コロナ前を大きく上回っている一方で、日本がほぼ同水準にとどまっている一因が、労働移動が起きなかったことにあると考えられる。自民党の2つの提言でも雇用調整助成金制度の見直しを求めている。

こうした提言を受けて政府は、6月に閣議決定する「骨太の方針」に、労働制度改革の具体策を書き込む方針だ。果たして、日本の労働の仕組みを抜本的に変え、労働移動を促進して、生産性を向上、さらなる賃金上昇につなげられるかどうかが問われることになる。