「幸せとは何か」ブータン王国レポート(中)

お待たせ致しました。講談社のウェブ「現代ビジネス」にブータン・レポートの続編がアップされました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/8616
編集部のご厚意で、以下に掲載させていただきます。是非ご一読ください。


 「幸せとは何か」を探るブータン王国の旅を続けよう。

 ブータンの時間はゆっくりと流れている。飛行機はスケジュールに従って到着するが、空港から先はブータン時間。分刻みに予定をこなすことなど、あり得ない。

 鉄道のないこの国では移動手段は自動車か徒歩。モータリゼーションが進みつつあるとはいえ、まだまだ徒歩も重要な移動手段で、車が走る山道を荷物を持って歩いている人も多く見かける。外国人観光客はガイドとドライバーを雇うルールになっているので移動に困ることはないが、所要時間はなかなか読めない。

 町と町の間の移動は予想以上に時間がかかる。多くの町は谷間に位置し、高い山々に隔てられているからだ。例えば今回の旅では西部のハという町から空港のあるパロまで移動したが、地図上の直線距離で15キロほどのところに3時間近くかかる。

 というのも標高2700メートルのハからつづら折の山道を3800メートルのチェレ・ラ峠まで登り、そこから2300メートルのパロまで下らなければならないのだ。実際の走行距離は60キロほどだろうか。未舗装でガードレールはなく、もちろん外灯もない道をぶっ飛ばす。ドライバーの腕を信じる以外に術はない。

 ことほどさように、隣の町まで移動するだけで自動車で3〜4時間はかかるというのがブータンの日常なのだ。中部や東部に行けば、いまだに道が無く、自動車が入っていけない村々も多い。今回の取材でインタビューした長官はちょうど地方巡察の出張から帰ったところだという話だったが、1ヵ月近くオフィスを空けていたそうだ。

 そんなブータン時間を感じさせるのがお祭りである。チベット密教ブータンに伝えた聖人グル・リンポチェの布教の様子を再現する法要「ツェチュ」が行われるが、私が訪問した時にはちょうど、最大級のツェチュがパロで開かれていた。

 女性はキラ、男性はゴと呼ばれる民族衣装の正装を身につけ、町の中心にあるゾン(城)に集まってくる。ゾンは寺院と政庁が同居している。女性が着るキラは織物で作られており、非常に高価。観光客の土産用にも売られているが、帯一本が数万円もする。1人当たりGDPが5000ドルに過ぎないブータンの人々にとって、お祭りの日に身に付ける正装は「財産」でもある。

 ひと昔前の日本で、和服や帯が"財産"として代々受け継がれていたのと似たところがある。貨幣経済が十分に浸透していない中で、富の保存手段として発達してきたのだろう。インドなどでは富の保存手段は圧倒的に貴金属である。装飾品として金の腕輪やネックレスを身に着けるケースが多いが、ブータンの女性は圧倒的に織物のようだ。仏教国でもあり稲作文化でもあるブータンは、日本との文化的な共通点が多々ある。

 話をお祭りに戻そう。ゾンの広場では朝から夕方まで様々な奉納舞踊が行われる。もちろん演目のスケジュールもだいたいの時間も決まっているが、パロの人々は三々五々集まっては、また家へと帰っていく。何キロも先から正装を身に付け、歩いてやって来ては、また歩いて帰っていく。広場の片隅で家族が敷物を広げてお弁当を食べている光景も目にする。とにかくゆったりと時間が流れていくのだ。

 チベット仏教特有のラッパやカネの音が、澄み渡る青空にゆっくりと吸い込まれていく。赤いお面を被った道化役の仕草に、時おり笑い声が上がる。メリハリの利いた話の筋立てや、山場の設定に慣れた私たちには時に平板にも感じられるが、時がゆったりと流れる感覚に馴染んでくると、いかにも心地よい。そんなツェチュのお祭りは5日間にわたって続く。

持続可能な成長を求めて

 何百年も前からつい数十年前まで、ブータンの人々は外の世界から隔絶されて暮らしてきた。長い間、ツェチュが最大の娯楽だったに違いない。そんなブータンに、猛烈な勢いで「現代」が押し寄せている。

 1999年に地上波テレビ放送が始まったが、同時にインターネットも解禁された。有線の通信インフラはまだまだ乏しいが、都市部を中心にWiFiが急速に普及しつつある。携帯電話は都市部の住民がほとんど持つようになってきた。通信インフラの普及は、情報や娯楽を急速に変えていくだろう。

 首都ティンプーの街中を歩いても、外食産業はあまり発達していない。ブータン人は総じて粗食だ。トウガラシを油で炒めてチーズをからめた「エマ・ダツィ」がブータンの代表的な料理だが、これを炊いた赤米と一緒に食べる。トウガラシを香辛料としてではなく、野菜として食べるわけだ。日本人からしても、なかなか美味しいが、数十秒後に襲ってくる猛烈な辛さはヒー・ヒーどころの騒ぎではない。その後は胃腸が悲鳴を上げる。

 そんな伝統的な粗食に満足しているブータンの人々がマクドナルドやケンタッキー・フライドチキンといった西洋流の外食に惹かれる日は、遠からずやってくる。

 ブータン政府が、目標としてGNH(Gross National Happiness=国民総幸福度)を掲げる背景には、一気に国を開いた場合、ブータンアイデンティティ、つまり自国の文化や伝統が一気に壊れてしまうに違いないという危機感がある。彼らがGNP(国民総生産)などで測る「成長」を否定しているわけでは決してない。持続可能な成長を続けるために、国を開くスピードをどう調整するか。

 その調整弁を一気に開けば成長は加速するが、一方で伝統は破壊される。一方で調整弁を固く閉め「鎖国」してしまえば、成長は止まり、世界から取り残されることになりかねない。その弁を調節するための表示メーターがGNHなのだ。

 問題は国民の「満足度」がどんなスピードで変化するかだろう。閉ざされた世界の中で、国民に伝統的な暮らしや食文化で満足だと感じさせるのは容易い。だが、空港の整備で外国からブータンを訪れる人が増え、インターネットの普及で情報が流入する中で、これまでの価値観をどう守り続けていくのか。

 現在、ブータンには西部のパロに空港が1つあるだけだが、現在、中部と東部にも空港を建設中だ。パロと西部、中部を結ぶ国内線が就航する予定で、数日がかりだった東部への移動が劇的に容易になる。だがこれは、国民の価値観を一変させかねない都市化を加速させることにつながるのは言うまでもない。大きな変化を迎えようとしているブータン王国はどんな形で「幸福」を追い求めていくことになるのか注目したい。