円高でも「儲かるモノづくり」へ 日本独自の高付加価値化を目指せ

 円高が止まらない。1ドル=77円台で推移しており、製造業の経営者からは「電力不足もあり、このままでは日本にいられない」という悲鳴が聞こえる。確かに、ここまでの円高水準となると、ちょっとやそっとのコストダウンや経費削減では追い付かない。今までのビジネスモデルではやっていけない水準だろう。だからこそ、マーケティング、価格政策をしっかり考えるべき時だ。製造業の経営者が言うように「日本の品質は圧倒的に高い」というのが本当ならば、為替分ぐらい値上げしても売れるはずだ。不採算商品からより高付加価値商品にシフトする好機でもあるだろう。

以下、1日発売の月刊「エルネオス」に掲載された連載の4回目を転載します。
オリジナルは→ http://www.elneos.co.jp/

硬派経済ジャーナリスト磯山友幸の≪生きてる経済解読≫

数字が示す「輸出力」の低下
 政界は混迷し、東日本大震災からの復興も進まない中で、またしても円高傾向が強まっている。七月半ばには再び一㌦=七八円台に突入した。明らかに国力が弱まっているのに円高になるのはなぜかという問題はこの連載でも取り上げたが、足下の円高は日銀が国債引き受けを頑なに否定するコメントを発し続けていることが最大の要因だろう。世界が紙幣を刷りまくっている中で、日本だけが通貨量の増加につながる国債引き受けを否定しているのだから、円は強くなる。
 だが、前回も書いたように、自国通貨が強くなることは基本的にその国の利益になる。ところが日本の場合、円高になったら輸出で食っている日本の製造業が滅び、国民生活は貧しくなるという声が溢れる。円高は日本のモノづくりの危機だというわけだ。
 では、この円高の中で日本の製造業はどうやって生き残っていくべきなのかを今回は考えてみたい。
 しばしば日本は「貿易立国」だといわれる。では本当に輸出で利益を上げてきたのか。貿易の採算を推計するのは難しいが、大雑把に利益率を測るために財務省の貿易統計を使って、輸出入の差額を輸出総額で割った率を使うことにしよう。仮に貿易利益率と呼ぶことにする。輸入したものは輸出のための原材料だけではなく国内消費分もあるので、国内の消費構造が変われば輸出に関係なく輸入は増えるわけだが、ここではこうした変化は考えない。あくまでも大雑把な輸出採算だ。
 これを見ると、一九八〇年代後半から九〇年代半ばにかけて三〇%近くにまで達していた貿易利益率は二〇〇〇年代前半に一八、一九%まで低下、〇五年以降急落し、〇八年にはついに二・五%にまで下がっている。
 一方でこの間に、輸出総額は大きく増えた。九〇年代前半に四十兆円台だった輸出額は二〇〇八年には八十兆円になったのだ。つまり何が起きたのか。
 マクロ数字で見る限り、日本企業は薄利多売に走り、貿易の利益率は大きく低下したということだ。
 日本企業が儲けなくなった姿は別の統計にも現れている。同じ財務省の法人企業統計で企業が生み出した付加価値を売上高で割った「付加価値率」だ。製造業だけ抜き出してみると、九〇年代半ばには二五%前後あったものが二〇〇〇年以降二〇%前後となり、〇八年には一六・六%にまで下がった。輸出で儲からなくなったことが企業の付加価値の減少に結びついているのは明らかだ。
 円高局面で輸出品の薄利多売はなぜ起きるか。ドル建てなど現地通貨建てで輸出品を売っている場合、円高になればその分、現地価格を引き上げなければ円建ての収入は目減りする。品質に自信さえあれば現地で値上げをして儲けを確保することができるはずだ。
 逆を考えてみれば分かる。ドイツの高級車の日本での販売価格は為替でかなり大きく変わる。円高になった時は日本の高級車よりも割安な水準にまで下がったが、ユーロ高が進むと値上げした。日本車より安いからとドイツ車に飛びつく消費者は少なく、値上げしたからといって売り上げが激減するわけでもない。つまり、ドイツの高級車は価格だけで勝負していないのだ。
 要は、これと同じことを日本の輸出企業も海外でできれば一定の利益率は確保できるはずなのだ。日本企業は「品質で勝負している」と言ってきた。それならば、円高分は値上げするという姿勢を貫けたはずなのだが、現実はデータが示すように、そうはなっていない。
 もうお分かりだろう。日本の製造業が生き残っていく道は「高付加価値」の製品に特化していくことなのだ。もし中国製品と価格競争で打ち勝とうとすれば、人件費などのコストを中国企業以下に引き下げなければ勝てないのは自明だ。付加価値の低い製品で中国やベトナムと競争すれば、日本企業は労働者の賃金水準を中国やベトナム人並みにまで引き下げなければならなくなる。
 同じ仕事をしていながら正社員より給与が低く、保証もない派遣労働者がここまで広がってしまったのも、ワーキングプアが社会問題になったのも、日本企業が高付加価値戦略に舵を切り損なったから起こった問題だと見ることができる。規制緩和など改革のせいにする人が多いが、そもそもの日本の産業政策と企業の経営の失敗から必然的に起きた結果だといっていい。

高付加価値製品が日本を救う
 では付加価値製品への特化とは何だろうか。もう一つ分かりやすい例を挙げよう。スイスの時計産業だ。七〇年代から八〇年代にかけて、日本メーカーのクォーツ時計が世界を席巻したことで、スイスの輸出産業の雄であった時計産業は大打撃を蒙った。その時にスイス企業が舵を切ったのが徹底した高付加価値化だった。ローレックスやオメガといった高級ブランドは価格で勝負しているわけではない。中には乗用車一台分と同じ価格が付いた超高級時計ブランドまで生まれた。
 もっとも、高付加価値製品とは必ずしも高級品とは限らない。時計のスウォッチは数千円から買えるプラスチック製の低価格品だが、デザインの独自性などで人気があり世界中にファンを作った。価格が低くても儲けが大きい、つまり利益率が高ければ、立派な高付加価値商品なのだ。
 ブランドやデザイン、技術などによって、実際にかかっているコストを大きく上回る価格設定ができるかどうか。そして、類似品との価格競争に巻き込まれないかどうかが、高付加価値化戦略の基本だ。日本企業が生み出すモノには外国企業が作れない独自の付加価値がまだまだある。世界で「ジャパン・クール」と言って人気を博すモノはたくさん存在する。「儲けるモノづくり」への転換が日本の製造業の未来を開く。