円安がプラスだという思い込みは危険 日本の産業構造はすでに大きく変わっている

日銀の追加緩和を引き金に円相場は一気に1ドル=114円台を付けました。七年ぶりの円安水準です。円安によって輸出企業の採算は大きく改善していますが、日本からの輸出数量は増えていません。やはり日本の産業構造は大きく変わっていたのです。月刊エルネオスの解説コラムです。オリジナルページ→http://www.elneos.co.jp/

Jカーブ効果」の誤算
 東京外国為替市場で十月一日、円が大きく売られて円安ドル高となり、一㌦=一一〇円台を付けた。一一〇円台を付けたのは二〇〇八年八月以来約六年一カ月ぶりのことだった。急速な円安に対して、経団連榊原定征会長は「これ以上の円安は日本全体にとってマイナスの影響が大きくなってくる」と懸念を示していた。産業界は円高が日本企業の足を引っ張っていると言い続けてきたが、今度は円安になってもマイナスだと言っているのだ。果たしてどちらが本当なのだろうか。
 円安になれば輸出が増えて製造業が潤うというのが、アベノミクスで円安が始まる前の産業界の主張だった。経済産業省も日本の家電製品や半導体、液晶パネルなどが苦戦して電機メーカーが軒並み赤字に転落したのは行き過ぎた円高のせいだとして、企業を支援する政策をとってきた。要は日本の電機産業が危機に瀕しているのはひとえに為替の影響だとしてきたのである。だから、為替さえ円安になれば、日本製品が競争力を取り戻し、輸出が大きく増えて、再び輸出産業が稼ぎ頭になると考えられてきたのである。
 一二年末に就任した安倍晋三首相のアベノミクスによって大胆な金融緩和が始まり、急速に為替は円安になった。一一年十月に付けた一㌦=七五・七八円を最高値に、その後は一気に円安になった。これで製品が競争力を取り戻し、一気に輸出が増えるはずだったが、現実はなかなかそうはならなかった。
 経産省は当初、為替が円安になった場合、初めは輸入価格の上昇などで輸入額が増えるが、その後、輸出が増えると説明していた。輸出から輸入を引いた貿易収支は、初めのうちは赤字が拡大するが、しばらくして輸出増の効果が出れば赤字は縮小し、いずれ貿易黒字になるとしたのだ。貿易収支を縦軸、時間を横軸にとってグラフを書くとちょうど「J」のようになるということから、「Jカーブ効果」と呼んだ。だが、そのJカーブ効果がなかなか出ず、貿易赤字が続いているのだ。経産省の官僚の間からも、「Jカーブ効果は出ないのではないか」という声が強まっている。

日本は輸出立国ではない
 なぜ、そんな誤算が生じたのだろう。
 一つは、円安になったことで輸入額が大きく増えたこと。特にLNG(液化天然ガス)や原油などのエネルギーの輸入代金が大幅に増加している。一方で、それを賄えるだけ輸出が増えなかったため、貿易収支の赤字が続いているのだ。今年八月の貿易収支は九千四百八十五億円の赤字で、前年同月の九千七百十四億円とほぼ同水準の赤字だった。月間の貿易収支が赤字になったのは二年二カ月連続である。エネルギーの輸入代金が増えているのは原子力発電所の稼働が止まっているためだという解説がなされるが、必ずしもそれだけではない。原発が動いたからといってすぐに貿易黒字になるという情勢ではない。
 貿易赤字の最大の原因は輸出が思ったほど増えないことだ。今年上半期(一〜六月)の統計に、それははっきりと表れている。例えば日本から輸出した自動車は五兆千四百七十六億円と前年同期比四・五%増えたが、数量は二百七十七万台と二%減っている。つまり、円安によって金額が増え、輸出採算は大きく好転しているとみられるものの、数量は決して増えていないことが分かる。円安が始まって二年たっても、なかなか輸入量が増えてこないというのが現実なのだ。
 それはなぜか。
 実は、日本はもはや輸出立国ではなくなっていたのである。長く続いた円高の間に、企業は製造拠点をどんどん海外に移し、日本から輸出するのは採算の良い高付加価値製品にシフトしていた。こうした製品はもともと高くても売れる競争力の高い製品だった。つまり、円高になっても外貨建ての価格を値上げできるような製品になっていたのである。逆に言えば、円安になってそのぶん値段を下げたからといって、輸出量が爆発的に増えるようなモノではないのだ。
 円高だから会社の経営がうまくいかないと言っていた電機メーカーなどは、自らの経営の失敗を為替のせいにしていたと言えるかもしれない。今度はそれが解消され、円安になっても輸出が増やせず、利益もなかなか上げられない。自らの経営力のなさを露呈することになったわけだ。

拡大する“円安差損”
 今、製造業が円安に苦言を呈し始めたのは、円安になれば輸入原材料の価格が上がるからだという。だが、現実には、自らの製品に価格だけではない品質などでの競争力があれば、コスト増分を価格に上乗せしても売れ行きは落ちない。もちろん急激に為替が動くことによって、値決めした段階と決済した段階の為替レートが食い違い、一時的な損失が生じる懸念もある。そういう意味では、為替の高安ではなく、安定が重要だという経営者の声は噓ではない。
 貿易に直接関係する輸出型製造業だけでなく、広く日本経済全体で見ると、さらに輸出立国でなくなっていることが分かる。外食や小売りなど、サービス産業のウエートが大きくなっているのだ。輸出に関係のない内需型産業でも、さまざまな必需品を輸入に頼っているケースが多い。外食産業の食材などは典型だ。上半期の統計を見ると、肉類の輸入量は百二十五万㌧と前年同期比四・五%増え、金額ベースでは六千九十七億円と一〇・一%増えた。野菜も数量で六・三%増、金額で九・二%増えている。数量増よりも金額のほうが大きくなっているのは、為替が円安になっていることが大きいとみられる。
 日本ではほとんど産出しない原油やLNGなどエネルギーだけでなく、食品や原材料などの輸入金額が円安によって大きく増えていく構造になっている。つまり、円安になるとコストがアップし、マイナスになる業種が大きく増えているのである。
 円高はマイナス、円安はプラスという発想は、モノづくりが中心だった高度経済成長期の遺物になっていることが明らかになったのだ。官僚や大企業の経営者が考えている以上に、日本の産業構造はすでに変化しているのである。