牛肉の失敗をコメで繰り返すな。徹底的な検査と流通監視でデータを示し消費者を守ることこそ、生産者の利益につながる。

8月3日にアップされた「現代ビジネス」の記事を再掲します。
講談社現代ビジネス→ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/14437 


 コメの収穫期を迎えて、主食であるコメの放射能汚染問題が急速にクローズアップされている。東京電力福島第一原子力発電所の事故で飛散した放射性物質は、当初想定されていた以上の広い地域で農作物や土壌の汚染を引き起こしている。果たしてこの秋収穫するコメは安全なのか。消費者の関心が急速に高まっている中で、今度こそ、消費者を第一に考えた検査、情報開示、流通管理が求められている。

 コメでは牛肉の失敗を繰り返してはならない。稲ワラを食べさせた牛肉から国の基準値を大幅に超える放射性物質が検出されたのも、食物連鎖を考えれば当然の帰結だった。事故直後から想定できた事態だが、対応が遅れ、汚染された牛肉が全国へ出荷され消費されるという事態に発展した。生産地の牛肉は出荷が停止されたが、消費者の牛肉買い控えは一気に広がり、畜産農家は大打撃を被っている。長年かけて培った肉牛のブランドが一気に揺らぐ事態に直面しているのだ。

 原発事故後にお茶の葉から放射能が検出され、乾燥させた荒茶からはさらに高濃度のものが検出された。屋外にあった稲ワラの放射能汚染が問題になることは十分に想定できることだった。だが、誰もそれを公に口にできなかった。なぜか。

風評被害打破」というムードが実態把握を遅らせた

 「風評被害を恐れる余り、予見的なことは一切言えなくなってしまった」と農水省の官僚は言う。

 農水省は戸外の稲ワラを食べさせないように通達を出したが、メディアなどに大きく取り上げられるのを避けたため、結果的に畜産農家に周知徹底できなかったという。

「牛肉からも放射性物質が検出される恐れがある」と言えば「風評被害だ」となり、生産者から大きな批判を浴びることを恐れた、という。農水省という役所が消費者ではなく、農協や農家を向いて仕事をしているのは今に始まったことではない。多分に言い訳の面もあるが、風評被害打破という一時のムードが冷静な実態把握を遅らせた事は否定できないだろう。

 稲ワラから高濃度の放射性物質が検出されたことから連想すれば、人間が食べる今年の新米は大丈夫か、という話になるのは当然だ。役所の中でもそれを心配する声は早い段階からあったが、結局、世の中が騒ぎ始めるまで動くことはできなかった。これも風評被害批判を過度に恐れたためだ。

 農水省は8月1日になって、東日本の都道府県に対して、具体的な放射性物質の検査方法を指示することを表明。鹿野道彦農林水産相は2日の閣議後の記者会見で、「コメは日本の主食だから、消費者は当然安全を求めている」と述べた。関東近県では早場米の収穫が迫っており、まさにギリギリのタイミングだ。

 農水省の方針を受けて、秋田、山形、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、新潟、山梨、長野、静岡などの都県が検査実施を決定。空間放射線量が毎時0・15マイクロシーベルトを超える地域のコメについて、収穫前と収穫時に放射性物質の測定を行う方針だ。測定結果が出るまで出荷を自粛する一方で、国の暫定規制値を超える数値が検出された場合には、出荷停止の措置を取る方針だという。

 対応がギリギリになったことで、収穫したコメの全量を検査する体制を整えることは難しい見込みだ。サンプル調査になると思われるが、それで消費者の信頼が得られるかどうか。

 放射性物質の飛散の仕方を考えれば、同じ県でも地域によって汚染度合は大きく違うだろう。その時、どういう単位で出荷停止措置を取るのか。畑単位か、市町村単位か、県単位かも問題になる。消費者の不安を払しょくするには徹底した検査と詳細なデータの公表が必要だが、短期間で果たして準備できるのか。

急上昇する昨年産の米の価格

 そんな消費者の不安を象徴する動きがすでに出始めている。業者間取引での昨年産米の価格が異常に上昇しているのだ。民間の調査会社「米穀データバンク」がホームページで公表している業者間の自由米相場によると、3月に1万2400円だった秋田県あきたこまち(玄米、60キロ当たり)は、4月以降上昇を続け、7月には1万8600円を付けた。また、新潟産コシヒカリも1万9100円から2万6800円に上昇している。1.4〜1.5倍という猛烈な上昇率だ。

 価格が上昇しているのは、原発事故による2011年産への影響や、今年のコメの需給が読み切れない中で、2010年産を多めに確保しておこうという業者の先読みの結果だという。消費者の間でも原発事故前に収穫した2010年産への需要が高まっているという。仮に、新米から放射性物質が検出されることになれば、そうした傾向は一気に広がるだろう。

 加えて、台風や大雨の影響で、コメの作柄がどうなるかも不安感が増している。今後、コメの価格は大きく変動する可能性が高い。

 これは偶然なのだが、8月8日からはコメの先物取引東京穀物商品取引所で始まる。これまで基本的に相対取引の実需に基づいて取引されてきたコメに、投資資金が流入することになるわけだ。投資資金の流入は売買の厚みを増し、先物取引は生産者側のリスクヘッジ手段になるなどメリットも大きい。だが、原発事故で平常時とは言えない中で投資資金が市場に入った場合はどうなるのか。相場が乱高下することになりかねない。

 コメの放射能検査を徹底的にやることになったとして、消費者の安全を第1に考える場合、汚染米の流通を食い止める手立てが必要だ。実は、これも偶然なのだが、7月1日から新しい制度が動き出している。「米トレーサビリティー制度」がそれだ。

 従来なら外食チェーン店で食事をした際、出されたご飯の産地がどこか、分からないのが普通だった。ところが7月以降、産地表示が義務付けられたのだ。これは弁当やおにぎりのほか、もちやせんべいなどの加工食品も対象になっている。

安全はデータで示すしかない

 もともとは、2008年に輸入した農薬汚染米などの「事故米」が外食産業などに不正転売されていた事件をきっかけに作られた制度だ。昨年秋から産地情報の記録が義務付けられ、7月から外食や加工品にも「国産」「タイ産」「新潟県産」といった産地表示が必要になった。

 「国産」とのみ記載することも可能だが、県単位での表示も認められている。消費者の安全志向に気を配る企業ほど、今後は産出した都道府県の表示が広まるだろう。

 もともと、米トレーサビリティ制度は輸入米に反対する人たちが導入に積極的だった。それが、国産の"事故米"で力を発揮することになろうとは、何とも皮肉だ。

 だが、本音はともあれ、建前は消費者の食の安全を守るためにできた制度だ。これをフルに活用して、日本の主食の信頼性を維持することが大事だろう。

 不幸にも汚染されてしまった農地は、農産物の拡散を食い止め、徹底した除染を行うことだ。時間がかかる分、国や県による財政援助は不可欠だろう。だが、国民に安全性を納得してもらうには、風評被害だと「情」に訴えるのではなく、安全だという「データ」を示すほかない。遠回りのようだが、それが生産者に対する信頼を回復し、生産者の利益にもつながることになる。