国民負担の責任は頬被り。エルピーダ破綻で明らかになった経産省「官僚たちの夏・再び」の罪

 わが家の近くに証券会社の社長だった方の未亡人が住んでいます。「うちの亭主は相場師だったからね」といって笑っておられますが、リターンを求めてリスクを取る昔ながらの経営者だったことがお話から分かります。最近の日本の大企業はリスクを取らないことで生き残ったサラリーマンが経営者になっています。そのせいか企業は内部留保を溜め込み、雇用も減らし、身を縮めて、まったくリスクをとらなくなりました。経営者が不甲斐ないというのは疑いのない事実だと思います。だからと言って、国が資本を出し、官僚が経営に口を出すことが良い結果を生むはずはありません。エルピーダの失敗を経産官僚は猛省すべきでしょう。
以下、編集部のご厚意で拙稿を再掲させていただきます。
オリジナルページ「現代ビジネス」 →  http://gendai.ismed
ia.jp/articles/-/31988


 半導体製造のエルピーダメモリが2月27日、会社更生法の適用を東京地裁に申請し、破綻した。負債総額は約4480億円と、製造業としては過去最大である。同社は日立製作所日本電気DRAM事業を統合して誕生、その後、三菱電機DRAM事業も譲り受け、わが国唯一のDRAM専業メーカーとなっていた。シェアは世界3位だったが、サムソンなど韓国メーカーとの競合に破れた。

 2009年には経済産業省が主導して産活法(産業活力再生特別措置法)による支援を決定。公的資金300億円が投入された。政府が一般企業に公的資金を注入した第1号として注目されたが、結局、経産省お声がかりの「日の丸半導体」はわずか2年半で失敗に終わった。

 問題はこの破綻によって国民負担が生じる可能性があることだ。経産省によるエルピーダ支援スキームでは政府系の日本政策投資銀行の投資(出資)分の8割と、危機対応融資の5割については、やはり政府系の日本政策金融公庫に損失補填を求めることができる仕組みになっている。何段階も政府系金融機関が挟まることで解りにくくなっているが、この補填分が実質的な国民負担となる。

 政投銀はエルピーダ優先株284億円を保有、危機対応融資も100億円行なっている。284億円の8割に相当する227億円と100億円の5割である50億円の合計、277億円が国民負担になる可能性があるわけだ。

 新聞報道によると、安住淳財務大臣は記者会見で「何らかの形で返済を」と述べたという。当然である。いち民間企業の損失を国民の税金で穴埋めするなど前代未聞だからだ。だが、産活法という法律に従って行なった投融資だけに、そう簡単に優先的返済されるわけではない。実際、会見での発言はしどろもどろだったようだ。「(業界内で)一定のシェアは現在も持っているので、きちっと再生をしてもらい、何らかの形で、納税という形になるかもしれないが、返してもらうというか、息を吹き返してもらい、国民へ貢献してもらいたい」というのである。

 では私企業の破綻による損失の責任は誰が負うのか。エルピーダの救済スキームを主導したのは明らかに経産省である。経産省事務次官や担当の局長は損失の責任を負うのだろうか。それとも、政府系金融を握る財務省に泣きついて、国民負担と目に見えない格好で損失処理をするつもりだろうか。

 経営破綻の一義的な責任が経営者にあることは言うまでもない。だが、特定の企業や産業を支援するという目的で資金を提供し、陰に陽に経営に関与することを国としてやるべきだったのだろうか。

 民主党政府の成長戦略の土台となった経済産業省の産業構造改革政策は、積極的に国家が関与することで、輸出産業を伸ばすというものだ。経産省幹部は「国家が輸出産業を支える重商主義の時代が再びやってきた」と言っていた。日本で同業種の会社の数が多く、価格を叩きあっているから儲からない、というのが長年の経産省の見立てで、そのためには同業種の合併を促進しなければならない、としてきた。

 お気づきの通り、エルピーダはそんな経産省モデルの第1号といってもいい存在だったのだ。

 ここ数年、経産省の幹部の間には「民間は不甲斐ない」という思いが蔓延している。学生時代に自分より成績の悪かった同級生が役員になっている企業を見れば、「あいつより俺の方ができる」と思うのは人情ではある。経産官僚の間には、日本企業を立て直すには俺たちが引っ張っていくしかない」という思いが強まっているのだ。

 まさに、高度経済成長を支えた通商産業省(現経済産業省)の官僚をモデルにした城山三郎の小説「官僚たちの夏」の世界である。2009年に再びテレビドラマ化されたこともあり、経産省内には「官僚たちの夏・再び」といったムードが広がっているのだ。

 高度経済成長期にある発展途上国ならばそれでもいいだろう。だが、資本を調達する市場も整い、金融機関も潤沢な融資資金を抱える今の日本にあって、役所が口を出せばどうなるか。過保護な政策がますます企業経営を弱体化させるだけのことだろう。

「うちの業界はお上に何の補助金ももらっていないから世界で闘えるまで強くなったんだ」---。かつて電子部品会社の創業者がそう語っていた。バブル期前の「円高不況」と呼ばれた80年代、鉄鋼各社には通産省の官僚が天下っており、見事なまでに各社の国内シェアは一定で、"業界秩序"が守られていた。その後は需給に業界再編がすすめられたが、結局は世界に伍して闘っていける十分な力が付かず、業界としては世界の成長を取り込むことができなかった。電子部品会社の創業者をそんな役所の支えに頼っている経営陣を批判したのだ。

 それから30年たって、国に頼らないと言っていた企業が軒並み政府の支援を当てにするようになった。家電に対するエコポイントやエコカー補助金も、言ってみれば国民の税金を使った支援策だ。その究極が、国による出資まで受けたエルピーダだったのである。

 担当した経産官僚たちは、「ここまで円高が進むとは想定できなかった」と言い訳するに違いない。だが、経営者の責任は外部環境の変化で免責されるものではない。すべて結果責任が問われるのが経営だ。

 財務官僚のOBは「円高が大変だと言っているが、実質実効為替レートでみれば、90年代半ばのような円高水準にあるわけではない。経営が甘いのだ」と切り捨てる。そんな甘い経営を許してきたのも、国による過保護な産業政策があったからではないのか。

 エルピーダの支援を巡っては、経産省の現役官僚で当時、計画策定に携わっていた木村雅昭・元審議官をエルピーダ株を妻名義の口座で売買したインサイダー取引容疑で東京地検特捜部が逮捕する不祥事まで明らかになった。国が私企業の支援に携わればロクな事が起きないということを、身をもって証明したとも言える。「官僚たちの夏」は百害あって一利なし。経産省の政策転換が求められるべきだろう。