意地でも原発規制を手放さない 霞が関が嫌う「独立規制機関」

政府が設置法案を出している原子力規制庁の独立性を高めた自民・公明の対案が早ければ今週末にも国会に提出される見通しです。原発を再稼働させるなら、その安全性に目を光らせる規制機関は、きちんと独立性の高い組織にしなければならないのは当然だろうと思います。原発推進と安全規制がない交ぜになったこれまでの国の体制が問題であることは与野党ともに認めているのですから、国民が納得できる機関を作るべきでしょう。

硬派経済ジャーナリスト・磯山友幸
≪生きてる経済解読≫連載──⑫
エルネオス→ http://www.elneos.co.jp/

独立組織は国際的ルール
 政府が四月一日から発足予定の「原子力規制庁」が野党などの反対で難航している。政府が提出した法案では、規制庁を環境省の外局としたことから、それでは独立性が不十分だとして自民党など野党がこぞって反発しているのだ。規制組織の独立性をめぐって与野党が対立している構図だが、実は民主党内閣が提出した法案の背後には、独立規制機関の発足を徹底的に嫌う霞が関の存在があるのだ。
 そもそも原子力規制の独立性はなぜ重要なのだろうか。今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故で国民が痛切に感じているように、原発の安全性を疎かにした場合のツケは非常に大きい。本来、原子力規制は「安全第一」の立場を貫くことが重要で、原発推進とか、電力受給とか、経済性を第一に安全を犠牲にすることがあってはならない。だから、原発を推進する役所や政治家、電力会社などの影響を受けない独立組織でなければならないというわけだ。これはIAEA国際原子力機関)が定める国際的なルールでもある。
 ところが日本はどうなっていたか。原子力政策を推進してきた経済産業省の傘下にある原子力安全・保安院(以下、保安院)が、原発の安全規制を一義的に行ってきた。経産省は、電力など国のエネルギー政策を担当する資源エネルギー庁も傘下に持つ。つまり、原子力を推進する組織と、その安全管理を担う組織が渾然一体となっていたのだ。
 しかも組織運営の独立性も乏しかったことは人事が物語っている。東日本大震災後に保安院のスポークスマンとして記者会見を行った西山英彦・審議官(当時。その後、スキャンダルで更迭)の例が典型だ。同氏は経産省の官僚で、保安院の企画調整課長、資源エネルギー庁の電力・ガス事業部長、経産省通商政策局審議官などを務めた。つまり、原子力事業を推進する立場と、安全管理の立場を行ったり来たりしていた。こうした安全規制組織の独立性のなさが、今回の原発事故を防げなかった一因でなかったのかという疑問が生じていた。
 また、保安院とは別に内閣府には原子力安全委員会が置かれ、ダブルチェックすることになっていたが、役所の審議会と権限は変わらず、機能しなかった。同委員会は二〇〇六年に原発事故に備えた防災重点区域の拡大を検討したが、保安院が反対し、断念した事実が最近明らかになった。当時、保安院長だった廣瀬研吉氏が委員との昼食会で「なぜ寝た子を起こすのか」と強い口調で中止を求めたという。廣瀬氏は旧科学技術庁出身の官僚で、原子力安全委員会の事務局長も務めたことがある人物だ。
 さらに原子力関連規制では、文部科学省も規制権限を持つ。事故後にデータが公表されず問題になったSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)も文科省の管轄だ。こうした規制組織がバラバラである問題点も、東日本大震災後に浮上した。
 政府も大震災後、早い段階から問題を認めて、独立性の高い規制組織の創設を表明していた。ところが、出てきた法案は、新組織を環境省の外局とするというもの。これに野党が嚙みついたのである。
 理由はこうだ。新組織は従来の保安院が母体となるため、単に置き場所が経産省傘下から環境省傘下に変わるだけではないかというのだ。まして環境省霞が関内でも弱小官庁のため、経産省の植民地になりかねない。政府は人事の独立性を高めるとしたが、一部の幹部を除いて、経産省など旧来の規制官庁からの出向者で占めることとなった。スタート当初は保安院があった経産省の建物の中に新組織を置くという話すらあった。これでは、原子力政策を推進する経産省からの独立性など確保できるわけがない。
 もう一つ野党が指摘するのが、政治からの独立性の乏しさである。今回の事故では、菅直人首相が原子炉の「ベント」や「注水」といった現場の判断にまでいちいち口を挟んだことが、検証で明らかになりつつある。本来、こうした現場の危機対応は専門家に事前に権限を委ねておくのが国際的な常識。大臣を置けば、原子力には素人の政治家が口を出すリスクが増す。

「三条委員会」は民主党が主張
 では、福島の悲劇を繰り返さないためにも、どうすれば規制機関の独立性が確保できるのか。野党は「三条委員会」を主張している。実は野党時代の民主党原子力規制を「三条委員会」方式にすべきだと主張、議員立法の法案を三度も出していた。
 三条委員会とは何か。国家行政組織法三条に基づく委員会のため、こう呼ばれる。公正取引委員会国家公安委員会などがこれで、委員の任命には国会の同意が必要なほか、他の行政組織からは独立している。規制権限のほか、人事権や許認可権を委員長が持ち、行政や政治からは影響を受けない仕組みだ(国家公安委員長国務大臣が就く)。
 ところが、この「三条委員会」に条件反射的に反対する組織がある。霞が関だ。自らの官庁の権限が及ばない領域ができることに無条件で反対する。環境省の外局ならば、人材を送り込むことで原子力分野に関する実質的な規制権限を温存することは可能だが、三条委員会となれば、それを手放すことになりかねない。いうまでもなく原子力には巨額の予算が付いている。予算があれば官僚のポストも多い。また、天下り先になる外郭団体も豊富にある。規制を手放せば、そうした“利権”を手放すことになりかねないのだ。
 民主党内閣は「三条委員会」には反対だという。自ら主張していた三条委員会方式をなぜ反故にするのか。細野豪志環境相原発事故担当相は国会答弁で「あれだけの事故が起こって、事故全体の責任を政治が負わなくてどうするのか」と答えている。つまり、大事故の際には政治がリーダーシップを取るべきだというのだ。三条委員会ではイザという時に政治のグリップがきかないという官僚の意見を鵜呑みにしているのだ。「脱官僚依存」を掲げていた民主党政権は、今や霞が関の思うがままになっているようにみえる。