「AIJ」を省益拡大の具にするな

AIJ投資顧問の巨額年金資金消失事件は、起こるべくして起きた事件です。同じような規模の年金消失が相次ぐかどうかは別として、多くの基金がAIJに投資していた基金と同様の問題を抱えています。これを機に年金運用のあり方について、もっと議論が盛り上がることが大事でしょう。
FACTA4月号の原稿を編集部のご厚意で以下に再掲します。

オリジナルページは→ http://facta.co.jp/


年金基金の常務理事の多くが運用の「素人」なのは業界の常識だ。2千億円近い受託資産のほとんどを“溶かした”(消失させた)AIJ投資顧問事件は、起こるべくして起きたと言っていい。そんな「素人」に高リスク運用を任せるべきではないと、年金運用の規制強化論が浮上した。規制強化となれば役所の出番。金融庁基金を所管する厚生労働省も、ここが出番とばかり腰を浮かしている。

厚労省はさっそく「AIJ問題対策特別プロジェクトチーム」を設置。基金の運用体制や今後の運用のあり方について調査・検討を始めた。金融庁周辺からも金融商品取引法で年金基金を「プロ」の機関投資家として扱っているものを、個人投資家並みの「素人」として扱うべきだ、という声が上がる。要は、従業員から預かった貴重な年金資産を、危険な金融商品に投資させるべきではない、というムードなのだ。

年金基金には1996年まで「5・3・3・2」規制と呼ばれた運用制限があった。国債など元本保証のものを5割以上、株式は3割以下、外貨建て資産も3割以下、不動産は2割以下にしなければならないというものだった。運用委託先も生命保険会社や信託銀行が中心で、投資顧問を使った運用は制限されてきたのだ。

世界的に低金利化が進む中で、従業員に約束した年金を将来支払うためには高い運用利回りを確保しなければならない。それにはこの規制は邪魔だということで撤廃された。ところが、AIJ問題が発覚して以来、再び「5・3・3・2」のような規制を導入すべきだ、という声が上がる。

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年金基金に運用のプロを置くことを義務付けるべきだという意見もあるが、これは難しい。「日本にはプロと呼べるような運用の専門家は多くない」(投資顧問業界の幹部)のが実情だからだ。

厚労省は2009年5月時点で全国に614あった厚生年金基金の3分の2に当たる399の基金に、旧社会保険庁など国家公務員のOBが646人も天下っていたことを明らかにした。多くが常務理事や事務局長で、運用委託先の選定に大きな権限を持っていたが、むろん年金制度に精通していたとしても運用のプロではない。

企業単独の基金の場合、経理部や財務部のOBが常務理事などに就くケースが多く、運用にまったくの素人ということはない。ところが総合型と呼ばれる業界や地域でまとまって設立した基金ではそうした人材に乏しく、格好の天下りポストになっていた。新聞紙上に「素人批判」が盛んに出たうえに天下り問題まで出るに及んで、厚労省内には金融庁が利権を荒らしに来たと捉える向きすらある。

だが、今回の問題を「運用規制の強化」や「素人」問題に帰するべきではない。本質は年金基金のガバナンス(統治)にあるからだ。

コーポレート・ガバナンス(企業統治)問題の第一人者である久保利英明弁護士が、かつてカルパースカリフォルニア州職員退職年金基金)の理事会を傍聴した時のことを語っていた。ホールの舞台で理事会を行い、傍聴席には基金加入者なら誰でも入れるのだそうだ。理事会が運用方針を事細かに説明すると傍聴席からも質問や意見が飛び出す。これを一日がかりで行っていたというのだ。

日本の基金では、加入者に細かな運用先を示したり、意見を求めたりすることは稀だ。AIJのケースでも委託していた基金の加入者はほとんどAIJの名前すら聞いていなかったに違いない。

今回の問題が発覚して、厚労省はAIJに運用委託していた基金のデータを開示したが、肝心の基金名はすべてアルファベット。委託基金が全国で84あり、委託総額は1852億円にのぼること、なかには年金資産の57%を委託していた基金もあったことなどが明らかになったが、具体的な基金名が一部明らかになったのはメディアの報道によってだった。つまり、加入者はニュースを見ても、自分の加入する年金基金が関係しているのかどうか、まったく分からなかったわけだ。

基金の運用内容や運用結果について公表させるディスクロージャー(情報開示)制度もない。基金は加入者のもので「公器」ではないという扱いなのだ。年金資金を受託している投資顧問会社の情報開示もお粗末だ。AIJも同業他社からの通報で金融庁が検査に入ったが、なかなか運用の実態がつかめなかったのも継続的な情報開示の仕組みがないせいだ。日本の基金の場合、加入者や世の中が基金の運用実態をチェックしようにも、情報量が圧倒的に少ないのだ。

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運用に対する加入者のチェックも機能しない。運用の利回りが目標を大きく下回ったり、損失を出した場合でも、運用担当の理事が責任を問われることは稀だ。リーマン・ショックによって、慶応義塾などいくつかの大学で多額の運用損を出し、責任者が辞任に追い込まれた。年金基金も同様に多額の損失を出したところがあるはずだが、責任問題が報じられた例はほとんどなかった。

基金の理事は運用のプロではないかもしれないが、他人の資金を適正に預かり、管理する義務は負っている。また、多額の資金を預かっているにもかかわらず、基金には外部の公認会計士による会計監査が義務付けられていない。自主的に監査を実施している基金もあるが、ごく少数だ。要は、ガバナンスを効かせる仕組みがまったく整備されていないのである。

AIJでは多額の資金がケイマン籍ファンドに投資されていたというが、運用の実態が見えない「ブラックボックス」が活用されていたのは、オリンパス事件での損失隠しと同じ構図だ。国内の匿名事業組合なども含め、情報開示制度の不備が悪用されているのだ。

規制を強化して自らの手の平の上で活動させたいというのが役所の常だ。だが、年金運用が世界の市場を相手にして行われている実情を考えれば、規律を働かせるのは徹底した透明化、つまり情報開示しかないだろう。

年金運用はすべて安全資産に限るというのは耳に心地よい。運用規制を強化すれば、確かに「素人」でも安心して理事が務まるだろう。だが、それではますます年金運用の人材は育たない。国債が安全資産と言えるかどうか。ギリシャを見ずとも明らかではないか。