河合江理子・京都大学教授 「スイス在住を経て」 第3回

「スイス・ビジネス・ハブ(スイス企業誘致局)ニューズレター 連続インタビュー
2012年6月号
聞き手:元日本経済新聞社チューリヒ支局長磯山友幸
スイス企業誘致局→http://www.invest-in-switzerland.jp/internet/osec/ja/home/invest/jp.html

スイスと言えば国際機関。ジュネーブには国際連合の様々な機関が集まっているほか、ローザンヌには国際オリンピック委員会チューリヒには国際サッカー連盟といった具合に、スイス各地に存在する。永世中立国として政治的に中立を保っていることが一因だが、世界中から優秀な人材が集まっているというスイスの特長も背後にある。そんな国際機関の1つである国際決済銀行(BIS)に長年勤め、バーゼルに住んだ経験を持つ河合江理子・京都大学高等教育研究開発推進機構教授に話を伺った。

  スイスとのご関係は。
 河合 1998年にBISの職員年金基金の運用責任者として採用されました。それ以前はポーランドワルシャワ国営企業民営化の仕事をしていました。BISでは基金の運用方針を決めていましたが、そのほかにも、各国の中央銀行の外貨準備の運用方法についてアドバイスもしていました。イエメンやフィジーソロモン諸島といった国々です。
  その間、スイスに住んでいたのですか。
 河合 主人(河合美宏氏)もバーゼルにある保険監督者国際機構(IAIS)という国際組織で働いており、市内のBISから歩いてすぐの場所に住んでいました。私は2004年からパリにあるOECD(経済協力開発機構)に移り、OECDの年金基金の立ち上げなどの仕事をしましたが、その間もずっとバーゼルに自宅があり、パリと行ったり来たりしていました。今も主人はバーゼルです。
  今年4月から京都大学の教授に就任されましたが、何を教えるのでしょうか。
 河合 私の国際機関や国際金融の経験を若い人たちに伝え、グローバルに活躍する人材を育てることができればと思っています。国際機関には日本の政府などから派遣されて勤務している人が多くいますが、私も主人もそうした派遣組ではなく、独自に採用されたいわゆる国際公務員。そうした経験を持つ日本人はまだまだ少ないので、国際的に活躍したいと考えている若い人たちにいろいろアドバイスできると考えています。
 講義は秋から始まりますが、英語によるプレゼンテーションやディベート、グローバル・ビジネス・コミュニケーションなどを科目として担当する予定です。全学部の学生・大学院生が履修することができる講義です。
  スイスの国際機関での経験を学生に伝授するというわけですね。
 河合 国際機関とひとくちに言っても、かなりカルチャーの違いがあります。BISは中央銀行のための銀行ですから、非常に規律に細かい、厳しいカルチャーだと思います。スイスはゴミの捨て方や自動車の駐車の仕方など非常に厳しく規律が保たれていますが、まさにBISのカルチャーもスイス的と言っていいでしょうね。
 一方で、パリのOECDは研究者の集まりのようなところで、非常にカジュアルなカルチャーだと思います。これが国による違いなのか、対象としている業界や領域による違いなのかは分かりませんが。
  もともと河合さんはかなりグローバルな経歴ですね。
 河合 日本の高校を卒業して直接、ハーバード大学に進学しました。いわゆる帰国子女ではないので、海外で苦労してグローバル・キャリアを積んできたのです。ハーバード卒業後、日本の金融機関に短期間就職しましたが、女性のキャリアが認められていないので馴染めず、フランスの欧州経営大学院(INSEAD)に行って、パリのマッキンゼーに就職しました。
 京都大学では学生に一般論ではなく、そうした経験に基づいた具体的なアドバイスができるだろうと考えています。大学、大学院の友人や、国際機関を舞台にいろいろな国の人たちと交流を深めてきましたので、そうしたネットワークを活用することも考えています。幸い京都は素晴らしい場所で、外国人も憧れています。海外から人を招くには絶好のロケーションだと思います。
  スイスで暮らして、どんな印象をお持ちですか。
 河合 何と豊かな国なのかと思いますね。国民がグローバル化の良い面をフルに享受しています。もともと国内にドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏など複数の言語圏があることもあって、3カ国語ぐらい話せる人がたくさんいます。この言葉の壁が低いということが、観光産業をはじめ、多くのグローバル産業を育てるインフラになっていると思います。
 外国企業が欧州本部をスイスに置く例が増えているそうですが、これも、単に税金が安いといった理由だけではないと思います。ビジネスを始めるにしても、フランスなどに比べてスイスは非常に簡単です。また、優秀な人材もたくさんいる。移民政策も、そうした優秀な人たちを中心に受け入れるという戦略が非常にうまくいっていると思います。フランスなどは単純労働をする移民を無造作に受け入れたために、都市周辺でスラム化するなど大きな社会問題になっていますが、そうした問題はスイスでは起きていません。移民にもきちんとした給与を払い、権利を与える一方で、保険や年金などの義務もきちんと負わせている。出稼ぎが目的の人たちは仕事が終われば短期間で帰国させるなど、非常にコントロールが成功しています。
 高齢化が進み、人口減少に直面している日本でも、いずれ移民政策などを議論せざるを得なくなるでしょう。スイスの例はきちんと学ぶ価値があると思います。地方分権が進んでいる点もとても参考になります。日本では考えられないことですが、州が異なると税率も異なります。地方自治体の権限が非常に強く、それがよく機能しています。地域住民の声がよく政治に反映されていると思います。
  ところで、バーゼルでの生活はいかがですか。
 河合 生活の質が非常に高いですね。自然がすぐ近くにあります。ちょっと歩けば森ですし、町中を流れるライン川で泳いだこともあります。人口は郊外を含めても40万人ほどで、都市のサイズとしては適正規模です。交通渋滞ともほとんど縁がないなど、大都市としての問題点が少ない一方で、生活の豊かさを保つために必要なものは、ほとんどすべて揃っていると言っていいでしょう。
 また、昔から交通の要衝で、とにかく便利です。まさに欧州の中心という感じですね。フランスの主要都市にも、ドイツにもイタリアにも、鉄道で簡単に行くことができます。もちろん、スイス国内のアルプスにも簡単にゆくことができます。また、空港が近いのも大都会ではありえないことです。バーゼル空港には私たちの家から車で15分ほどで行けます。
  バーゼルはドイツとフランスの国境に接した町ですね。
 河合 週末に国境を越えて物価の安いドイツに買い物に行ったり、食事の美味しいフランスのレストランに行ったり、国境の町の恩恵をフルに享受しました。最近では、スイスの給料が高いので、国境を越えて働きに来る人も増えています。
  スイスから日本が学ぶべきことは何だとお考えですか。
 河合 良く言われることですが、日本人とスイス人は似たところがあると思います。アメリカ人のように初めからオープンではなく、シャイなところがあります。また、非常にグローバルなところと、ローカルなところがあるのも似ている。非常に国際化している一方で、地方に行けば非常に保守的な風土が残っています。そんなスイスが取り組んできたグローバル化の政策やそのプロセスを日本は学ぶべきでしょう。
スイスに帰ることはあるのですか。 河合 はい。長期の休みのたびにバーゼルの家に帰ることにしています。京都にも住居を構えましたが、まだ家はバーゼルという気持ちでいます。若い世代にスイスの素晴らしさを伝えることで、スイスと日本の架け橋の役割を少しでも担いたいと考えています。


河合江理子(かわい・えりこ)氏
東京生まれ。筑波大学付属高校を卒業後、米ハーバード大学に進学(環境学特別専攻)し卒業。フランスの国際経営大学院「INSEAD(インシアード)」でMBA経営学修士)を取得。1985年にパリのマッキンゼーに入る。その後、ロンドンのシティーでファンドマネジャー、ポーランドで民営化に携わる。1998年にBIS(国際決済銀行)に移り、職員年金基金の運用責任者。OECD経済協力開発機構)などを経て、2012年4月より現職。

聞き手:磯山友幸(いそやま・ともゆき)
1962年生まれ。早稲田大学政経学部卒。1987年日本経済新聞社入社。証券部記者、日経ビジネス記者などを経て2002年〜2004年までチューリヒ支局長。その後、フランクフルト支局長、証券部次長、日経ビジネス副編集長・編集委員などを務めて2011年3月に退社、経済ジャーナリストとして独立。熊本学園大学招聘教授なども務める。

ブランド王国スイスの秘密

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