膨大な復興予算が付きながら 東北発の景気回復は腰折れの不思議

アベノミクスが掲げる「機動的な財政出動」が本当の景気回復に結び付くのか。膨大な復興予算が付いて資金が流入している東北地方の景気は、その先行指標になるかもしれません。エルネオスの今月号に掲載した拙稿です。

高額商品が売れた被災地

 民主党政権東日本大震災からの復興に向けて、二〇一一年度から五年間で十九兆円の予算を決めた。災害対策予算としては過去にない巨額の金額が計上されたわけだ。これに対して野党だった自民党は終始、復興が遅々として進んでいないと批判してきた。年末の総選挙で政権に返り咲いた自民党安倍晋三内閣は、年明け早々に首相官邸で全閣僚をメンバーとする復興推進会議を開催。復興予算を十九兆円からさらに増額する方針を表明した。とにかく復興を急ぐために巨額予算を注ぎ込む姿勢を強調しているのだ。特定の地域にこれだけの金額が一気に投下されるのは前例がない。東北の景気はいったいどうなっていくのだろうか。
「仙台の夜が賑わっている」と言われ始めたのは大震災から半年ほどたった一一年夏のことだった。義援金や保険金、原発事故の補償金などが支払われ始めたことや、瓦礫処理などの仕事が急増したことで、にわか景気に火が点いたのである。
 これを端的に示していたのが、日本百貨店協会が毎月発表している百貨店売上高の統計数字だった。仙台地区の売上高増減を見ると、震災があった一一年三月と翌月の四月は対前年同月で大幅な減収になったが、五月以降は大幅な販売増が続いた。一一年の六月、十一月、十二月は一〇%を超える伸びを記録した。日本の他の地域の百貨店売上高はマイナス続きだったので、仙台や東北地方の伸びは明らかに「特需」だった。しかも、美術品や宝飾品など高額商品が売れていたのも特徴だった。被災地での生活再建に必要な必需品ばかりでなく、ぜいたく品も売れていたのである。手元に資金が入ってきたことにより、財布の紐が緩んだということだろう。

手元資金を貯めたまま消費抑制

 仙台地区の百貨店売上高増は、ちょっとしたミニバブルだった。それが本格的な景気回復につながるかどうかが大きな注目点だった。消費が盛り上がる一方で、東北地方の個人預金残高も増え続けていたからだ。東北に投じられたおカネの一定部分がそのまま銀行の預金に回ってしまっていたのである。
 日本銀行の統計によると、東北地方の個人預金の残高は、大震災直後の三月末を一〇〇とすると、一二年六月末には一〇九・七にまで増加した。残高が一年余りで一割近く増えるのは極めて珍しい事態である。例えば、この間の大阪の預金残高は一〇二・二までしか増えていない。いかに東北地方の銀行におカネが滞留していたかが分かる。
 これは、保険金や補償金などの多くが銀行預金となり、復興に本格的におカネが流れていないことを示していた。
 被災地の都市計画や高台移転などが遅々として進んでいないため、住宅建設などにつながっていないのだ。
 住宅再建が本格化すれば、それに付随して家具や調度品の購入が増える。浮わついた消費ではなく“実需”が増えると期待されたが、現実には、まだそれほど力強い消費にはつながらなかった。そして東北のにわか景気も沈静化に向かってしまったようなのだ。
 東北地方の百貨店の売上高を見ても、震災直後の反動で一二年の三月、四月は大きく増えたものの、五月以降はマイナスに転じている。一方で個人預金の残高は一二年六月をピークに減少に転じたものの、直近の数値でも震災直後の一〇八・四と高水準を保っている。つまり、手元資金を貯めたまま、消費は抑制し始めたとみられるわけだ。どうやら予算上は東北地方に資金が配分されているものの、現実には東北地方できちんと流れず、景気が再び沈静化し始めたようにみえる。
 昨年、NHKの報道などをきっかけに、被災地以外の復興とは直接関係ない事業に復興予算が流用されていたことが表面化した。さすがの政府も言い訳ができず、昨年十一月末には被災地と関連が薄い三十五事業百六十八億円の執行を停止することを決めた。そこには、多くの予算が流用されたため、東北地方へ行くべき資金が思うように流れていないという主張もある。だが、現実には被災地の事業が瓦礫処理などに偏って本格的な復興事業が進んでいないことが、何よりも資金が流入しない大きな要因だ。政府が決めた執行停止額の百六十八億円も、全体額から見ればごくわずかだ。

ヒト・モノ・カネの一括投入を

 安倍首相は繰り返し復興事業の迅速化を指示している。青森、岩手、宮城、福島四県の知事、副知事と首相官邸で面会した際にも、「(復興予算の)枠を見直すと決めている。予算措置も復興加速を念頭に取り組む」と強調した。東京にある復興庁の本庁が握る予算配分権の一部を福島の出先機関に移すことも検討するなど、復興庁の福島での機能強化を進めている。つまり、官僚組織によって予算執行が目詰まりしているということなのだ。
 被災地の自治体で直面している問題は、おカネの不足というよりも人手の不足である。都市計画をやり直そうにも、地権者の同意を得る作業は現場の自治体職員が直接交渉を行わなければならない。地権者も各地に避難して地元にいないことも多い。いきおい、事実上、国の直轄事業になっている堤防再建などの公共事業だけが先へ進み、町の復興はまったく進まない状況に直面しているのである。
 もちろん縦割り行政のために地元自治体がおカネを自由に使えない問題も大きい。一方で霞が関の官僚から見れば、自由に使えるおカネを自治体に渡したところで、それをきちんと執行できる人員・人材が自治体にはいないと映る。心臓をいくら強力にしても、体の末端の血管が細いために全身に血流が行き渡らない状況になっているのだ。
 被災地を中心とする東北地方できちんとおカネが流れ、住民の生活と地域経済が復興していくには、ヒト・モノ・カネをまとめて地方に投入するしかないだろう。地方自治のあり方自体が問われているといっていい。