教育委員会制度の抜本改革で教育は本当に再生できるのか!? 東京都初の民間人校長を務めた藤原和博氏に聞いた

昨日アップされた現代ビジネスの原稿を編集部のご厚意で以下に再掲します。オリジナルページ→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35531

 政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は4月15日、教育委員会制度の抜本改革を求める第2次提言を安倍晋三首相に提出した。教育長を地方教育行政の責任者とし、首長との連携を強める方針が盛り込まれた。教育再生は第1次安倍内閣からの懸案。ともすると「躾」や「道徳」といった面ばかりが強調されがちだが、背景には、企業や社会が求める人材像と、人材を育てる教育現場の乖離がある。選挙で選ばれる首長の方針を教育に反映できる仕組みを取り入れることで、そうしたミスマッチを無くそうという狙いがある。教育改革の専門家はこの提言をどう見ているのか。東京都の公立中学校で初めての民間人校長を務めた藤原和博東京学芸大学客員教授に聞いた。
聞き手: 磯山友幸(ジャーナリスト)


−−今回の教育再生実行会議の第2次提言をどう見ますか?

 教育長をその地域の教育行政の責任者とするのは正しいと思います。これまで教育委員会の委員長が責任者という位置付けでしたが、現実には大学教授などの名誉職で非常勤です。

 したがって、イジメ自殺事件でも、体罰自殺事件でも、矢面に立つべき責任者が、教育長なのか教育委員長なのか、教師なのか校長なのか、あるいは知事や市長なのかで混乱が起こったわけです。

 機能も分散しています。予算は首長が握り、人事権は教育長にある。さらに教科書選びなど教育政策の責任者は教育委員会の委員長ですが、前述の通り名誉職なので、責任を負う気持ちはありません。さらに教育課程の"編成権"は校長、授業の指導方法いわば"編集権"はほぼ教員に一任されています。

−−教育委員長と教育長は兼務できないことにもなっていますが、なぜこのような体制になったのでしょうか?

 敗戦後の占領下でGHQ連合国軍総司令部)が作り上げたわけですが、1人の人間が教育の方向性を動かせないように意図したのだと思います。つまり誰かが右と言っても、教育全体が右を向かないようになっているわけです。

−−すると今回の提言は「戦後レジーム」からの脱却だということですね。ただ、議論の末に、教育の基本方針や内容は教育委員会で審議するということで落ち着きました。

 現状との折衷案ということですが、いずれ問題に直面することになるでしょう。首長が教育政策にも責任を負うべきかどうかは、非常に議論が分かれるところです。右寄りの首長の次に左寄りの首長がきて、そのたびに教育目標や教科書や条例が変わったら、被害は子どもたちに及んでしまいます。かといって現状の教育委員会任せでは無責任体質は簡単には改まらない
−−選挙で選ばれる首長が教育方針を決めるのは問題ないという主張もあります。

 私は、首長選挙の時に投票用紙の下部にチェック欄を設けて、「この候補者に教育政策も責任を負ってもらいたいですか?」と有権者に問いかけて住民が決する選択制もあると考えています。いずれにせよ、住民投票などで意思を確認すべき大問題です。

 ただ、教育の現場では、様々な不可抗力による事故も起きます。柔道で首の骨を折った、運動会の騎馬戦で大怪我をした、プールで溺れた、といった事故です。これに対して、校長が初動対処をするのは当たり前ですが、裁判になった場合、誰が責任を取るのでしょう。首長が教育の責任者となると、すべて市長や知事に責任が集中することにもなりかねません。

−−小中学校の設置者である市町村の教育長は教員出身者が大半です。教員出身者では教育界の改革はできないのではないでしょうか?

 たしかに教育界の隠蔽体質については制度を変えても改まらないと思います。教育長にもっと多様な人材を就けるべきではないかという議論をすべきです。校長をもっと民間から大胆に入れていくべきだという議論も必要です。まずは大阪から改革がスタートしていて、大阪府では公募の民間人校長が教育長になりました。

−−藤原さんはリクルートの社員などを経て、東京都杉並区立和田中学校の校長になりました。後に続く民間人校長も増えています。

 全国に小中学校が3万校ありますので、その1割の3000人が民間出身に変われば大きく変わると思います。すでに全国で100人ほどの民間人校長がいると思います。マネジメントができる人材がどんどん教育現場に入っていくべきでしょう。

−−教育再生実行会議が2月に第1次提言として、いじめ対策と体罰防止を打ち出しました。

体罰」という言葉のジャンルを作り出したことで、多くの指導者は「暴力」を隠蔽することができたわけです。「体罰」と呼べば、指導される側が悪いことをしたことが自動的に前提になります。本当は、両極に「暴力」と「指導」があるなかで、そのギリギリの中間線はどこかを話題にすべきなのです。結論から言えば、この線引きはじつに難しい。

 私は、部活についてはフェアプレー精神を体現したアスリートであるコーチや監督、顧問の先生がその哲学に基づいて、どこまでが指導なのかを仕切る以外にないと思います。

 一方、部活以外での体罰については、さらに微妙な問題です。親が子に叱る場合、ある程度まで「体罰」として許され、程度を超えたものは「虐待」とされるとしましょう。では、学校で、教師が児童生徒を叱る場合、どこまでが許され、どこからが「暴力」もしくは「虐待」になるのか。

 とくに中学校では教師が手を上げられないのを分かっていて確信犯でけしかけてくる生徒もいます。いじめなど暴力の現場に実力で介入せざるを得ない場面もあるでしょう。これは、常に議論をまき起こして継続的にこの線引きを模索し続けるしかないのではないでしょうか。

−−下村博文文部科学大臣が道徳教育の強化などを打ち出しています。

 下村氏は自らが交通遺児だったこともあり、長年「あしなが育英会」をサポートし続けてきた立派な人です。自ら塾も経営されていたので、教育の現場感覚も持っている人だと思います。

 ただ、自民党保守派がしばしば口にする、「思いやり」「郷土愛」「愛国心」をどう日本の子供たちに植え付けるかという意味で、道徳を考えるのであれば、私は教科書を使って先生達が黒板を背に授業するのでは、決して身につかないと断言できます。

「思いやりを持て!」と先生に教えられたら、自動的に「ハイ! 思いやり、入りました」という教育が現場で行なわれると政治家の皆さんは思っているのでしょうか。その思考回路はじつに不可思議です。

−−第1次安倍内閣の時の「教育再生会議」から道徳の教科化が議題になっていました。

 その再生会議で生まれた『こころのノート』という本があります。内容は実に醜悪です。「あるべき心」のオンパレードなのです。中学生版には、「この学級に正義はあるか?」というページがあり、正義を実現するために自分ができることを書かせる仕組みになっています。

「この学校が好き」というページでは、学校が好きではない子は存在してはいけないような体裁になっています。「思いやりってなんだろう?」「ここが私のふるさと」「我が国を愛しその発展を願う」などなど、2〜4ページの表面的な内容が並んでいます。

 東京書籍や光村図書のような教科書会社は、胸を打つ物語を満載した道徳のサブテキストを作っており、現場でも先生たちはそれらを利用しています。ところが『こころのノート』は文部科学省自らが国家予算を使って作り、教科書検定も受けていない。非常に中途半端な本なのです。

−−教科として教えるのは無意味でしょうか?

 私は、「こころ」というものは教員が対面で教える類いのものではなく、人と人の間に「育まれる」ものだと思います。家庭がメインでしょうが、学校でも、むしろ学級活動や校外学習、運動会や学芸会、修学旅行や部活を通して「育まれ」ていると思います。

 戦前のように「修身」の教科書で「教える」のではなく、小学校の高学年から中学生までは、むしろ葛藤の起こるケースをマイケル・サンデル教授の白熱教室のようにディベートすることが大事ではないでしょうか。道徳を感情論ではなく理性の側から、リテラシー(理性の運用技術)を教える教育法です。

 私が12年間実践を続け、和田中学校方式として有名になった[よのなか]科はその典型です。言葉のバトルは人格攻撃とは違うというディベートのマナーを教えるべきです。そうした言語力を持たせることは、結果的にいじめや体罰の防止にも役立つと思います。


藤原和博 (ふじわら・かずひろ)
東京学芸大学客員教授。1955年生まれ。78年東京大学経済学部卒業後リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任。93年からヨーロッパ駐在、96年から同社フェロー。2003年4月から08年3月まで杉並区立和田中学校校長。キャリア教育の本質を問う[よのなか]科が『ベネッセ賞』、新しい地域活性化手段として「和田中地域本部」が『博報賞』、給食や農業体験を核とした和田中の「食育」と「読書活動」が『文部科学大臣賞』をダブル受賞するなど、教育現場に新しい風を吹き込んだ。橋下徹大阪府知事時代には教育分野の特別顧問を務めた。『坂の上の坂』(ポプラ社)、『校長先生になろう!』(日経BP社)、『人生の教科書[よのなかのルール]』など著書多数。詳細は「よのなかnet」参照

坂の上の坂

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