国際化に背を向ける、亡国の会計鎖国論争 海外投資家を遠ざける「有言不実行」

民主党政権下で止まっていた国際会計基準IFRSを巡る論議が動き出しました。6月20日企業会計審議会が「当面の方針」を発表したのですが、これで八方すべてが丸く収まるというものではなさそうです。日経ビジネスオンラインに先週アップされた原稿です。
オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130703/250621/?P=1


 「チャレンジ、オープン、イノベーション」を掲げたアベノミクスの成長戦略の実行に向けて、安倍晋三首相は9月の臨時国会で具体的な法案を提出する方針を示した。産業競争力強化法案(仮称)などを国会に出すほか、税制改革にも前倒しで取り組むとしている。

 6月14日に閣議決定した成長戦略が株式市場の失望を招いた反省から、さらなる「大玉」を秋に向けて盛り込む姿勢を強調している。強い口調で改革方針を明言している安倍首相だが、市場の期待を取り戻せるかどうかは、具体的な政策が発言の方向性と一致しているかどうか、つまりは言葉通り実行できるかにかかっている。もっとも、個別の政策が具体化すればするほど、抵抗勢力が頭をもたげてくる。そんな動きがすでに表面化している。

IFRS対応は「国際的な詐欺行為」

 「これは国際的な詐欺行為ではないか」

 金融庁企業会計審議会がまとめた、日本の上場企業が使う会計基準のあり方の方針について、審議会委員のひとりは吐き捨てるように言う。同審議会が6月19日にまとめた「国際会計基準IFRS)への対応のあり方に関する当面の方針」には、「単一で高品質な国際基準を策定するという目標に日本がコミットしていることを改めて確認した」と書かれている。

 国際的に進んでいる会計基準の統一作業に、日本も歩調を合わせていくとしており、安倍首相の「オープン」戦略とも方向性は合致する。ルールや規制を国際標準に合わせ、世界で最もビジネスがしやすい国に日本を脱皮させるというのが、アベノミクスの基本姿勢だ。

 G8サミット(主要国首脳会議)で英国を訪れた安倍首相は講演でも、日本の変革に向けた覚悟を示し、日本への投資を呼びかけた。外国からの投資を促進するうえでも、外国人から見て理解できる「国際標準」のルールに揃えることが重要であるのは言うまでもない。ましてや株式投資の対象である企業を測るモノサシである会計基準が日本独自の「ガラパゴス」基準では話にならない。

 だが、冒頭の委員が怒るのは、高らかに宣言している前段の方針に続いて盛り込まれた具体的な施策が、あまりにも国際的な常識からかけ離れたものだからだった。IFRSを使うと言いながら、一部の基準を適用除外にした日本版IFRSを新たに作るという方針が示されているのだ。

 長年IFRSの導入に慎重姿勢だった経団連が提言として打ち出したもので、ご丁寧にも「J−IFRS」という略称まで生み出されている。これで「日本もIFRSを採用しています」と主張しようというのである。

 もちろん、世界を見れば、IFRSの一部の基準を適用除外にすることを認めている国もある。だが、適用除外にしているのはごく一部の基準にとどまり、除外している企業もごく少数だ。ところがJ−IFRSでは、M&A(企業の合併・買収)の際ののれん代(買収金額と資産価格の差)の扱いや、リースの扱いといった企業の決算数字が大きく変わりかねない基準を適用除外にする意向だという。IFRSとJ−IFRSは似て非なるものになる可能性が大きい。

 世界で1つの基準づくりに日本も協力しますと言いながら、中味のまったく違うものを作ってしまおうというのだから、国際社会の目を誤魔化そうとしていると思われても仕方がない。冒頭の委員が「国際的詐欺行為」だと怒る理由はここにある。

 審議会の「当面の方針」では、国際基準を作る作業での日本の発言力を維持すると高らかにうたっている。日本の主張を受け入れるかどうかは国際組織側の受け止め方次第なのだが、金融庁はあたかも、J−IFRSが国際的に受け入れられ、本来のIFRS(ピュアIFRSと呼んでいる)の策定プロセスでも日本の発言力は維持できる、と信じているようなのだ。

 J−IFRSを打ち出す前の段階で、IFRSを策定している国際会計基準審議会(IASB)に説明はしている。窓口は藤沼亜起・元日本公認会計士協会会長で、IASBの運営母体であるIFRS財団の評議員会副議長を務めている。日本の国際派会計士として信頼の厚い人物だ。もちろん藤沼氏は積極的なIFRS導入論者である。

国際的な発言力低下の恐れも

 その藤沼氏がIASBのメンバーに説明したのは、あくまで日本企業にIFRSを導入させるための過渡的措置として一部の基準を適用除外にする、という方針だった。つまり欧米の会計専門家からすれば、世界の他の国が採用しているように、ごく一部の基準を除外するだけだろうと信じ、日本の方針を了承している。まさか似て非なる基準がIFRSの名を冠して出てくるとは思っていないのだ。

 IFRS導入に反対し日本基準は素晴らしいと叫ぶ「鎖国派」も、J−IFRSで国際的な発言力が保てると主張する経団連派も、自分たちが国際交渉の場に出ていくわけではない。だから日本の方針が国際的に受け入れられるのかどうかという感覚なしに、強硬な反対論だけをまくし立ててきた。国際交渉の矢面に立っているのは藤沼氏ら「推進派」と金融庁の国際派の役人で、反対派はその背中に向けて矢を射ている構図なのだ。

 IFRS関連の国際組織で、現在日本が獲得している主要ポストは数多い。これも長い間、IFRSを「国際基準」にするために日本も協力してきた実績があってのことだ。橋本龍太郎首相時代には「金融ビッグバン」の一環として「会計ビッグバン」をし、日本基準を大幅に国際基準に合わせる改革をした。株式への時価会計なども導入されている。日本基準をIFRSと同化させるプロセスは着々と進んでいた。日本基準とIFRSの中味が同じになれば、IFRSを上場企業に強制適用しても何ら問題はない、という発想だった。

 ところが、民主党政権の誕生で、国際化に背を向けるIFRS反対派が審議会に大量に登用された。今もその構成は基本的に変わっていない。もともと、「単一で高品質な国際基準を策定するという目標に日本がコミット」すること自体に背を向ける反対派委員も少なくない。現在は任意で認められているIFRS(ピュアIFRS)の使用を禁止しろと公言する委員すらいる。

 日本がかろうじて維持しているポストはIFRS財団評議員会に副議長の藤沼氏を含む2人。基準を作るIASB理事会には住友商事出身の鶯地隆継氏が理事として加わっている。IFRS財団には、金融庁など規制当局者から構成する「モニタリング・ボード」という国際組織があるが、その議長は、金融庁の河野正道・国際政策統括官が務めている。そのポストを守れるかどうかで、日本の発言力が維持できるかどうかが決まるのだ。

 藤沼氏の任期は今年末だが、副議長として半年ほど任期を延長する方向で話が進んでいる。日本のIFRSへの取り組みが微妙なタイミングなので交代するのは国際組織にとってもプラスではない、という主張が認められている。だが、J−IFRSの中味次第では藤沼氏の後任に日本人が選ばれない可能性が高い。

数年後には、アジアオフィスも中国が奪還?

 すでにIFRSを導入している国々から日本が評議委員会のポストを2つ握っていることに批判的な声が強まっているからだ。鶯地氏の任期は2016年、モニタリングボードの任期も2016年だ。昨年東京に設置されたIASBのアジアのサテライトオフィスも10年後に見直すという規定があり、中国が自国内に移すべきだとかねてから主張している。

 つまり、ここ数年、日本がIFRSに対してどういう姿勢を取るかが、3年後、5年後の日本の発言力を大きく左右するタイミングにさしかかっているのだ。もし国際基準づくりで日本が発言力を失えば、日本の国益など守れるはずもない。

 そんなリスクを審議会の「当面の方針」は軽く見ているのではないか。アベノミクスの基本方針と違う「詐欺的な」対応をすることで、著しく国益を損なうことになりかねないのだ。

 しかも、J−IFRSが加わることで、日本の上場企業の決算書には、日本基準、米国基準、ピュアIFRS、J−IFRSの4つが混在することになる。日本基準をJ−IFRSに転換するのが合理的とも言えるが、日本基準のすばらしさを強調してやまない一部の会計学者が根強く反対する。IFRS反対派の企業人の多くは、日本基準を礼賛しながら実は自社では米国基準を使っているケースが多い。米国基準の決定には当然ながら、日本はまったく発言権がない。そんな4つの基準が混在する世界でも不思議な国になるわけだ。

 企業を見るモノサシすら統一できない日本の株式市場を、外国人投資家が信じて、日本に投資するだろうか。安倍首相がいくら外国で「日本は変わりますから、投資してください」と叫んでも、足下でガラパゴス化を進めていては元も子もない。世界から「国際的詐欺行為」と言われないためには、経済のオープン化、国際標準化に安倍首相や官邸スタッフが本気で立ち向かうことが必要だろう。