地方創生特区(国家戦略特区)に指定された秋田県仙北市の記事を書きました。ウェッジ7月号(6月20日発売)に掲載されたものです。オリジナルページ→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5144?page=1
- 作者: Wedge編集部
- 出版社/メーカー: 株式会社ウェッジ
- 発売日: 2015/06/20
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日本一深い湖として有名な田沢湖を中心に広がる秋田県仙北市。秋田杉の産地としても知られる豊かな森林地帯とあって、市の面積の6割を国有林が占める。民有林を含めた森林全体の71%が国有林と全国平均の3割を大きく上回る。
国の管理下にある国有林を、地域おこしの切り札にできないか─。東京・赤坂でスペイン料理店「セルベセリア・グランビア」を経営する金子裕二さんはずっと考えてきたのだという。
秋田出身の金子さんは、長年、長期熟成型の生ハム作りに取り組んできた。その工房を6年ほど前に田沢湖を見下ろす高原に移したのだ。寒暖の差の大きい田沢湖高原の気候が生ハム作りに最適だと考えたからだ。
金子さんが目指す生ハムは、本家本元のスペイン産にひけをとらない最高級生ハムだ。その原料になるイベリコ豚は、森に放牧され、どんぐりを食べて育つ。生ハムにするための豚を仙北市の国有林で放牧し、安全・安心な豚を自分自身で育てたい。
ある日、金子さんの店に、常連だった俳優の中尾彬さんが、テレビ番組で一緒になった岸博幸・慶應義塾大学教授を連れてきた。金子さんは岸教授に、そんな夢を語ったのだという。
「それなら地方創生特区に立候補したらいいですよ」。経済産業省出身の岸教授のアドバイスで、夢物語はどんどん現実の計画へと変わっていくことになる。岸教授は金子さんと一緒に門脇光浩・仙北市長を訪ねたが、市長も一気に乗り気になった。
今年3月、政府は仙北市を、愛知県や仙台市と共に「地方創生特区」に指定した。安倍晋三内閣がアベノミクスの柱と位置づける国家戦略特区のひとつになったのだ。「国有林野の民間開放特区、農林・医療ツーリズムのための改革拠点」という位置づけだ。
門脇市長は、「今回の特区指定を機に、農業体験などを目玉にしたグリーンツーリズムや、温泉での湯治を柱とするヘルスケアツーリズムの拠点として磨きをかけたい」と抱負を語る。
仙北市の北部には湯治場として有名な玉川温泉がある。難病に効果があるとして岩盤浴などに訪れる人が多い。温泉の効用によって病気の予防や重篤化を防げれば、医療費を抑制するという国の方針にも合致する。「医療と温泉を分けて考えず、『温泉に入院する』という考え方があっていい」と門脇市長の語り口に熱がこもる。
今回の特区指定に当たっては、外国人医師が診療所で診察することを解禁するという項目も含まれる。もちろん医師会は強く反発しているが、仙北市は、もともと関係が深い台湾からの湯治客向けが主眼だと説明している。
特区指定を受けて、金子さんの周りには地域おこしに向けた仲間が集まってきた。それぞれの分野で仙北の将来を見据え、発信を続けてきた、いわば一騎当千の強者(つわもの)たちだ。彼らが、仙北の国有林に集結しつつあるのだ。
70歳になって絵を描き始めた長岐俊彦さんは、もともとは大手百貨店などにも勤めたマーケティング専門家。芸術活動が高じて仙北に「巨木の森・野外美術館」を作った。豚の飼育は長老の加藤義直さん、国有林での放牧を担当する。豚だけでなく、羊やヤギ、ニワトリも放し飼いにし、生ハムだけでなく、ソーセージやベーコンなど様々な加工品作りにつなげるのが目標だ。
農業指導を受け持つ坂本公紀さんは無農薬栽培で20年以上のキャリアを持つ。坂本さんの作る有機質肥料栽培のあきたこまちは関東地方などにも根強いファンがいる。農畜産物をそのまま売るのではなく、加工したり、ブランドを付けて高く売る。いわゆる6次産業化による高付加価値戦略を狙うのだ。名産の秋田杉にも付加価値を付ける。腕を振るうのは木工のベテランである草磲三雄さんだ。
特区申請には今話題のドローンを活用して、火山の監視や山岳遭難者の捜索といった実証実験を行うことも含まれている。仲間にはそうした先進技術に強い人材もいる。建設ICTの専門家である千葉薫さんは政府の審議会で委員なども務めるエキスパートだ。
良い素材をつなぐ
もちろん観光業を担う人材もいる。田沢湖高原水沢温泉郷で旅館青荷山荘を経営する堀田雅人さんは、昨年から隣接の大型リゾートホテル・ニュースカイの経営も引き継いだ。「地域で最大規模のホテルが閉鎖となったら地域全体が地盤沈下すると考えた」からだ。
「それぞれの点では良いモノを持っているけど、これが線でつながらない。誰かがつなげてくれるのを待っているようなところがある」と堀田さんは言う。健康ツーリズムをキーワードにすれば、温泉療養だけでなく、森林浴やスキーなどのスポーツ、無農薬栽培の農産物や、安全・安心な畜産品などによるおいしい食事と、仙北の強みがひとつにつながっていく。バラバラの点を線で結んでいくことこそ金子さんが狙う地域おこしの要諦なのだ。
取材当日に集まった人たちの他にも、どんどん仲間は広がっている。「特区をみんなが身近に感じて、俺も参加できるんだ、と全市民に思ってもらう必要がある」と金子さん。7月19日には住民向け説明会を開く予定だ。そこには今回、仙北市と地方創生特区を結び付ける役割を偶然にも担うことになった中尾さんと岸教授がやって来る。
秋にも、担当大臣と市長、事業者が集まる区域会議が開かれ、具体的な計画が詰められることになる。市内に国立公園の指定区域があり、湯治場などもある仙北市は、林野庁や国土交通省だけでなく、環境省や厚生労働省、秋田県などの規制主体が入り組んでいる。規制緩和といっても一筋縄ではいかなかっただけに、自治体や事業者の要望が通る特区での取り組みは規制改革の突破口になる可能性が大きい。
だが、焦点は「上からの改革」では物事が進まないことだ。そのためにも金子さんたち地元の人々が意欲を持つことが不可欠になってくる。