地域のあり方と移民問題 日本の将来をスイスから学ぶ

日本では移民問題は一種のタブーになっています。安倍晋三首相も「いわゆる移民政策は取らない」と明言しています。しかし、このままでは日本の人口減少が社会システムを存続不可能にしかねない事態を招くことになりかねません。日本の文化や習慣、コミュニティを守るために移民は受け入れるべきではないと思っているうちに、人口減少で、分野やコミュニティが失われてしまいかねないのです。どうすればよいのでしょうか。移民を受け入れながら自国のコミュニティを守ってきたスイスにヒントがありそうです。治安維持に強い意思を持ってきた國松孝次・元警察庁長官(元スイス大使)が、駐日スイス大使と移民やコミュニティについて語り合いました。ウェッジに掲載された記事です。是非ご一読ください。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4577

014年は幕末に日本とスイスが国交を樹立してから150年の節目の年にあたり、日本・スイス両国で多彩な記念行事が行われている。スイスと日本は、山がちで天然資源に乏しい小国ながら、国民の勤勉さと教育で世界有数の豊かな国に発展してきたことなど、共通点が少なくない。だが、日本と大きく違う点がある。スイスが19世紀から移民の受け入れに積極的で、それを国の発展の原動力にしてきたことだ。日本でも、人口減少問題とのからみで移民の必要性が話題になるが、一種、タブー視されるところがあって、なかなか議論は進まない。駐スイス大使を務めた國松孝次・元警察庁長官が、地域コミュニティのあり方や、移民問題について、駐日スイス大使のウルス・ブーヘル氏と対談した。

國松:私は、1999年から3年間、駐スイス大使としてスイスに滞在しました。在任中、特に、私が強い関心を持ったのは、スイスの地方の町々でした。スイスにはゲマインデ(またはコミューン)と呼ばれる、日本では市町村にあたる基礎自治体があり、自分たちのことは自分たちで決める仕組みを守っています。そうした地域社会の強さと活力に感銘を受けました。そこでは、自治・自守・自決の精神にあふれています。住民相互の扶助意識、連帯感も強い。

ブーヘル:まさに国の組織の最下層レベルであるゲマインデが強い自主決定権を持つことこそ、スイスという国のカギであり、特長です。さらに私はスイスという国が成功を遂げてきた理由のひとつだと考えています。過去数百年にわたってこの仕組みは機能してきました。

 700年以上前にスイス連邦が建国された頃に遡ると、山間部のアルプスのコミュニティでは住民が力を合わせることでしか問題解決はできませんでした。厳しい自然の脅威にさらされる中で、生活物資を確保し、生きていくのは、ひとりの力では不可能です。彼らが築いた共同体では、住民は等しく権利を持ちました。これによって住民は守られ、助けを得られましたが、同時に義務も負いました。

 権力者がいてコミュニティが作られたのではなく、個々人が集まってコミュニティを作り、権利と義務を負ったのです。ですから、自治体が自分に何をしてくれるのか、ではなく、自分たちが自分たちのために何をするかを考える。こうした市民感覚が育ってきたことが非常に重要だと思います。

 自分たちの必要なことなどまったく分かっていない隣の村の他人に決められるのではなく、地域の人たちが自分たちのことは自分で決める。これが非常に重要で、私たちは今でもシステムとしてこれを維持しているわけです。スイスという国家はトップダウンで作られたのではなく、ボトムアップで出来上がっているのです。

國松:直接民主制ですね。

ブーヘル:はい。スイス型連邦主義と言われるものです。すべての問題は、その問題に関係するできる限り最末端のレベルの意思で解決すべきだという考えです。今、スイスには2300余の地方自治体がありますが、彼らが税率をどう決めるかは完全に自由です。税金のあり方と歳出を両方とも決めることができるのです。これは住民会議で徹底的に議論されます。

 例えば、新しい校舎が欲しいという場合、本当に意味がある投資かどうかを検討し、よし、それでは建設費を賄うために税金を上げようという話になる。逆に、何か不要だというものがあれば、税金を下げることもできるのです。これは非常に重要なことです。もちろん、理想通りに行っていないケースも探せばありますが、私がスイスで住んでいたコミュニティなどは完璧に機能していました。

國松:なるほど。日本の地域社会と対照的な状況のようです。日本も、かつては、相互扶助と連帯感の強い地域社会の伝統を持っていました。ところが、最近、その希薄化、あるいは崩壊が危惧されています。日本は、本格的な少子・高齢化の時代を迎えますが、それへの対応の中核を担うのは地域社会であり、その意味で、相互扶助の精神にあふれ、連帯感の強い地域社会の再生は、喫緊の最重要課題だと思います。安倍晋三内閣も「地域創生」を打ち出しています。そこで、ブーヘル大使に伺いたいのですが、スイスの地域社会の強さの秘訣は、どこにあるとお考えですか。地域社会の再生を目指す日本に、スイスの視点から、何か示唆いただけることはあるでしょうか。



ブーヘル:日本の仕組みについて語るのは難しいですが、私たちの経験をお話しすることがお役に立つのではないでしょうか。高齢化に直面しているのはスイスも同じです。そうした中で、スイスの多くの自治体には、退職後10年間くらいの働いていない人たちや、子どもの手が離れた母親などが、高齢者の面倒をみるようなボランティアに従事する制度があります。週に一度か二度、お年寄りの自宅を訪ね、可能な限り一緒にいてあげるのです。これは個人とコミュニティの強力なコミットメントがなければできないことです。

 日本のように地域を超えて転勤したり、引っ越したりすることが多い社会では、そんなコミュニティを維持することは難しいと考えるかもしれません。しかし、最初のステップとして、例えば私の地元では、新しい家族が地域にやってきた時に、コミュニティが大歓迎します。引っ越した初めの段階から、ここがわが町であるという意識を持ってもらい、権利を実感してもらうのです。そうすることで、コミュニティに対する義務や責任も芽生えます。特に地方では、初めから、町の会合の場所や、道路の飾りつけといった様々な奉仕活動の日取りなどを教え、すべての活動に誘います。引っ越したその日からコミュニティの一員として生活してもらうわけです。

ウルス・ブーヘル氏(Urs BUCHER) 1962年生まれ。ベルン大学卒業(ベルン州弁護士資格取得)。90年外務省入省。在ブリュッセル・スイス政府EU代表部審議官、外務省・経済省統合室室長などを経て2010年8月から現職。

國松孝次(Takaji Kunimatsu) 1937年生まれ。東京大学卒業。61年に警視庁入庁後、大分・兵庫各県警本部長、警察庁刑事局長などを経て94年警察庁長官就任。99〜2002年まで駐スイス特命全権大使を務める。


國松:そうした新規の移住者に対して優しいというスイスのコミュニティの特長は、外国人居住者が増えていく中で、維持していくのがやや難しくなっているのではないでしょうか。EU欧州連合)やEFTA(欧州自由貿易連合)などの諸国からの外国人居住者が中心の時代は問題はなかったかもしれませんが、それ以外の第三国からの移住者が増えると、人々の間の文化的な摩擦が増えるなどして、スイス社会も変革を迫られるのではありませんか。

ブーヘル:移民問題は今のスイスの政治問題で最大かつデリケートなテーマです。スイスは明らかにグローバル化の勝者として世界有数の豊かな国になりました。国の門戸を開いて世界中から優秀な頭脳を引き寄せたのです。しかし、一方で負の側面として、移民のコミュニティとの同化や協調といった問題が生じました。60年代から70年代にかけてのイタリアからの移民はすでに第二世代、第三世代になっています。彼らはすでに、もとのスイス人よりもスイス人らしく振る舞っています。自然に溶け込むことでコミュニティの一員になってきました。

 しかし、一方で、スイスにやってくるすべての外国人がこうした姿勢を持っているわけではないのも事実です。3〜5年働いて国に帰っていく外国人はコミュニティの一員になろうとは考えず、4つある公用語の1つすら学ぼうとはしません。問題なのは、おそらく彼らは納税者としてスイスの富に貢献しているにもかかわらず、市民としての役割を担わず、コミュニティにも関与しないことです。

國松:これまでスイスが採ってきた移民政策で、私が感心したのは、スイスの連邦政府がとても明確な移民政策を持っていることです。単純な同化政策でもなく、多文化併立政策でもなく、彼等をスイスの社会の中に「統合」するという政策を採ってきた。スイスの人たちを外国の人たちと調和させる政策だったとも言えます。

ブーヘル:これまでの移民政策がうまくいったという点は私個人としても同意見です。スイスは小国で天然資源もありません。ではどうやって今のような、世界有数の豊かな国になったのか。スイスの成功のカギは19世紀から国を開いてきたことです。少なくとも海外からスイスに働きにやってきたい人たちにできる限りベストな仕組みを与えてきました。クリエイティブで働く意欲にあふれ、付加価値を増す人々を積極的に受け入れてきました。

 世界最大の食品会社であるネスレや、その他のグローバル企業の多くが19世紀の移民によって創業されました。第二次世界大戦後も移民の受け入れによって革新的な人々をスイスに招き入れ続けた結果、多くの富が生まれました。

 もちろん、彼らはおカネを生み出すだけでなく、社会の中で責任ある役割を担いました。税金を納め、スイスの基準に従い、参政権を得るのは難しいにもかかわらず、コミュニティの一員となり、社会の役割を担ったのです。有能な外国人をスイスに引き付けるために、給与水準や公共インフラ、医療、学校教育などの様々な条件を魅力的に保ってきたということです。

國松:スイスでは2014年2月に国民投票が行われ、移民の流入を制限することが支持されました。今後、連邦政府は移民政策に関して難しいかじ取りを迫られそうです。

ブーヘル:従来、EU諸国に対する労働市場の開放について国民投票で支持を得てきましたが、2月の投票で方向が変わりました。まだこの投票結果は政策に反映されていません。

 もちろん、様々な選択肢があります。ただ、基本的な問いに国民は答えを出さなければなりません。どのくらいの成長を欲するのかです。成長は富に直結します。より良い年金制度を維持しようとすれば、成長は不可欠です。成長がなければ将来世代がより豊かになるという道は閉ざされます。移民を制限する代わりに年金額が3分の2になっても良い、インフラも乏しくなっても構わないというのならばそれでもいいでしょう。

 一方で、目に見える形で移民の弊害が出ているという指摘もあります。移民増によって社会福祉予算が大きく増え、犯罪が増加しているという指摘です。私は、具体的な現状分析をきちんとした上で、冷静に議論するべきだと考えています。

國松:スイスが現実的な解決策を見出すことを期待しています。日本は少子・高齢化が進み、これまで同様の生活水準を維持しようと思えば、より多くの外国人労働者を受け入れざるを得ない状況にあります。しかし、一方で多くの外国人の流入が難しい社会問題を引き起こすことになるでしょう。外国人受け入れの必要性と、それによって起きる問題をどう調和させていくのか。スイスはたくさんの経験を積んでいます。日本が学べることは多いと思います。

ブーヘル:そうですね。スイスが過去に採った政策ですと70年代から80年代の経験は教訓になるでしょう。当時、安い労働力としてより遠い国から違う文化的背景を持ったあまり高い教育を受けていない人たちを移民として受け入れました。しかし、彼らはスイスにうまくとけこむことはできませんでした。

 ただ安い労働力を求めて、たとえ数万人といえども、低スキルの移民を入れるべきではないでしょう。グローバル経済の中で、われわれは最高の生産性を誇る国になるべきです。海外からの安価な労働力の流入は、生産性の一段の向上を図るために改革されるべきシステムを、永続化させることになりかねません。

國松:貴重なご意見です。

ブーヘル:今では移民は間違いなく必要です。スイスでは大まかに言って医療分野で働く人の50%が非スイス人です。ヘルパーから看護師、医者、大学教授まで、スイスの医療システムには必要不可欠です。これは問題でしょうか? 病気で倒れた時、助けてくれたドイツ人医師やイタリア人看護師に感謝しこそすれ、脅威に感じるはずはありません。社会システムに貢献している人は誰であれ尊重されるのです。

國松:スイスが受け入れている外国人の数は約186万人。スイス全居住者の約23%は外国人という勘定になります。これは、ヨーロッパ各国のなかでも、群を抜いて多い。これに対して日本国内に居住する外国人の数は約206万人。全人口比では1.6%に過ぎません。

 逆に、海外に居住するスイス人は60万人〜70万人と聞きました。これは、スイスの人口の約10%にあたります。これだけの人々が、海外に進出して活躍しています。こうした海外のスイス人をつなぐOSAスイス海外協会という強力な組織があって、彼らをサポートしています。これに対し、海外に居住する日本人の数は、およそ120万人で、全人口の1%にも満たない。日本はよくその「内向き志向」を指摘されますが、スイスに比べれば、海外進出率は、10分の1ということになります。

ブーヘル:スイスのスタンダードからみれば、日本の移民問題は、まだないに等しい。これからの問題です。スイスのよい経験と悪い経験の両方を参考にされたらよい。それから、海外進出率のことですが、スイスでは海外に行く経験を持つのはごく普通のことです。若い人たちが、旅行だけでなく、1〜2年海外で勉強するというのは一般的で、そうした海外経験をプラスに評価します。ところが、日本で話を聞いていると、学生の時に1年海外に行ったりすると、1年を無駄にしたように受け取られるといいます。40歳になるまで外国を見たことがない人が、本当に外国の人たちを尊重できるはずはありません。

 私の息子は14歳の時に6週間インドに行き、16歳では6週間ブラジルで過ごしました。そして高校を卒業すると南アフリカで3カ月生活した。今、彼は米国で勉強しています。私は彼に海外に行くことによって、同時にスイスをより理解してもらいたいと思っています。今は、日本政府も海外留学を後押しする制度を始めたようですが、これは非常に重要なことだと思います。

 スイスも日本も伝統を重んじる国民ですが、古い考えに凝り固まるのではなく、発想を変えていかなければなりません。