「地域おこしの達人」を育成 全国に広がる自立の芽(鹿児島県やねだん)

ウエッジの連載コラム。6月号(5月20日発売)に掲載した原稿です。
オリジナルページには写真もあります。是非ご覧ください→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5023?page=1

Wedge (ウェッジ) 2015年 6月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2015年 6月号 [雑誌]

鹿児島県鹿屋市串良町に、恐らく日本一有名な、「地域おこしの達人」がいる。豊重哲郎さん、74歳。「やねだん」の呼称で知られる柳谷集落で、行政に頼らない村おこしを約20年にわたって続けてきた。「やねだん」のある大隅半島の中部は、山あいに田園が広がる自然豊かな土地柄だが、観光地があるわけではなし、農業、畜産以外にこれといった産業もない。もちろん少子高齢化の例外ではない。

 ところが、人口300人ほどの、この「やねだん」に、全国から年間5000人以上の視察者がやって来るのだ。そして豊重さんに「地域おこしの極意」を聞いていく。

 豊重さんが繰り返し訴えている事はシンプルだ。「住民自治を意識づけする事の大切さ」である。地域おこしというと、県や市の補助金が出て、上からの指示でモデル事業を行うケースが少なくない。「やねだん」では、住民が自分たちで発案から実行までをやり抜いてきた。しかも、自分たちの創意工夫で生み出した自主財源で賄ってきたのである。「補助金におんぶにだっこでは人も地域も育たない」というのが豊重流の地域おこしの基本である。

 「自分たちが住む地域を何とかしよう、そう住民自身が真剣に考えることが基本だ」と豊重さんは語る。そんな豊重さんの言葉が、全国で地域おこしに取り組むリーダーたちの心に「自立の灯」を点けてきた。今年で17回目を迎えた「やねだん故郷創生塾」に全国から集まった人たちは累計580人。全国から招かれて豊重さんが講演に出向くこともしばしばだ。

 「人は説得しても動かない、納得してもらえば動くものだ」

 そんな豊重語録がリーダーたちに勇気を与えてきた。この連載の1回目で取り上げた熊本県菊池市の江頭実市長もそんなひとり。宝がいっぱいあるのに寂れている故郷を見て、国際金融マンから市長に立候補した。改革への思いが強いだけに説得口調で話をしがちだったが、豊重さんに会って「目から鱗が落ちた」と語る。

 そんな豊重さんの地域おこしが始まったのは1996年のこと。それまで65歳前後の人が任期1年の持ち回りで務めていた柳谷自治公民館長に、突然、選ばれたのである。

 豊重さんは「自立自興」に向けて矢継ぎ早に手を打った。まず考えたのが、休耕地を借りて住民の手でカライモを栽培することだった。10アールあたり10万円の収益を上げる計画を立てた。有線放送で呼び掛けると30アールの土地の無償提供者が現れた。

 高校生が植え付け作業をやる予定だったが、不慣れな手つきに見かねた高齢者たちが畑に集まり、あっという間に作業を終えた。初年度は35万円の収益を上げた。98年のことだ。その後、規模を拡大して2002年には1ヘクタールになり、収益金は80万円にのぼった。

 続いて始めたのが土着菌づくり。米ぬかなどの原料に山や田畑に生息する糸状菌を植え付け発酵させたものだ。家畜の飼料に混ぜて与えることで、ふん尿の悪臭が軽減できる効果がある。この土着菌を酪農家に有償で頒布したり、土着菌を使った堆肥も作って販売している。いまでは土着菌の販売だけで年間150万円の収益が上がるようになった。

 この土着菌をカライモ栽培にも活用した。さらに自分たちで生産したイモを使った芋焼酎も売り出した。ラベルには「やねだん」と墨書されている。集落のオリジナルブランド商品である。キャッチコピーには、「土着菌堆肥のさつま芋使用」とうたわれている。現在は年間5000本を生産、通信販売で全国に売れ、完売する。

 すべての事業で合計500万円ぐらいの年間収益が上がるようになった。問題はその使い方だ。派手なイベントをやれば一発で消えてなくなる金額だからだ。

 はじめのうちは手伝った高校生をプロ野球観戦に招待したり、全世帯に各1万円のボーナスを配ったりした。取り組みの成果を住民全員に味わってもらうためだ。

 最近では、85歳以上の人に年1万円のお祝い金は出すが、後は、次なる事業の再投資に振り向けている。「年間で1000万円ペースの財源が確保できるようにしたい」と豊重さん。韓国の企業家との交流をきっかけに、とうがらし栽培に乗り出し、粉末状に加工して韓国に輸出する計画が進んでいる。

 集落の空き家を「迎賓館」として再活用するプロジェクトも着実に進んでいる。芸術家に住居として提供し、移住を促しているのだ。画家や彫刻家、写真家などが移り住んでいる。また、研修などで外部から訪れる人の宿泊施設として活用している。

「故郷は自分たちで守る」

 集落を訪れる人たちが散策できるコースの開発も進めている。牛小屋を改装したカフェをオープンさせ、旅行者がのんびりとくつろげる空間を整えた。住民が自力で建てたカナダ産のログハウスも集落の観光資源になると、豊重さんは考えている。

 集落を横切る道の両側に石積みが続く場所がある。ここの壁に集落に住む芸術家や高校生が絵を描き、「ロマンス通り」と名付けてはどうか、というアイデアも浮上している。何もない田舎をアイデアによって観光地にしてしまおうというわけだ。

 集落の中心部にある自治公民館の壁には、様々な「記憶」が壁一面にかけられている。数々の表彰額や長老の写真、住民たちの顔写真。過去のイベントの記録や地域おこしのモットーなども掲げられている。1月に視察に訪れた石破茂・地方創生担当相を歓迎したイベントの様子なども所狭しと貼られている。

 やねだんの20年は、決して派手な取り組みではない。だからこそ今も長続きしている。だが、その原点にあるのは、あくまでも「故郷は自分たちで守る」という自立の精神である。