大阪・あいりん地区の「働き方改革」に挑む 最貧困地域の再生に奮闘、鈴木亘・学習院大学教授に聞く

日経ビジネスオンラインに12月26日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/122200030/


 日本の「労働政策」の吹きだまりとも言えるのが大阪・西成区のあいりん地区(釜ヶ崎)である。高度経済成長を支える労働力を提供した日雇い労働者の高齢化が進み、いまやこの地区の2.5人に1人が生活保護を受けているという。そこに切り込んだのが橋下徹市長(当時)。「西成特区構想」をぶち上げ、改革の象徴として日本の最貧困地域の再生に手を付けた。ひょんな事からその最前線に立った鈴木亘学習院大学経済学部教授に聞いた。



3年8カ月間、「西成特区構想」に取り組んだ記録

――鈴木先生は『年金は本当にもらえるのか? (ちくま新書)』(ちくま新書)など社会保障関連の話題書をいくつも書かれていますが、今度は『経済学者 日本の最貧困地域に挑む―あいりん改革 3年8カ月の全記録』という興味深い本を上梓されました。

鈴木 2012年の3月から2015年11月までの3年8カ月の間、当時の橋下徹大阪市長の下で進められた「西成特区構想」に、私自身が取り組んだ記録です。

 大阪市西成区にある「あいりん地区」、地元の人たちは釜ヶ崎と言いますが、そこは日雇い労働者の町で日本の最貧困地域です。1970年の大阪万国博覧会などに向けた建設需要が旺盛だった頃に労働力の一大供給拠点となった場所ですが、労働者の高齢化も進み、バブル崩壊後は景気悪化にさらされていました。この地区には2万人が住んでいますが、実際には2万5000人ぐらいと言われ、そのうち1万人が生活保護で暮らしています。何と2.5人に1人が生活保護です。

 改革が始まる前は、猛烈に荒れており、そこらへんで堂々と覚せい剤を売っている売人がいたり、不法投棄ゴミが散乱していたりと、それはすさんだ町でした。ゴミと酒と立小便の異臭が立ち込めていたのです。ホームレスだけでなく、部落差別問題や在日問題などがないまぜになった場所で、それまでの首長や役所は手が付けられない場所になっていました。橋下市長はその象徴のような場所、橋下流に言えば「センターピン」を全力で解決するという姿勢を打ち出したわけです。


学生時代から釜ヶ崎に通う

――そこでなぜ鈴木先生が改革の先頭に立つことになったのですか。

鈴木 当時、大阪府議会議長だった浅田均さん(現・参議院議員)に、大阪維新が策定していた「維新八策」へのアドバイスを求められ、「維新政治塾」の講師就任を打診されたのです。それをお引き受けして、ビールを飲みながら雑談をしている時に、西成区の話題になったのです。実は私は大阪大学の大学院生の時から釜ヶ崎に通い、助教授時代はこの地域のホームレスや生活保護受給者のフィールド調査をしていました。そんな話をしたところ、「いや、良い人を見つけちゃった」と言われ、その後、どんどん巻き込まれていったのです。


行政や各支援団体のベクトルを合わせる

――まったくの偶然から改革を立案・実行する中心人物にさせられてしまったというわけですか。

鈴木 あの地域は数多くのステークホルダーがいます。長年ホームレスを応援している支援団体や炊き出しなどをやっている福祉団体、労働組合系の団体、クリスチャンの団体などです。釜ヶ崎はそうした団体のいわば聖地のような存在です。さらに商店街や町内会、もちろんこの地区の周辺住民もいます。何しろプレーヤーが多いのです。釜ヶ崎の再生計画を作るには、彼らをまとめて1つの方向に向けることが重要です。将来のために踏み出す合意形成ですね。

 さらに行政を1つにまとめる必要がありました。私は西成特区構想担当の大阪市特別顧問に就任することになったのですが、行政組織の中に入ったのは初めてです。想像はしていましたが、行政は巨大な縦割り組織で、福祉局や子ども青少年局などいくつもの局が釜ヶ崎の問題には関わってきます。さらに、福祉は大阪市、労働問題や警察は大阪府職業安定所は国と、所管も分かれている。これをひとつの方向にまとめることは並大抵ではありません。

 しかも、釜ヶ崎の民間のステークホルダーたちは、「行政に対する怒り」という一点に関してだけは一致している。長年積み重なった不信感を払しょくするためには、官民で腹を割って話し合う必要がありました。舞台装置としてすべてのプレーヤーが集まる場を作りました。小学校の講堂に200人が集まり、皆で意見を言う場を作ったのです。始めはケンカ腰の参加者もいてカオス状態でした。しかし、プレーヤー全員に納得してもらう事が重要でした。


ホームレスに町の美化の仕事を与え、自立してもらう

――身の危険を感じる事はなかったのですか。

鈴木 もちろんありました。ただ、学生時代から釜ヶ崎に通っていたため、顔役と言えるキーパーソンの方たちと直接面識がありました。本の中では実名でお世話になった方たちの話を書いていますが、前々から存じ上げていたこうした人たちに助けられました。

――具体的な改革項目についてはご著書をお読みいただくとして、大きな改革の方向性はどんなものだったのでしょうか。

鈴木 ステークホルダーの声を集めたボトムアップの再生計画を作ることが何より大事だと考えました。当初、橋下市長は、超難関の有名私立進学校を西成に誘致して、子どもや意識の高い親を誘致するという、派手なアイデアを口にしていました。しかし、それをやると、問題を抱えた高齢のホームレスを地域の外に追い出すことになりかねません。抜本的な問題解決にはならないわけです。
 ホームレスの人たちに町の美化の仕事を与え、少しでも自立してもらう。行政が前面に出るのではなく、町づくり合同会社を作ってそこに委託をしていく。釜ヶ崎の労働者の人たちは、働けるだけ働いて、できるだけ行政の世話にはなりたくないというプライドを持った人たちも少なくありません。まずは、仕事がないのが問題で、高齢になった労働者でもできる仕事を作る事が重要です。現場から上がって来たアイデアを実現するために、予算を付ける。当然、従来の予算が削られることになりかねず役所の中には抵抗が生まれます。それを市長のリーダーシップで説き伏せていくわけです。


覚せい剤の売人は姿を消した

――釜ヶ崎では過去に何度も労働者の暴動が起きています。警察はどう動いたのでしょうか。

鈴木 おそらく、改革が始まるまでの警察の姿勢は、釜ヶ崎から外に問題を出さないという封じ込め作戦でした。ですから当然、釜ヶ崎の中は荒れ放題になる。この地域を再生させるには警察の協力が不可欠です。大阪維新は幸い、市長と府知事の両方を押さえていましたので、松井一郎知事にお願いして県警本部長に掛け合ってもらいました。警察は一気に変わりましたね。覚せい剤の売人は姿を消し、ゴミの不法投棄をする人間は片っ端から警察が連行してくれました。


釜ヶ崎の問題は「経済学」からみると良く分かる

――鈴木先生は経済学者ですが、すごい行動力ですね。本も社会学者の著作のような印象です。

鈴木 実は、釜ヶ崎の問題は経済学からみると良く分かる話だともいえます。こうした問題解決には経済学は重要なのです。日本では必要な改革についての議論は繰り返し行われ、だいたい何をやるべきかは分かっているわけです。問題は行動するかどうか。今回、3年8カ月の記録を詳細に書いたのは、改革の実務のノウハウをきちんと蓄積していくことが重要だと思ったからです。全国各地で同じような改革を行おうとする首長さんやそのブレーンたちの参考になるようにと思って、細かい点まで書きました。もっとも役所の報告書のような形では面白くないので、ちょっと小説仕立てのような感じで書いていますので、読みやすいと思います。

――ところで鈴木先生は改革派の学者として有名な八代尚宏先生と八田達夫先生のお二人が恩師なのですね。

鈴木 上智大学で八代ゼミ大阪大学大学院で八田ゼミでした。改革志向がDNAとして刷り込まれていますので、改革派以外になりようがありませんね。


大阪に比べ、東京では敵か味方かがわかりにくい

――小池百合子さんが都知事になって東京都の特別顧問もお引き受けになりました。

鈴木 ええ。安倍晋三首相が旗を振る国家戦略特区に小池知事が乗り、担当の内閣府と東京都で共同事務局を作り、都庁内に設置しました。その事務局長というのも仰せつかっています。

――東京都は大阪市と比べ物にならない巨大な官僚組織ですが、改革の旗を振って動きそうですか。

鈴木 驚くほどハイハイとなんでも言うことを聞いてくれますが、実際には動かない面従腹背になるのではと懸念しています。大阪市の場合は、顔に「抵抗勢力」と書いてあるような幹部がいて、敵味方がはっきりしていました。敵だと分かれば、とことん説得して味方に付けたり、ダメなら首長の政治力で人事異動したりという事ができますが、東京都では今のところ、誰が改革に協力的で誰が抵抗勢力なのか見えません。官僚としては一枚も二枚も上手ということでしょう。




鈴木亘(すずき・わたる)氏
学習院大学経済学部教授
1970年兵庫県生まれ。1994年上智大学経済学部卒業、日本銀行入行。考査局経営分析グループなどで勤務。1998年日本銀行を退職し、大阪大学大学院博士課程入学。1999年経済学修士飛び級)、2000年同大学社会経済研究所助手、2001年日本経済研究センター研究員、2001年経済学博士。大阪大学大学院国際公共政策研究科助教授、東京学芸大学教育学部助教授、2008年学習院大学経済学部准教授などを経て2009年同大学教授(現職)。2012年3月から大阪市特別顧問。2016年9月から東京都特別顧問。著書に『だまされないための年金・医療・介護入門―社会保障改革の正しい見方・考え方』(東洋経済新報社)、『社会保障の「不都合な真実」』(日本経済新聞出版社)、『成長産業としての医療と介護―少子高齢化と財源難にどう取り組むか (シリーズ現代経済研究)』(八代尚宏氏との共編、日本経済新聞出版社)など。