現代ビジネスに3月29日にアップされた原稿です。オリジナルページ→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51329
本当に「撤退」できるのか
東芝の米原子力子会社ウェスチングハウス(WH)が3月28日(現地時間)、米連邦破産法11条の適用を申請すると大手新聞などメディアが一斉に報じた。
NHKも日本時間28日17時47分に、WHが破産法を申請することを東芝に「伝えたことが明らかになりました」と報じ、「東芝は経営再建に向けて、アメリカの原子力事業から撤退することになります」とした。
だが、そんな簡単に泥沼と化したWHから「撤退」できるのかどうか。東芝が今後、どんな「手」を繰り出すのかが注目される。
破産法の申請でWHは事実上、経営破たんしたことになる。今後、スポンサー企業の支援を得たうえで、再建を目指すことになる。一方の東芝は破産法申請によってWHが抱える原発建設などの「リスクを遮断」したい考えだが、そうそう簡単に損切りできそうにない。
東芝は2月14日に予定していた2016年3月第3四半期(2015年10〜12月)の決算発表ができず、3月14日に延期したが、これも再延期し、4月11日に発表するとしている。
決算ができずに立ち往生している格好だが、2月の段階で会社としての一応の決算数字は出している。それによると、WHがらみの減損額は7125億円としている。WHの破産申請でもこの金額が減ることはないとみられる。
損害賠償のリスク
問題はここから。東芝はWHが発行する社債や金融機関からの借入金が親会社保証を付けている。この債務保証額は昨年6月に公表した東芝の有価証券報告書によると7934億円に達する。破産法を申請すれば当然、債務保証の履行を求められる可能性が高まるから、2016年3月期の本決算で全額引き当てる必要が出て来るだろう。
日本経済新聞は「債務保証7934億円履行へ」と報じていたので、その通りならば、本決算では単純に合算して1兆5000億円の損失処理を迫られることになる。
それだけではない。さらに、WHの破綻によって原発が完成できないとなれば、損害賠償が起こされる可能性が高い。
東芝が3月に発表した資料には、完成しなかった場合の損害賠償についても親会社として東芝が保証しているとあった。つまり、WHを破産法申請させたからと言って、「リスクを遮断」することにはならないのだ。
このリスクをいくらと見てどれぐらいの引当金を積む必要が出て来るか。日経の報道では、「まだ不確定な部分も多く『現時点での算出は困難』(東芝幹部)」というコメントが掲載されていたが、算出困難を理由に一銭も引き当てを取らずに監査法人が監査証明を出すかどうか、大いに疑問だ。
4月11日に第三四半期の決算発表ができたとしても、次は本決算を5月に発表しなければならない。WHの破たんによって、通期決算を巡っても監査法人との間で激しい応酬が続くことが予想される。
「理解に苦しむ」
まだまだ爆弾がある。昨年の有価証券報告書には「天然ガスに関する契約」として、「液化役務提供会社の液化能力及びパイプライン会社のパイプラインを2019年から20年間にわたり一定規模利用する」契約を結んでいることが明らかにされている。
どうやら米国の液化天然ガス(LNG)を毎年200万トン、20年間にわたって引き受けるという話のようだ。
さらに有価証券報告書では、「全量について、需要家との間で、主として長期の取引契約を締結する予定ですが、原油価格等の動向次第では(中略)損失が発生する可能性があります」としている。液化施設とパイプラインの利用料は固定である一方、販売するLNG価格は時価なため、損失が出る可能性がある、としているのだ。
現状では「東芝が契約しているとみられるコストに比べて時価は半値」(エネルギー業界関係者)とされており、電力会社やガス会社との契約が進まないうえ、このままでは巨額の損失が発生する懸念が大きい。
2019年まで時間があるため、監査法人が引き当てを求めるかどうかは分からないが、リスクが大きいだけに、さらに具体的な情報開示を要求する可能性は高い。
「なぜ、電力会社でもガス会社でもない東芝が、こんなLNG契約を結んだのか理解に苦しむ」とエネルギー業界関係者は言う。どうやら、このLNGの契約は、WHが米国内での原発4基の工事を受注するための条件だった可能性もある。
東芝は2015年3月期決算でWHを含む原子力事業の「のれん」の減損として2476億円の損失をすでに計上している。さらに、今期で1兆5000億円の損失を出しても、訴訟リスクやLNGの損失リスクは兆円単位で残る可能性が高い。
半導体事業の分社・売却で利益を上げたとしても、WHがらみの損失で蒸発してしまう可能性が高い。3月決算を乗り切れたとしても、現経営陣が描く「新生東芝」を作ることができるのかどうか。まったく予断を許さない。