働き方改革で所得が「3%」減る? 残業減らしても所得を維持する仕組みが不可欠

日経ビジネスオンラインに12月29日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/083100051/

月60時間の残業規制で、所得は8.5兆円減少
 「残業代が無くなったら生活できない」――。

 いくら、長時間労働の是正を政府が声高に叫んでも、日本の会社から残業が無くならない最大の原因は、働く側のそうした「本音」にある。効率的に仕事を終わらせて定時に帰るよりも、毎日一定の残業をした方が「手取り」が増える。逆に、残業を止めれば手取りが減ってしまうのだ。

 長時間労働の撲滅を目指しているはずの労働組合も、労使交渉で「残業代は生活給の一部だ」などと主張したりする。過労死するような不本意な残業はともかく、そこそこの残業ならば、むしろ歓迎なのだ。

 だから、子育てや介護などで、本気で定時に帰らざるを得ないような状況に直面すると、「敵」は会社や経営者ではなく、同僚や労働組合ということになる。何せ、本音では残業をしたいと思っている人が少なくないのだ。

 「残業規制で所得8.5兆円減、生産性向上が不可欠」

 そんな記事が多くのメディアで報じられ、話題を呼んでいる。数値は大和総研が試算したものだ。政府が推進する働き方改革によって、国民の所得が減る可能性があるというのだ。長時間労働を是正すれば、その分残業代が減り、個人消費に逆風になる――。長時間労働は是正すべきだ、という「あるべき論」ではなく、いわば「本音」を数字で示した素晴らしい試算だ。

 計算は単純だ。安倍晋三内閣の「働き方改革」によって1人あたりの残業時間が月60時間に制限されれば、労働者全体で月3億8454万時間の残業が減少、それに時間当たりの残業代を乗じると、年間で8兆5000億円に相当するというものだ。この金額は雇用者報酬の全体の3%にあたる。

 この試算は、大和総研が8月17日に発表した「日本経済予測」の中に盛り込まれている。四半期ごとに公表している景気の先行き見通しで、今回は「経済成長の牽引役は外需から内需へ」というのがタイトルだ。

 政府が発表した2017年4〜6月期の実質 GDP国内総生産)成長率が前期比年率で4.0%増(前期比1.0%増)と予想以上の成長になったことについて、「個人消費、設備投資、 住宅投資、政府消費、公共投資といった主要内需項目が全て成長に寄与した」とする一方で、「前1〜3月期に続き、成長の牽引役が内需に交代している点は注目に値する」としている。そのうえで、今後もしばらくはこうした内需主導の経済成長が続くと予測している。

就業者増は見込めず、生産性向上が不可欠に
 「2017年度には、過去の個人消費に停滞感をもたらしてきた(1)年金の特例措置の解消、(2)現役世代の税・保険負担の増加、(3)過去の景気対策の反動、のいずれの要因についても、悪影響が一巡し、個人消費の見通しを明るくする好材料となっている」というのだ。

 そのうえで、考えられるリスクとして「残業代の減少」を挙げている。残業が減っても、その分が他の労働者の仕事に回れば、企業が払う給与総額は大まかに言って変わらない。ところが、残業時間分を新たな労働力で補おうとした場合、240万人のフルタイム労働者が必要になるとしている。「労働力率の上昇の余地も限られており、これ以上の大幅な就業者の増加は望みにくい」ため、残業が減った分、給与総額が減り、経済全体としては消費に回るおカネが減ってしまう可能性が出てくるというのだ。

 もちろん、だからと言って、長時間労働の是正はするな、としているわけではない。「IT(情報技術)投資、研究開発、あるいは企業の合従連衡などを通じた相応の労働生産性の向上が並行して達成されるか否か」が重要だと指摘する。言い換えれば、労働時間が短くなっても、企業の利益を落とさないような仕事のやり方に変えることが重要で、しかも、その分がきちんと労働者の給与に反映されるかどうかが重要だと言っているのだ。

 9月中にも開かれる臨時国会で、政府は「働き方改革」に関連した労働基準法改正案を成立させたい考えだ。その柱の1つが、「罰則付き残業規制」の導入である。今年3月に閣議決定した「働き方改革実行計画」に盛り込まれた規制案では、残業は月45時間、年360時間という原則を維持したうえで、労使合意によって認める残業時間の上限を月平均60時間、繁忙期を含めて年720時間とすることが固まっている。繁忙期の月に例外的に認められる上限も「100時間未満」で決着した。しかも、それを破れば、企業には罰則がかされる。

 8月の内閣改造で「働き方改革実行計画」を取りまとめた加藤勝信働き方改革担当相が、働き方改革担当を兼務したまま厚生労働相に横滑りしており、原案通りの成立を目指す姿勢が示されている。法案が成立すれば1〜2年以内に法律が施行されることになり、確実に残業時間は減る方向へと動くことになるだろう。

 そんな中で、大和総研のレポートが危惧するように、残業時間が減って、給与も減ってしまっては、経済成長の足を大きく引っ張ることになる。では、どうやって生産性を高めていくのか。

 まずは所定労働時間内で従来と同じ成果を上げる工夫がいる。生産性を上げるというと、今までと同じ仕事をより短時間の間に「回転率」をあげてこなす事だと考えがちだ。だが、現実には「回転率」を上げるのはそうたやすい事ではない。そうでなくても「失われた20年」の間に、企業は人数をとことん減らし、スリム化してきた。増えている仕事を今の人数でこなすのは無理だと感じている人も多いだろう。

残業規制と高度プロフェッショナル制度はセット
 そこで不可欠なのが業務改革である。余計な会議や仕事のプロセスを思い切って省き、同じ成果を上げられる工夫をする。また、一人ひとりの仕事を明確にすることで、二重三重になっている仕事を止めることだ。

 しばしば指摘されることだが、欧米企業の方が労働時間が少ないにもかかわらず、生産性が高いのを見れば、まだまだ日本企業に生産性向上の余地はある。

 さらに重要なのは、業務の見直しで生産性が上がり利益を維持できたならば、その分、賃上げを行うべきだ。残業代が減って、その分が企業の内部留保に回っては何にもならない。きちんと、所得が維持される、もしくは生産性が上がった分だけ、さらに基本給やボーナスが上昇する仕組みを早急に取り入れる必要がある。これは経営者の手腕だ。

 「そんなに簡単に賃上げなどしてくれない」と思う人も多いだろう。だが、働く側にとっても追い風がある。猛烈な「人手不足」だ。もはや優秀な人材を確保しようと思えば、給与を引き上げなければ難しい。すでに社内にいる人材にしても、満足する報酬を維持しなければ、ライバル企業に転職しかねない。「長時間労働で安月給」という企業に未来はない。しかも、今後ますます人手不足は深刻化する。特に若い優秀な人材を確保するのは難しい。

 政府も待遇改善を後押ししている。法律で定める「最低賃金」の引き上げだ。大都市部ではアルバイトの時給が1000円を超えてきた。パートやアルバイトの時給が上昇すれば、相対的に若年層の給与も引き上げざるをえなくなる。

 だが、最大の問題点は、「手当が欲しいから残業する」という働く側の「本音」をどう変えていくかだ。一つの方法は、「残業してもしなくても給与は同じ」にすることだろう。手取りが変わらないのなら、残業はしない。つまり「残業」のメリットをなくせば、誰も残業などしなくなる。

 政府が労働基準法改正で実現したいとしている「高度プロフェッショナル制度高プロ)」はその突破口になり得る。労働組合や左派政党は「残業代ゼロ法案」と言って批判するが、対象は「年収1075万円以上の従業員」である。管理職はもともと残業代が払われないので関係ない。

 1075万円以上の年収がある「従業員」は、年金保険料の支払いデータでみると全体の1%未満だ。残業代込みで1075万円以上と考えれば、今の水準より引き上げになる人がほとんどである。さらに管理職でも1075万円以上をもらっていない人は多くいるので、そうした人たちの給与を引き上げる効果もあるだろう。

 つまり、時間に関係なく給与が払われる仕組みが導入されることによって、多くの社員が「どうすれば残業時間を減らせるか」「より短時間で成果を上げられるか」を考えるようになるに違いない。

 そう考えると、残業の上限規制と、高度プロフェッショナル制度の導入という労働基準法改正は、あくまでセットで法案成立させるべきものだろう。