月刊エルネオス3月号(3月1日発売)に掲載された原稿です。
安倍晋三首相は今年の春闘で、経済界に対して「三%の賃上げ」を求めている。企業業績の回復と人手不足もあって企業経営者の間にも賃上げ容認ムードは高まっており、五年連続のベースアップ(ベア)は確実な情勢だ。だが、一方では給与が増えているという実感に乏しい、という声も聞く。果たして二〇一八年は人々が実感できるだけの「賃上げ」が実現するかどうか。
厚生労働省が発表した毎月勤労統計調査の一七年分では、実質の「現金給与総額」が前年比〇・二%減少した。一六年は増加していたにもかかわらず、再びマイナスになったのだ。新聞各紙にも「二年ぶり減少」という見出しが躍った。賃上げしているはずなのに減少とは、いったいどうしたことか。
ここで注意が必要なのは、この数字が「実質」であるということ。給与の増加分から物価の上昇分を差し引いている。一七年の場合、給与は〇・四%増えたのだが、消費者物価が〇・六%上昇したため、「実質」では〇・二%の減少となった。せっかく給与が増えても物価が上昇しては使用価値が増えないわけで、「実質」で見ることにも一理ある。
これを受けて野党は、アベノミクスは失敗だと批判を強めている。民主党政権時代などデフレが続いていたため、給与が実質でプラスになる現象が起きた。給与が減っても、消費者物価がそれ以上に下落すれば、実質賃金はプラスになる。確かに、価格下落が進めば同じ一万円でも使用価値が高まるというのは事実だが、消費も生産もどんどん縮小していってしまう。デフレの怖いところだ。
パートタイムと一般労働者
統計に戻ると、事業所規模五人以上を対象とした現金給与総額は、全産業の平均で月額三十一万六千九百七円。前述の通り〇・四%増えた。給与の「実額」としては一三年以降五年連続の増加である。
もう一つ、注意が必要なのは、この数字には「パートタイム労働者」も含まれている点だ。正社員などの「一般労働者」分だけを見るとまた違った様子が見えてくる。パートの給与の総額は月九万八千三百五十三円と低い。フルタイムで働いているわけではないので当然といえば当然だ。しかも、働き手に占めるパートの割合は年々上昇している。〇八年に二六・一一%だったパート労働者の比率は一貫して上昇を続けて、一七年に三〇・七七%になった。パートが三割を超えているのだ。フルに働いていない給与総額の少ない人の割合が増えているわけだから、全体数字の足を引っ張ることになる。
では、一般労働者分だけを見るとどうか。直近の底は〇九年の三十九万八千百一円。それが一三年以降、五年連続で増加し、一七年は四十一万四千一円になった。リーマンショック前の〇八年の四十一万四千四百四十九円にあと一歩に迫っているのである。これは中小企業も含めた金額だ。
では、産業別に見た給与動向はどうだろうか。ここからは正社員など「一般労働者」と「パートタイム労働者」に分けて見ることにする。
一般労働者で最も給与が高い産業は「電気・ガス業」。五十六万八千三百九円に達する。インフラを担う事業として安定的な収益を稼いできたことから、特に地方中核都市などでは人気職種になってきた。もっとも、電力やガスの小売り自由化が進んでいるほか、原子力発電所の稼働停止で電力会社の収益も悪化傾向にある。二〇一七年は前年比ではマイナス一・一%となった。
次いで高かったのが、「金融業・保険業」で五十二万六千六百一円。伸び率も二・七%増と高かった。他の産業で給与増が目立ったのは、「建設業」と「卸売業・小売業」の一・〇%増、「医療・福祉」の〇・八%増、「製造業」の〇・六%増などとなった。
パートを見ると、不思議な数字が表れる。人手不足が深刻化して給与が上昇しているはずの「卸売業・小売業」や「飲食サービス業等」でむしろ給与総額が前の年より減ったのだ。「卸売業・小売業」が九万五千三十三円と〇・四%減、「飲食サービス業等」が七万五千七百六十七円と〇・一%減ったのである。
原因は、一人当たりの平均勤務時間が大きく減少していること。「卸売業・小売業」のパートの労働時間は一・九%減、「飲食サービス業等」では二・一%も減った。人手不足が深刻化して、深夜営業を取りやめたり、営業時間を見直すなど、パートの労働時間が減っていることが背景にありそうだ。また、パートを正社員化する動きも影響していると見ていいだろう。
非正規上回る正規雇用の伸び
今後、「働き方改革」が進むとともに、業種別の賃金や労働時間も大きく変わってくるとみられる。残業代などの「所定外給与」の伸びが一七年で最も高かったのは、一般労働者では「建設業」の七・五%増、「運輸業・郵便業」の三・三%増など人手不足を残業で吸収していることが分かる。
デフレ時代は人件費を抑制するために、多くの企業や店舗などの現場で、「非正規化」を進めた。正社員が退職した後を補充しなかったり、契約社員やパートなどに置き換えるケースが多かった。団塊の世代が大量退職して嘱託社員などの非正規雇用に就く人たちが多く存在したことも大きい。
安倍内閣が掲げた女性活躍促進などもあり、パートで働く主婦層も大幅に増加した。前述のようにパート比率が上昇してきた背景には、こうした人たちの増加もあった。
ここへきて猛烈な人手不足となったため、パートの人件費は急上昇している。一七年の給与額で見ても、一般労働者の給与が〇・四%の増加だったのに対して、パートは〇・七%増だった。最低賃金の引き上げもあり、パートの賃金は決して割安ではなくなっている上、長期的な人手不足を補うために、正社員を雇う動きが活発になっている。
正社員の有効求人倍率が一倍を突破、被雇用者の伸びを見ても、正規雇用の伸びが非正規雇用の伸びを上回る状態が続いている。
今後も給与の上昇が続くことになりそうだが、冒頭で見たように、「実質」でプラスになるかどうかは微妙だ。日本銀行は二%の物価上昇を目指して金融緩和を続けており、物価もじわじわと上昇しそうだ。物価上昇を上回る賃上げを企業が続けられるかどうかに、今後も関心が集まることになるだろう。