「ニセコ」が国際リゾートに変貌した真相 立役者のロス・フィンドレー氏に観光戦略を直撃

日経ビジネスオンラインに6月8日にアップされた原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/238117/060700078/

 北海道倶知安町。2018年の公示地価で、住宅地、商業地ともに上昇率全国トップに躍り出た。理由は外国人にスキーリゾートとして「ニセコ」が人気を博していること。外国人自身が別荘などとして不動産を取得しているほか、リゾートとしての発展を見込んだ投資も増えている。いわゆるインバウンド(訪日外国人)に沸いている町だ。2018年1月時点の町の人口は1万6492人だが、うち1648人が外国人。何と1割が外国人という日本の地方としては有数の“国際化”が進んだ地域でもある。そんな倶知安町に30年近くにわたって住み、ニセコの魅力を発信してきたNAC(ニセコアドベンチャーセンター)のロス・フィンドレー社長に話を聞いた。 (聞き手は磯山友幸


世界中のスキーヤーに高い人気


ロス・フィンドレー氏
1964年オーストラリア・メルボルン生まれ。キャンベラ大学卒業。米国やスイスでスキーのインストラクターを経験。1989年来日、札幌でスキー学校のインストラクターなどを務める。1992年倶知安町に移住。建設会社で働きながら、スキーのインストラクターを続ける。1994年ニセコアドベンチャーセンター(NAC)設立。社長に就任して今に至る。冬のスキーによる観光しかなかったニセコ地域に、ラフティングなど夏の体験観光を付加、広く国内外から観光客を集めることに成功した立役者。日本人の妻との間に4人の子どもがいる。


――日本は政府をあげて訪日外国人の受け入れ増加を目指しています。2017年は2869万人が訪れました。ニセコ地域はオーストラリアや欧米からの観光客が多く、観光地として成功していますね。

ロス・フィンドレー氏(以下、フィンドレー):「ニセコ」ブランドが世界で通用するようになってきました。スキーヤーの間では、スイスのサンモリッツやカナダのウィスラーに引けをとらない知名度になっています。2000年頃にオーストラリアの旅行会社がニセコのスキーを商品にして200人くらい来ました。それをきっかけに、雪質が最高だということで、評判が評判を呼びました。ここは、シーズン中ずっとパウダースノーで、アイスバーンになりません。ただ、リゾート地としての整備はまだまだです。

――何が問題なのでしょうか。

フィンドレー:通年雇用が多くないので、なかなか優秀な人材が腰を落ち着けて住んでくれません。通年雇用を生む観光業やビジネスを広げなければいけません。私の会社NACでは夏にラフティングを始め、今では夏の間にラフティング目当てのお客さんが3万人近く来るようになりました。

 冬のスキー、夏のラフティングと目玉ができましたが、それでも5、6、10、11の4カ月はお客さんがほとんど来ません。ホテルも営業を休み、海外の人もいなくなります。別荘などもガラガラです。稼働率が極端に落ちる中で従業員を雇い続けることが難しいわけです。


観光開発の「グランドデザイン」が不可欠
――1年中お客さんに来てもらう仕掛けづくりが重要だ、と。

フィンドレー:ええ。1週間は滞在して欲しいので、1週間分の「遊び」を用意しなければいけません。尻別川での川遊びも、ラフティングだけでなく、カヤックや小型のボート「ダッキー」、立って乗る「サップ(スタンドアップパドル)」などに広げています。林道や山道、川原、草原などを走るマウンテンバイク・ツーリングも始めました。

 2017年11月にオープンしたのが「NACアドベンチャーパーク」です。町有林を借りて高さ4メートルから13メートルくらいの高さに様々な足場を付け、木から木へと移動していくスリリングな遊びです。難易度の異なるコースがありますが、小学校高学年ぐらいから楽しめます。


ニセコアドベンチャーセンター(NAC)


――春から秋までお客さんを引き寄せられる目玉を作っているわけですね。地域の行政や民間が一体になって取り組んでいるのですか。

フィンドレー:そこが問題なんです。町、北海道、国がバラバラで統一したビジョンがないのです。国も観光庁国土交通省農林水産省経済産業省など縦割りです。

――グランドデザインが描けていない、と。

フィンドレー:観光開発にはこの地域をどんなエリアにしてブランドを磨いていくのか、グランドデザインが不可欠です。私はアジアのアウトドアの中心地にできると思っています。気候が良く、空気も水も綺麗なニセコに、アジアの都市住民が喧騒を逃れてやってくる。「アウトドアはニセコ」というブランドを距離の近いアジアでプロモーションしていくべきだと考えています。

――ところが省庁は縦割りでまとまらない。

フィンドレー:私たち民間が何かやろうとして認可を求めても、お役所仕事ですぐに1年2年かかってしまいます。役所の職員は時間がかかってもその間給料がもらえますが、民間は収入なしで従業員を食べさせていかなければなりません。

 町長はいろいろな意見をもった人の調整役で、大変だと思います。しかし、町としてのビジョンを掲げるべきだと思いますね。例えば、将来の人口を何人にするかをもっと高く掲げてもいい。

――倶知安町の不動産価格が全国トップの上昇率になっています。

フィンドレー:投資で新しいおカネが入って来ることはとても大切です。一方で、不動産価格が上がると、住宅の賃料も上がり、スキー場で働こうとする若い人たちの大きな負担になります。町営アパートを活用するなど対策が必要です。


英語ができないと仕事にならない
――NACなどフィンドレーさんの会社では何人ぐらい雇っているのですか。

フィンドレー:社員は20数人ですが、夏になるとアルバイトなどで90人くらいになります。ニセコも人手不足です。ここでは英語ができないと仕事になりません。英語ができないと、雪下ろしのような仕事しかできない。町民教育、グローバル教育に力を入れていく必要があります。

 今は、優秀な人材ほど町から出ていきます。高校進学や大学進学のために出て行って戻ってきません。この町で教育を受けて国際的な大学受験資格であるインターナショナル・バカロレア(IB)を取れるようにする。「グローバル教育研究会」というのが立ち上がって、IBについて研究しています。英会話を学ぶ機会を増やすなど、少しずつ前に進んでいます。


NACのカフェからは羊蹄山が一望できる


――ニセコに住みたいという外国人は多いのですか。

フィンドレー:冬だけやってくる外国人も多いのですが、今、定住していて夏もいるのは500世帯くらいでしょうか。日本で暮らしたいと考えている外国人の中には、子どもを東京ではなく自然の多いところで育てたいという人が少なくありません。そうした人たちにニセコは魅力的です。だからこそ、通年で働ける仕事が重要なのです。通年で働ける仕事でないと、スタッフの質も上がりません。

――フィンドレーさんはなぜニセコに定住したのですか。

フィンドレー:1989年に日本に来ました。札幌・手稲三浦雄一郎さんのスキースクールでインストラクターをしていましたが、ニセコに遊びに来た時に、若い人たちがたくさん集まっていて非常に楽しかった。もちろん雪質が良いことにもひかれました。それでニセコで働くことにしたのですが、なかなか仕事がありません。ようやく建設会社に採用されて3年間働きました。

 オーストラリアの大学時代、スポーツ科学を学んでいたこともあり、自分でスポーツビジネスがやりたかったのです。それでNACを立ち上げました。1994年に設立して24年が過ぎましたが、札幌でクライミングジムを作るなど順調に拡大しています。

――最近では観光庁の「観光カリスマ」に選ばれるなど、政府の会議のメンバーとして、日本の観光行政に意見を述べています。

フィンドレー:繰り返しになりますが、明確なビジョンを示してブランドを磨くこと。そして国際的なプロモーションをきちんと行うことです。これはニセコに限ったことではありません。その町その町の特色を打ち出し、魅力を発信することが何より重要だと思います。まだまだ日本の観光はチャンスがあると思います。