「最低賃金1000円時代」は経済にプラスかマイナスか 労働分配率低下には歯止め

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もっと上げるべきなのか

いよいよ最低時給が1000円の時代がやってくる。

政府は5月31日に経済財政諮問会議を開き、6月下旬に閣議決定する今年の「経済財政運営と改革の基本方針」いわゆる「骨太の方針」の骨子案を示した。その中で最も注目されるのが、最低賃金の引き上げだ。

低迷が続く個人消費を底上げするために、大幅な引き上げを求める声が上がっている一方、中小企業団体などからは反発する声も上がっている。果たして、最低賃金の引き上げは経済にプラスなのか、マイナスなのか。

最低賃金は過去3年間、全国平均で3%程度引き上げられてきた。現在、最低賃金(時給)の全国平均は874円。東京都は最低時給985円、神奈川県は983円となっており、昨年並みの引き上げ(東京都は2.8%増)が今年も決まれば、10月から東京や神奈川では1000円を上回るのが確実な情勢になっている。

一方、大阪府は現在936円などと、地方によって格差が大きい。地方の最低賃金を大幅に引き上げることで、全国平均で5%程度引き上げるべきだと、諮問会議の民間議員を務める新浪剛史サントリー社長らが強く主張している。

新浪氏はこれまでの会議の席上でも、最低賃金の上昇が消費増に大きな効果があることがデータで示されているとして、「引き続き最低賃金を力強く上昇させていくことが、内需をしっかりと支えていくために必要」と発言。「できるだけ早期に全国加重平均1000円を目指すべきではないか」と強調している。さらに「従来の3%の引上げペースに止まらず、むしろ、もっとインパクトを持たせるためにも5%程度を目指す必要がある」とまで言っているわけだ。

これに歩調を合わせる形で、自民党の賃金問題に関するプロジェクトチーム(PT)は5月30日、最低賃金を「2020年代のできるだけ早期に全国加重平均1000円を実現する」と提言した。こうした流れを受けて政府も骨太の方針に早期の「平均最低時給1000円」実現を盛り込む見通しだ。

自民党のPTでは、都道府県別になっている最低賃金を、全国一律にすべきだという意見が出ており、各界に波紋を投げかけていた。政府は働き方改革の一環として「同一労働同一賃金」を掲げており、同じ労働に対して県境を越えただけで最低賃金が変わるのはおかしい、という主張が出ていた。

足を引っ張ると見るべきか

5月の大型連休ぐらいまでは、自民党が夏の参議院選挙に向けた「政策集」に全国一律化を検討する方針を明記する方向で調整していたが、ここへきて急速いトーンダウンしている。というのも中小事業者の間から猛烈に反発する声が上がっているからだ。

日本商工会議所は5月28日、全国商工会連合会全国中小企業団体中央会と連名で、最低賃金の引き上げを推し進める政府や自民党の方針に反対する「要望書」を提出した。

その中で、「大幅な引上げは、経営基盤が脆弱で引上げの影響を受けやすい中小企業・小規模事業者の経営を直撃し、雇用や事業の存続自体をも危うくすることから、地域経済の衰退に拍車をかけることが懸念される」と訴えている。最低賃金の引き上げは経済にマイナスだとしているのだ。

そのうえで、以下の要望をしている。

①足元の景況感や経済情勢、中小企業・小規模事業者の経営実態を考慮することなく、政府が3%を更に上回る引上げ目標を新たに設定することには強く反対する。

最低賃金の審議では、名目GDP成長率をはじめとした各種指標はもとより、中小企業・小規模事業者の賃上げ率(2018 年:1.4%)など中小企業・小規模事業者の経営実態を考慮することにより、納得感のある水準を決定すべきであり、3%といった数字ありきの引上げには反対である。

③余力がある企業は賃上げに前向きに取り組むべきことは言うまでもないが、政府は賃金水準の引上げに際して、強制力のある最低賃金の引上げを政策的に用いるべきではなく、生産性向上や取引適正化への支援等により中小企業・小規模事業者が自発的に賃上げできる環境を整備すべきである。

つまり、賃上げは企業が儲かったら自発的に行うもので、政府に数字を示されて行うものではない、と言っているのだ。

企業の貯め込みすぎは事実

確かに、正論のように聞こえる。だが、実際には、日本では企業の儲けに連動した賃上げは実現していない。賃上げを抑える一方で、企業は内部留保をせっせと溜め込んでいるのが実態だ。

財務省が2018年9月に発表した2017年度の法人企業統計では、企業(金融・保険業を除く全産業)の「利益剰余金」、いわゆる「内部留保」が446兆4844億円と前年度比9.9%増え、過去最高となった。増加は6年連続だが、9.9%増という伸び率はこの6年で最も高い。金融・保険業を加えたベースでは前年度比10.2%増の507兆4454億円と、初めて500兆円を突破した。

同じ法人企業統計で企業が支払った人件費の総額は206兆4805億円で、前年度に比べると2.3%増えた。

確かに、人件費は増えたのだが、企業が生み出した付加価値のうちどれぐらい人件費に回しているかを示す「労働分配率」は66.2%で、2011年度の72.6%からほぼ一貫して低下し続けている。やはり、企業収益は社員に十分に還元されていないのである。

利益を溜め込んでいるのは大企業で、中小企業は懐が苦しいのだ、という反論が聞こえてきそうだ。だが、残念ながら、利益を上げられていないのは中小企業の経営者の責任で、働き手の責任ではない。中小企業は総じて生産性が低く、そのしわ寄せが従業員に行っているのである。

中小企業は積極的に従業員の待遇改善を行い、それを製品価格に上乗せすべきだ。実際、優秀な人材を取るために、給与を引き上げている中小企業経営者も少なくない。最低賃金が1000円になったら経営が成り立たないというのは、すでに存在価値を失っているということかもしれない。

あるいは大企業の横暴な値下げ要求で、価格転嫁ができない、と言うかもしれない。それこそ、中小企業団体が一致団結して、製品価格の値上げを受け入れるよう大企業に求めるべきだろう。要望書の方向が間違っているのではないか。

今や空前の人手不足である。しかも、高校や大学を卒業して働く新卒学生は年々減少が続いている。安い給与で働かせようとしても、そうした企業には誰も振り向かない時代が来ているのだ。

消費が盛り上がらないのは、買いたいものがないわけでも、消費意欲が衰えたからでもない。働く世代の可処分所得が年々少なくなっているからだ。

最低賃金の引き上げや、最低賃金の全国一律化は、間違いなく給与の増加に結びつき、それが消費へと向かう。消費が増えれば、企業も改めて潤うわけだ。いわゆる経済の好循環を起こすには、最低賃金の大幅引き上げは効果が大きいとみるべきだろう。