"国民のため"に統計を操作する官僚の驕り これでは政策の効果が検証できない

プレジデント・オンラインに1月25日にアップされた拙稿です。オリジナルぺージ→https://president.jp/articles/-/27426

「なぜ」が不明なうちに、さっさと処分を決定
厚生労働省は1月22日、年明けに発覚した「統計不正」問題で、鈴木俊彦事務次官ら計22人の処分を発表した。鈴木次官と宮川晃審議官は訓告、調査を担当した元職員らを減給などした。加えて、根本匠厚労相は4カ月分の給与と賞与を全額返納。副大臣政務官事務次官、審議官ら計7人も給与を自主返納する。

何とも早い対応である。特別監察委員会(委員長、樋口美雄労働政策研究・研修機構理事長)が同日、中間報告を公表したとはいえ、肝心の「なぜ」そんな不正が続いていたのかも明らかになっていない中で、さっさと処分を決めたのは、早期の幕引きをはかりたいとの意図が見え見えである。

不正があったのは厚労省が発表している「毎月勤労統計」。従業員500人以上の大企業について、本来は「全数調査」をしなければならないにもかかわらず、東京都については、2004年からほぼ3分の1の「抽出調査」しかしておらず、全数調査と違いが生じないようにする統計学的な補正も行われていなかった。

2000万人に600億円を追加支給することに
問題が大きくなったのは、その調査結果で得られた現金給与総額の伸び率である「賃金指数」が、雇用保険労災保険船員保険などが支払われる際の算定基準として使われていたこと。大企業の一部を除外した格好になるため、現金給与総額が本来より低い数字に抑えられていた。年初段階で厚労省は、計算上564億円が過少に給付されていた、と発表した。

しかも、その対象になる人数がのべ2000万人を超えることが明らかになったことから、大騒ぎとなったわけだ。早々に政府は、過少給付分を全額、追加支給する方針を表明。金利など37億円と合わせて600億円あまりの支払いが生じることとなった。すでに閣議決定していた2019年度予算の修正を行わざるを得なくなったことから、厚労省の責任問題に発展していた。

早期の幕引きへ処分を急いだ背景には、首相官邸の強い意向があったとされる。というのも、安倍首相周辺は一様に「ある問題」を思い出したからだ。

「データ不備」は安倍首相らのトラウマ
2007年の「消えた年金記録」問題である。当時の社会保険庁(現・日本年金機構)のデータ不備が発覚、年金記録5000万件が消えているとして大騒ぎになった。これが第1次安倍晋三内閣の支持率を急落させ、わずか1年の短命内閣として崩壊するひとつの原因になった。それが安倍首相らの「トラウマ」になっている、と官邸の幹部は言う。今回の統計不正の影響が2000万人にのぼるとあって、安倍官邸には大きな衝撃が走ったわけだ。

問題を公表した1月11日から14日までの4日間だけで、過少給付に関する問い合わせが1万2000件以上に達したことが明らかになり、国民の不満が燎原の火のごとく広がる懸念が強まっていた。だからこそ、処分を急いだのである。

また、今回の問題を「過去の問題」として矮小化しようという意図も透けてみえる。事務次官と審議官を除く処分対象者20人のうち、現職は4人だけ。すでに退職している官僚が16人にのぼる。2004年以降、統計に直接携わった人たちだ。

処分の理由はあくまで「全数調査」すべきなのを「抽出調査」にした「不適切」な手法を、問題だと気付きながら、前任から踏襲したというもの。あくまでも「初歩的なミス」ということにしている。不正の意図はなかった、ということで問題を終わらせようとしているわけだ。

「不正ではない」と結論づけていいのか
確かに、全数調査すべきところを東京都だけ抽出調査にしたのは、作業量を抑えるためだったのだろう。厚労省が2003年に作った厚労省のマニュアル「事務取扱要領」に「全数調査でなくても精度が確保できる」とする記述があり、翌年から抽出調査になっていたとされる。今回の問題発覚する前まで、「抽出調査」を東京都だけでなく、大阪や愛知などにも広げようと準備をしていたことも明らかになっており、まったく「悪意」がなかった傍証とも言える。

過去から続いてきた調査方法の不備は、確かに統計法違反で、保険支給に多大な影響を与えたが、それ自体が「不正」として悪質性の高いものではないように見える。厚労省が言うように「不適切」な「基本的ミス」ということかもしれない。

それでは問題はない、不正ではない、と結論づけていいのか、というとそうではない。問題は、統計手法に問題があると気づいて以降の対応だろう。

2015年になって前述のマニュアルから、抽出調査で問題ないとする記述が消えた、と報じられている。つまりこのタイミングで、厚労省は問題に気づいていたということである。

ちょうどこのタイミングで、ひとつの動きがあった。

公式な会議で見直しを「指示」した麻生氏
2015年10月16日に首相官邸で行われた経済財政諮問会議。その席上、麻生太郎副総理兼財務相が、毎月勤労統計について「苦言」を呈しているのだ。

「毎月勤労統計については、企業サンプルの入れ替え時には変動があるということもよく指摘をされている。(中略)統計整備の司令塔である統計委員会で一部議論されているとは聞いているが、ぜひ具体的な改善方策を早急に検討していただきたいとお願いを申し上げる」

公式な会議で、正式に見直しを「指示」されたのだ。厚労省はこれを受けて、統計手法の見直しに着手する。従業員30人以上499人以下の事業所についてはもともと「標本調査」を行っていたが、その対象入れ替えの方法を変えたのだ。

実は、麻生氏がこの調査にかみついたのには理由があった。ほぼ3年に1度行われてきた対象入れ替えは、「総入れ替え」して行われていた。2015年1月にも総入れ替えが行われたが、過去にさかのぼって実績値が補正された。その結果、安倍政権が発足した2012年12月以降の数字が下振れしてしまったのだという。安倍政権発足以降も賃金が下がっている、というのはおかしいのではないか。麻生氏が指摘したというのだ。

「サンプル入れ替え」の影響に気付いていたはず
おそらく、このタイミングで、厚労省の担当者は全数調査とされていた500人以上の大企業が東京都では抽出調査になっていたことに気づいたはずだが、それでも調査方法を全数調査に戻すことはしなかった。この辺りから、意図的な隠蔽が始まったとみていいのではないか。

調査方法の見直しによるサンプル入れ替えが実施された2018年1月以降、賃金指数が非常に高い伸びを示した。麻生大臣にはご満悦の結果になったわけだが、統計を見ているエコノミストの間からは疑問の声が上がった。

名目賃金6月 3.6%増、伸び率は21年ぶり高水準」(日本経済新聞

「6月の給与総額、21年ぶり高水準 消費回復の兆しも」(産経新聞

2018年8月8日、新聞各紙はこう一斉に報じた。厚労省が発表した現金給与総額の伸びの速報値である。その後の確定値では、5月が対前年同月比で2.1%増、6月は3.3%増となったが、このデータが景気回復と賃金上昇を裏付けることになったことは間違いない。ところがエコノミストから「数字が変だ」という指摘が相次いだのである。

実は、対象入れ替えが大きな影響を及ぼしていることに厚労省は気づいていた。そのため、「継続標本」での比較という資料を公表していた。入れ替えの前後で共通するサンプルだけで比較した場合、5月は0.3%増、6月は1.3%増であるという。もちろん、新聞記者はそんな数字には全く気が付かず、厚労省が発表した統計数字を「21年ぶりの高水準」と報じたわけだ。

達成されていなかった「3%の賃上げ」
安倍首相はかねて経済界の首脳たちに、賃上げの拡大を求めてきた。2018年の春闘では「3%の賃上げ」と具体的な数値を示していた。つまり、毎月勤労統計の数字は、「公約」が守られたことを「証明」する数字だったのだ。これが報じられた8月は、自民党総裁選に向けて自民党有力者たちの立候補の動きが注目された時期である。

今回、明らかになった「不適切」な統計によっても、この数字が押し上げられていたことが明らかになった。厚労省の再集計によると、6月の賃金指数の伸びは2.8%。サンプル入れ替えを問題なしとしても、抽出調査の影響で0.5%も低かったことが判明したのだ。3%という公約は、実際には達成されていなかったことが明らかになった。

日本の統計は政治家や官僚たちに都合のよいように、恣意的に操作されているのではないか。そんな疑念が広がる。政策決定の基礎である統計が操作されていたとすれば、その政策決定自体が歪んでいることになりかねない。

厚労省は昨年2018年にもデータで大チョンボを引き起こしている。安倍首相の答弁用に用意した裁量労働を巡るデータが都合よく加工されたものだったのだ。

「都合のよいデータ」を使うのは官僚の常套手段
安倍首相は1月29日の衆議院予算員会で、「平均的な方で比べれば、一般労働者よりも(裁量労働制で働く人の労働時間が)短いというデータもある」と発言した。ところが、その前提だったデータは、調査方法が違う2つの結果をくっつけたもので、本来は単純に比較できない代物だったのだ。

安倍首相は答弁を撤回しただけでなく、裁量労働制拡大を「働き方改革関連法案」から削除するところまで追い込まれた。なぜ、そんなデータを首相答弁用に作ったか、今も真相はやぶの中だ。法案を通したい安倍首相に「忖度」したとも、逆に裁量労働制拡大を潰すために仕掛けた「自爆テロ」だとも言われている。いずれにせよ、官僚が自分たちに都合のよいように鉛筆をなめていたのだ。

自分たちに都合のよいデータを使って政策説明をする、というのは霞が関官僚の常套手段になっている。政策官庁自身が多くの統計を自分たちで調査していることも、そうした「操作」の温床になっている。政策が正しいかどうか、あるいは、政策実施によって効果が表れたかどうか、中立的な統計が保証されていなければ、実態が分からない。

霞が関からは、不適切な調査が行われたのは人手不足だからだという声が出始めている。欧米に比べて公務員数は少ないのだから、増やせというのだ。霞が関の真骨頂である「焼け太り」だ。独立性を重視した統計を目指すならば、いっそのこと、すべての統計作業を民営化するなり、民間シンクタンクに委託するべきではないか。