三菱重工、旅客機開発凍結が物語る日本製造業の「ゲンバ」崩壊 日本人技術者の力、見る影もなし

現代ビジネスに11月6日に掲載された拙稿です。是非ご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77062

1兆円つぎ込んで型式証明も取れず

三菱重工業は10月30日、ジェット旅客機「三菱スペースジェット(旧MRJ)」の開発を、事実上凍結したことを正式発表した。

新型コロナウイルスの蔓延による航空業界の事業縮小が引き金になったとはいえ、航空会社への納入が6度にわたって延期されるなど、技術力そのものに疑問符が付いていた。

2016年には大型客船事業からも撤退していたが、これも納入遅れによる巨額損失が引き金。外国人技術者に依存せざるを得なくなった日本の製造業の「ゲンバ(現場)」の崩壊を象徴している。

三菱スペースジェットは日本製の小型旅客機として計画された。2008年には全日空からの受注を受け、子会社「三菱航空機」を設立して開発・製造を進めてきた。2013年に初号機が納入される予定だったが遅れに遅れ、2015年11月にようやく初飛行にたどり着いた。

ところが、国が機体の安全性を証明する「型式証明」はいまだに取得できていない。2020年3月期には減損損失などで2600億円強の費用を計上。すでに1兆円の資金が投じられ、経済産業省も支援の一環として500億円の国費を投じた。

今後も型式証明の取得に必要な作業などは続けるとしているが、飛行試験などは中断する。これまで「2021年度以降」としていた納期もメドが立たなくなった。事業化自体が幻に終わる可能性すら語られている。

日本人の力だけではもはや無理だったが

いつまで経っても「型式証明」が取れず、事業化が遅れた最大の理由は「現場力の低下」だと指摘する声は大きい。

2016年にはそれまでの方針を転換、航空機開発の経歴を持つ外国人エンジニアの採用に踏み切り、300人以上の外国人が開発に携わってきた。ところが、各所で外国人技術者と日本人プロパー社員が対立、開発が遅れる大きな要因になったとされる。

2020年の年明けまでは「外国人技術者との融合」などを掲げていたが、新型コロナの影響が広がった6月には、最高開発責任者だったアレックス・ベラミー氏の退任や外国人技術者の100人規模への縮小を決定。7月1日付けで川口泰彦がチーフ・エンジニアに就いた。この段階で、早期の事業化を断念したとみていい。

ベラミー氏は英国のBAEシステムズから、小型機を製造するカナダのボンバルディアに移り、三菱航空機に入社する前の5年間はボンバルディアの小型旅客機「Cシリーズ」の開発メンバーとして計7機の飛行試験機に携わり、「型式証明」の取得などを担当、航空機開発のエキスパートだった。

日本人プロパー社員技術者には、自社の技術力は高い、という自負がある。外国人に頼らなくても飛行機は作れるという思いが現場での摩擦を生んだ。

外国人エキスパートと日本人プロパーの「仕事の仕方」の違いも大きかった。開発現場に権限移譲が進まず、仕様などを変更する際にはいちいち本社の幹部や役員に稟議を回すため、時間がかかった。典型的な日本企業である三菱重工のプロパー社員にとっては「当たり前」の手続きだったが、即断即決に慣れていた外国人技術者を苛立たせた。

外国人技術者は日本人プロパー社員よりも高給で迎え入れられたことも、日本人プロパーの不満の根源だったという。日本人技術者だけでは航空機開発は難しいという判断で外国人技術者を大量に入れたはずだったが、現場は最後まで「型式証明の取得ぐらいなら日本人だけで十分」と、日本の技術力の高さを信じた。

燃える豪華客船の裏に

似たような事はすでに撤退した大型客船の事業でも起きていた。

2016年1月、三菱重工長崎造船所で建造中の豪華客船で3度の火災が起きた。資材を入れた段ボールや断熱材が燃えたり、火の気のない場所で出火するなどいずれも不審火だった。

この豪華客船を三菱重工は2隻1000億円で受注したが、建造途中で設計や資材の変更、つくり直しが相次ぎ、納期が1年以上も遅れていた。

長崎造船所の現場では当時、多くの外国人が働いていた。韓国、フィリピン、ベトナムといった途上国だけでなく、ドイツやイタリア、スウェーデンといった国々からも技術者が来ていた。各国の規制などに対応できる技術を持った人材が日本国内にはいない、という問題があった。

その長崎造船所でも外国人技術者と日本人プロパーの対立が続いた。プライドの高い日本人社員は外国人技術者を下に見ていた、という。一方で、問題が起きると社内調整に時間がかかり、外国人技術者を呆れさせた。

そうした現場の憤懣が火災の原因だったかどうかは分からない。だが、三菱重工は1000億円で受注した2隻の大型客船建造で2500億円を超す損失を出し、大型客船事業からの撤退を余儀なくされた。

この20年に大幅劣化、「ゲンバ」力

船も作れず、飛行機も飛ばせない三菱重工の問題は、同社固有の問題ではない。日本の製造業の「現場」が崩壊しつつあるのだ。

1999年にカルロス・ゴーン日産自動車の再建にやってきた時、ゴーンは日産や系列会社の「ゲンバ」のレベルの高さに刮目した。経営者や中間管理職の仕事の仕方を刷新すれば、現場力で必ず復活すると確信したと当時語っていた。実際、日産はゴーンの改革でいったんは復活した。

多くの日本人は、日本企業がダメなのは、経営力が弱いためで、現場の技術力は世界屈指だ、と信じていた。いや、今も信じているに違いない。

だが、20年経って、多くの製造業の現場は、外国人なしには回らなくなっている。大企業から中小企業まで、工場に行ってみれば、働く人の大半が外国人といったところも少なくない。

ひとつは「技能実習生」に現場を任せてきたことが大きい。技能実習生は海外支援の一環として技術移転するというのが建前だが、実際にはコストを下げるための「安価な労働力」として使われてきた。

いつの間にか日本の工場は、彼らがいなければ回らないだけでなく、技術を受け継ぐ日本人技術者も育たなくなっている。日本の「ゲンバ」はこの20年で大きく劣化したのだ。それが、「限界」になって現れてきたのが、技術を誇った三菱重工の挫折ではないのか。

日本の技術力は世界屈指だというのは、もはや「幻想」になりつつあるのかもしれない。だとすれば、世界標準のモノづくりを支える日本人技術者を育てる仕組みを真剣に考えなければ、日本の製造業の凋落は止まらない。