煎餅の「再定義」と「再構築」 老舗若旦那の大胆な挑戦  松崎商店

雑誌Wedge 2022年2月号に掲載された拙稿です。Wedge Infinityにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/26249

 

 東京・東銀座。歌舞伎座前の晴海通りから木挽町通りという路地を入った右手向かいに、大きな暖簾を掛けた店が、2021年7月にオープンした。場所柄、格式張った伝統的な呉服店か何かかと思いきや、どうも雰囲気が違う。

 「丸に一つ松」の紋が染め抜かれた紫色の暖簾は、透けて店の中が見えそうなほど薄手。「はて、何の店だろう」と気になる作りに誘われ、店内をのぞいていく客が後を絶たない。

 ライティングされた外の看板には「MATSUZAKI SHOTEN」。その下に「by 銀座 松﨑煎餅」という小ぶりの文字がなければ、これが1804年(文化元年)創業の老舗「松﨑煎餅」の「本店」だとは思わないに違いない。それくらい店の外も中もモダンなのだ。

 中に入ると、棚には煎餅類が並ぶ。確かに煎餅店だ。あられや草加煎餅のような米菓に加え、瓦煎餅が置かれている。

 実は松﨑煎餅は江戸時代、この瓦煎餅から始まった。シンプルな店内の右手には大きなテーブルが置かれ、カフェスペースになっているほか、歴史の長さを感じさせる写真が飾られている。

 そんな伝統的な「煎餅店」とはまったく雰囲気の違う新本店をオープンさせたのは、松﨑煎餅の8代目に当たる松﨑宗平社長、43歳。もともとグラフィックデザイン・ウェブデザインの会社などに勤めていた経験を持ち、ミュージシャンとしても活動する異色の経営者だ。

 「今は棚に煎餅ばかりが並んでいますが、この比率をどんどん下げていこうと思っているんです」

 と松﨑さんは不思議なことを言う。

 松﨑煎餅の本店は銀座5丁目にあったが、その移転を決めたのは、新型コロナウイルスの蔓延拡大がきっかけだった。すっかり銀座から客足が遠のき、「このまま体力をすり減らすことになるのならば」と、新しい店に転換する決断をした。

 「ここ数年、『煎餅を再定義する』と言ってきたのですが、新型コロナでそろそろ限界を感じていました」

 と松﨑さんは語る。

 「煎餅を再定義する」とはどういうことか。

 煎餅と言えば贈答品だが、歳暮中元などの慣習が薄れ、贈答品の種類も多様化。煎餅の需要自体が頭打ちになりつつある。

 もう一度、生活の中に戻ろうと考え、2016年に世田谷の松陰神社通り商店街に支店を出した。「地域密着、原点回帰」をテーマにしたコンセプトストアだ。

 松陰神社前店も、棚に煎餅類は並んでいるが、テーブルがいくつも置かれ、カフェになっている。「地域密着」の人々の憩いの場になることを狙ったのだ。

 もうひとつ。松﨑煎餅の創業の品である瓦煎餅への「原点回帰」にも力を入れてきた。父の代では、品揃えの95%が米菓で、瓦煎餅は5%以下だったが、今では30%台にまで高めた。看板商品である瓦煎餅『大江戸松﨑 三味胴』には季節ごとに色砂糖で絵付けをする。

 「包装を変えることで豪華に見せるという手法がよく取られますが、やはり商品自体の価値でお客様に買っていただきたい。『一枚一枚心を込めて手を抜くな』というのがうちの家訓のようなもの。瓦煎餅だけでなくお客様一人ひとりだったり、全てに対して丁寧に取り組むという意味だと解釈しています」

 と松﨑さん。背景には、煎餅の付加価値を少しでも高めたいという思いがあった。

 新型コロナで銀座本店の売り上げは激減したが、地域密着の松陰神社前店は巣ごもり効果もあって、順調な売り上げを維持できた。「あの店を出していなかったらと思うと冷や汗が出ます」と松﨑さん。そんなコンセプトストアの成功の上に、本店を移転し、新しい店を作る決断が生まれた。

再定義の次は
再構築を進める

 「今度は再定義ではなく、再構築です」

 と松﨑さんは言う。

 その再構築の一端が本店カフェコーナーのメニューにある「松﨑ろうる」。瓦煎餅の原料の配合を変え、柔らかく焼き上げることで新たな一品を生み出した。ロールの中には、小豆の餡や白玉を挟んである。飲み物は断然コーヒーである。見るからに洋菓子だが、口に入れてみると、確かに瓦煎餅だ。

 しかも、餡は銀座の老舗もなか店「ぎんざ空也」の5代目が立ち上げたブランド「空いろ」のものを使う。まさに、銀座の老舗の「新世代コラボ」で生まれた新商品なのだ。今は、店頭でしか食べられない「松﨑ろうる」だが、改良して持ち帰りができるようにする予定だ。

 本店での「再構築」はそれだけではない。夜になると、煎餅店が「DJバー」に変身する。店の天井には音響の良いスピーカーが設置され、照明も色が変わるのだ。煎餅のショーケースにはターンテーブルが置かれ、松﨑さん自らDJに変身する。ミュージシャンの真骨頂である。

 客は、店内にある冷蔵ケースから缶ビールを取り出して購入、棚にある煎餅をアテに一杯やる。ちょっとした町の社交場に早変わりするのだ。残念ながら、新型コロナの影響で、今はまだ不定期開店の状況だが、「いずれ、私ひとりでオペレーションできる形にして、定期的に煎餅バーにしたい」と松﨑さんは構想を膨らませる。

 シャンパンと煎餅の取り合わせを楽しむイベントも企画した。ぬれ煎餅にクリームチーズを添えるとシャンパンにはぴったり合うという。

原点が持つ力が
新しい形につながる

 新しい本店は成功を収めている。すでに新型コロナ前の19年の売上高を上回った。店の前を歩く通行人の数は移転前の銀座の方が多かったが、店をのぞいていく人の数は圧倒的に新本店の方が上回る。銀座に比べて肩肘を張らない東銀座という町のせいか、客の年齢層も広がり、店を訪れる若い人たちが増えた。

 店名を「MATSUZAKI SHOTEN」に変えたのも「再構築」を目指す心意気の表れだ。「店に置く煎餅の割合を減らし、食べ物にこだわらず、良いもの、面白いものを置いていきたい」と松﨑さん。すでに銀座の名店の小物類などを置いているが、アパレルなどにも広げていきたいという。

 さらに「東銀座にあと2、3店『MATSUZAKI SHOTEN』的なお店を増やしていきたい」というビジョンを持つ。

 煎餅の文字を外し、ローマ字綴りにした新ブランドが示すように、煎餅店のような「何店」であることは考えない、という。では何を目指すのか。「町を楽しくするためのカルチャーを作る店にしたい」と松﨑さんは先を見据える。

 長年、銀座という町で培われてきた老舗が、若旦那世代のネットワークもあって、新しい形へと変わっていく。「原点」が持つ力を引き出すことで、それが「新しい形」へとつながっていく。これこそ時代の変化を捉えて生き残ってきた老舗の真骨頂かもしれない。