賃上げ推進の掛け声だけ、岸田首相「新しい資本主義」は変節したのか 骨太の方針「分配重視」の具体策は?

現代ビジネスに6月3日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95849

看板倒れだったのか

岸田首相の「新しい資本主義」は大きく変説したのか。それとも初めから看板倒れだったのか。

岸田首相が強調してきた「分配重視」の政策は、今回の「原案」でも具体策が見えないままだ。原案とは、6月に政府が閣議決定する「経済財政運営と改革の基本方針骨太の方針」、いわゆる「骨太の方針」の原案のこと。5月31日に開かれた経済財政諮問会議で公表された。

岸田首相は総裁選の時から「新しい資本主義」を掲げ、「分配重視」の姿勢を訴えてきた。安倍晋三首相のアベノミクスは成長を実現したものの、その成果が分配されなかったとして、「新自由主義的政策は取らない」と従来路線との決別を宣言。富裕層に有利に働いているとして金融所得課税の強化にも触れた。所得再分配の強化に大きく踏み込むのではないか、と見られたのだ。

ところが、この姿勢が「社会主義的だ」「資本市場に背を向けている」と批判を浴び、株式市場を「岸田ショック」と呼ばれた大幅な下落が襲う結果となった。岸田首相は早々に金融所得課税の議論の先送りを決める。

では、いったい「新しい資本主義」を掲げて、岸田首相は何をやろうとしているのか、市場関係者や経済界の関心が高まっていた。そこで、岸田氏が首相として初めて閣議決定する「骨太の方針」にこそ、その具体策が書き込まれているに違いない、と俄然注目されていたわけだ。

具体策は何も示されなかった

そして公表された「原案」でも分配の具体策と言えるものは何も示されなかった。原案には「分配」という言葉が出てくるところが15カ所あるが、うち10カ所は「成長と分配の好循環」といったように「成長」とセットで使われている。分配をするためには、まずは成長が必要だというわけだが、これはアベノミクスと変わらない。安倍元首相も何度も「経済好循環」と言い続けた。

他の5ヵ所の中には、「サプライチェーン全体の付加価値の増大とその適切な分配」といった表現もあるが、これも成長と分配の変形と見ていいだろう。

賃上げによる分配に触れた箇所も複数ある。

「働く人への分配を強化する賃上げを推進する」
「賃上げの流れをサプライチェーン内の適切な分配を通じて中小企業に広げ、全国各地での賃上げ機運の一層の拡大を図る」

といったくだりだ。だが、これも賃上げのために何をするのか、具体策に乏しい。成長すれば、企業は賃金を増やす、と言っているようにも読める。安倍元首相も「経済好循環」を実現するために、「官製春闘」だと揶揄されながらも、財界人に直接ベースアップを働きかけ、実現させた。つまり、「賃上げ促進」が岸田首相の言う分配重視の柱ならば、「新しい資本主義」と大上段に振りかぶるほどの話ではない。

抜本的な再配分方法の見直しに触れている部分も1カ所だけある。

「応能負担を通じた再分配機能の向上・格差の固定化防止を図りつつ、公平かつ多様な働き方等に中立的で、デジタル社会にふさわしい税制を構築し、経済成長を阻害しない安定的な税収基盤を確保するため、税体系全般の見直しを推進する」

金融所得課税の強化など、従来の岸田首相の主張は、この一文にこめられていると言うことかと思いきや、そうではない。実はこの文章、1年前の菅義偉内閣が閣議決定した「骨太の方針2021」にあったものをほぼ踏襲している。そこにはこう書かれていた。

「応能負担の強化等による再分配機能の向上を図りつつ経済成長を阻害しない安定的な税収基盤を構築する観点から、税体系全般の見直し等を進める」

しいて言えば、新しく加わった「格差の固定化防止を図りつつ、公平かつ多様な働き方等に中立的で、デジタル社会にふさわしい」という部分が岸田流ということになるのだろうか。多様な働き方に中立的というのがどんな税制改正に繋がるのか、デジタル社会にふさわしい税制とは何か、結局、具体的には見えないままだ。

この政策に投資できるのか

「岸田首相の周りは新自由主義者ばかりだ」。岸田首相に近いとされる識者からはそんな苦言が聞かれる。岸田首相が掲げる「新しい資本主義」が、自由競争による成長重視から、公益重視の分配政策へと舵を切るものだと支持してきた人たちの間にも不満が募っている。岸田首相は変説したのではないか、というわけだ。かといって、規制改革を進めて競争で日本経済を強くしようと主張する人たちも岸田首相が姿勢を変えたと評価しているわけではない。

ロンドンの金融街シティで5月5日に行った演説で、岸田首相が「Invest in Kishida!」と呼びかけたことには、両派から批判的な声が上がっている。

安倍元首相がかつて同じシティで演説し、「Buy my Abenomics!」と呼びかけた時には、シティの投資家たちも大きく反応した。規制緩和で日本企業の稼ぐ力を強め、投資家に還元するという戦略を、投資家たちは支持し、日本株を買ったのだ。

今回の「原案」ではもうひとつ特長的なことがある。去年まであった「コーポレートガバナンス」という言葉が消えたのだ。2021年の骨太の方針では「コーポレートガバナンス改革を進め、我が国企業の価値を高めていく」という一文があったが、姿を消した。代わりに「企業統治改革を進め、人的投資が企業の持続的な価値創造の基盤である点について株主との共通の理解を作り」という文章が加わった。従業員への分配を増やすことが価値創造につながるのだから、株主への配分よりも従業員への配分を進めることに株主の理解を得たい、と言っているようにも読める。

その後に出てくる具体策は「今年中に非財務情報の開示ルールを策定するとともに、四半期開示の見直しを行う」というもの。株主への情報開示の後退につながる四半期決算の取り止めは反発が大きい。投資家に媚を売る演説をしても、今ひとつ市場が反応しないのは、岸田首相の本心を今ひとつ、はかりかねているからだ。

具体策が見えないことで、分配重視政策を支持する側からも、成長戦略を求める側からも批判を浴びずに済んできた岸田首相。「依然として高い支持率は具体策を示さなかった結果だ」(外資系金融機関のエコノミスト)と皮肉る声もある。敵を作らない戦略は選挙には有利かもしれないが、誰からも本当に支持されなくなるリスクをはらんでいる。