日銀・植田総裁が初めて「現状=インフレ」と指摘…頑なに金融緩和策を取り続けてきた日銀に迫る"重い決断" 痛みを伴う改革か、円安と物価上昇の放置か…

プレジデントオンラインに3月1日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/79130

庶民感覚では「物価は猛烈に上がっている」

物価上昇が止まらない。総務省が2月27日に発表した2024年1月分の消費者物価指数は、「総合指数」が前年同月比2.2%の上昇となった。日本経済新聞は「伸び1年10カ月ぶり低水準」と報じていたが、伸び率が鈍化してきたというだけで、物価が下がっているわけではない。昨年1月に4.3%上昇してベースが高くなったため、数字で見れば鈍化しているが、物価水準は上がり続けている。上昇が始まった2年5カ月前、2021年9月の総合指数は100.1だった。今回の1月は106.9なので6.8ポイントも上がっている。

しかも、ここには「マジック」がある。政府がガソリン代や電気・ガス代を抑えるために巨額の補助金を出し続けているのだ。この影響を除いた「生鮮食品及びエネルギーを除く総合」指数は今年1月も前年同月に比べて、99.3から105.8に3.5%も上昇しているのだ。「教養娯楽」は6.8%、「家具・家事用品」は6.5%、「生鮮食品を除く食料」は5.9%と、依然として大幅な上昇を続けている。食料で言えば、外食のフライドチキンが19.2%上昇、鶏卵18.3%上昇など、家事用品で言えば、台所用洗剤が19.2%上昇、教養娯楽は宿泊代が26.9%上昇といったところ。庶民からすれば、「物価は猛烈に上がっている」というのが偽らざる感覚に違いない。

賃上げの一方で物価上昇を抑える施策が必要

さらに、実質賃金の減少が続いている。こちらは21カ月連続のマイナスだ。厚生労働省毎月勤労統計調査によると、2023年の平均の現金給与総額(確報値)は前年比1.2%増加した。2022年の2.0%増、2021年の0.3%増に続く、3年連続の増加だったが、いずれも物価上昇率に負けている。このため、実質賃金指数は2021年に0.6%増だったものが、2022年には1.0%減、2023年には2.5%減と逆に大きく悪化している。賃上げムードは高まっているものの、物価上昇の大きさについていけていないわけだ。

岸田文雄首相は繰り返し「物価上昇を上回る賃上げが必要」だとして、経済界に賃金引き上げを求めている。大企業を中心に大幅な賃上げに踏み切るところも出ているが、賃上げ分を価格に転嫁する動きも一方で加速していて、物価上昇に拍車をかける結果になっている。せっかく賃上げしても物価がさらに上がっては庶民の生活は改善しない。本来は賃金を上げる一方で、物価上昇を抑える施策を取らなければいけないわけだ。

頑なに大幅な金融緩和策を取り続ける日銀

物価上昇、つまりインフレを抑える伝統的な手法は「金利の引き上げ」である。米国や欧州の中央銀行はこの2年、猛烈なピッチで利上げを行ってきた。米連邦準備制度理事会FRB)は2022年3月にそれまでのゼロ金利政策を解除、利上げを開始。2023年7月には政策金利を5.25%から5.5%幅とした。ようやく物価上昇率は鈍化したものの、依然として米国経済は強さを保っていて、FRBが利下げに動く気配はない。また、英国でも2022年後半に物価上昇率が前年比10%を突破、英中銀は同様に利上げを繰り返した。

欧米各国は物価上昇を抑えるために、金利を引き上げ、過熱した経済を冷やす手法をとっている。

一方で日本は、この伝統的な物価抑制策に、背を向け続けている。日本銀行は「物価安定の目標」を2%として掲げている。すでに22カ月連続で2%を超えているが、依然としてマイナス金利政策を続けているのだ。昨年来、市場では「マイナス金利解除は近い」との観測が強まっているが、頑なに日銀は大幅な金融緩和策を取り続けているのだ。

「円安の加速」という副作用が出ている

1月の記者会見で日銀の植田和男総裁はデフレからは「かなり遠いところに来ている」と発言していたが、それでも金融緩和政策は維持した。一気にマイナス金利を解除した場合、先行き予想から市場金利が大幅に上昇することを恐れているのか。デフレに舞い戻ることがないよう、インフレ・マインドが定着するまで放置しようとしているのか。真意は分からない。

植田総裁は就任時には2023年秋には物価上昇が収まるとの見方を示していた。物価上昇から1年がたてば、上昇率を計算するベースが高くなるわけで、上昇率は収まってくるという計算だったのだろう。だが、現実には物価上昇の勢いが衰えたとは言い難い。

しかし、物価上昇が収まらない中で、様々な副作用が出始めている。物価を抑えるために巨額の補助金を使えば財政が悪化する。そうでなくとも日本の財政は巨額の赤字だ。そうなると日本円の価値が劣化していく。つまり、円安が加速するのだ。大方のエコノミストの予想では米国の金利引き上げで、2023年後半には米国は景気減速に入り、FRB金利の引き下げに動くとされていた。そうなると日米金利差が縮小するので為替は円高方向に動くとしていたが、米国経済は一向に減速せず、円安が加速している。

植田総裁が初めて現状を「インフレ」と指摘した

また、日本国内の不動産価格の大幅上昇や、株価の上昇といった「資産インフレ」に火がついた。首都圏の新規発売マンションの平均価格が1億円を突破、日経平均株価も34年ぶりに最高値を更新した。にもかかわらず、1990年代のバブル期のような消費などに波及した景気過熱は起きていない。マイナス金利の放置によってカネあまり状態が維持されていることも、こうした資産インフレの要因と見られるし、円安が海外マネーの投資を誘っている面も強い。つまり、今の日銀の大規模緩和金融政策の副作用と見ることができる。

どうやら、そんな状況を放置できなくなったのか、日銀の植田総裁が2月22日に衆議院予算委員会に出席、初めて、現状を「インフレ」と指摘した。今はインフレかデフレかと聞かれた植田総裁は、「賃金上昇を反映する形でサービス価格が緩やかに上昇する姿は続いている」とし「去年までと同じような右上がりの動きが続くと一応、予想している。そういう意味でデフレではなくインフレの状態にある」と語った。この発言は、マイナス金利解除に向けた「地ならし」と受け止められている。

日銀が金利をどんどん引き上げるとは思えない

もっとも、だからと言って、日銀がFRBのように金利をどんどん引き上げてインフレ退治に乗り出すとは思えない。景気が過熱した結果のインフレではないからだ。消費者物価の上昇で、実質消費はマイナスに転じている。生活が苦しくなった分、消費を抑えようとする行動が広がっているからだ。それを補って余りある賃金上昇になるのかは、現段階では見通せない。かつてのバブル期のように株価の上昇が国民の懐を温めて、一気に消費が増える格好になっていない。そんな中で、資産インフレに冷や水を浴びせるような金利の大幅な上昇は日銀は望まないに違いない。

痛みを伴う改革に進むか、円安・物価上昇を放置するか

だが一方で、金利が本格的に上昇しないことが、日本の構造改革を遅らせていると見ることもできる。円安になってアジアや新興国などの企業を含めて、日本の企業を買収したいという要望が増えている。こうした海外の資金を受け入れていくことで、日本企業が復活するきっかけにすることも考えられるが、日本の中堅企業の経営者のマインドがそれに追いついていない。海外からの資本を受け入れることに「ハゲタカ」「身売り」といったマイナスイメージを持っている。

また、大規模金融緩和によって新たな資本を受け入れなくとも、地銀などが貸し続けてくれるという「緩い環境」が、経営改革しなくとも何とか生きていける状況を生み出している。結果、世界に通じる技術などを持っているにもかかわらず、門戸を閉じたまま衰退していく中堅中小企業が少なくない。金利を一気に上げれば、そうした企業に強い痛みを与えることになるわけだ。

金利上昇で痛みを伴う改革に進むか、大規模緩和を続けて円安、物価上昇を放置するのか。金融政策が今ほど将来を左右するときはない。