現代ビジネスに12月26日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→
https://gendai.media/articles/-/103956
大規模金融緩和、終わりの始まり
「日銀、異次元緩和を転換 10年目で実質利上げ」ーー。12月21日付けの日本経済新聞は1面トップで、こう大々的に報じた。日本銀行が12月19−20日に開催した金融政策決定会合で、長期金利の変動許容幅を従来の0.25%程度から0.5%程度に広げたことを伝えたもので、市場関係者の「サプライズ」ぶりを如実に示していた。
黒田東彦総裁は会見で「利上げではない」と強調していたが、市場は10年続いてきた大規模な金融緩和の「終わりの始まり」と捉え、今後は日本にも本格的な金利上昇の時代が訪れると見定めている。
第2次安倍晋三内閣の発足で始まった「アベノミクス」は大胆な金融緩和を「1本目の矢」、機動的な財政出動を「2本目の矢」と位置づけ、「3本目の矢」である「民間投資を喚起する成長戦略」につなげることを掲げていた。
本来、1本目の矢と2本目の矢はエンジンをかけるための「スターター」で、長期にわたって継続することを前提としていなかった。3本の矢は並列ではなく、1本目と2本目で時間を稼いでいる間に、時間がかかる規制改革などを行うことを想定していたわけだ。
つまり、大胆な金融緩和が10年も続くことは「想定外」だった。黒田総裁自身が当初、2年で物価上昇2%でもっていくと目標を掲げていたことも、それを示している。
だが、結局、「3本目の矢」はほとんど飛ばず、カンフ注射であったはずの1本目と2本目を長期にわたって継続することとなった。しかし、「低金利」による大胆な金融緩和で「金余り」状態を作り出すことも、機動的と言いながら巨額の財政支出を続けることも、当然ながら「副作用」を伴う。それが昨今の円安であり物価上昇だろう。
黒田日銀は意図して変動許容幅を大きくしたのではなく、そうせざるを得ないところに追い込まれたという見方もある。「利上げではない」と強弁するのも、それを示している。
「低金利」「低価格」「低賃金」の終わり
長期にわたる「低金利」は、それ自体が「副作用」をもたらした。
いわゆる「ゾンビ企業」が淘汰されないから企業間の競争が消え、生き残りに向けた新たな投資も姿を潜めた。企業は付加価値を付けて高く売ることよりも、値段を下げる「低価格」にこだわり、結果、そのしわ寄せは働き手に及び、「低賃金」から抜け出せなくなった。
低金利を維持すればいずれ企業収益が膨らみ、給与が増えて、消費が盛り上がる「経済好循環」が起きると10年にわたって期待されたが、実現しなかった。もしかすると、意図的な低金利によって「成長のない日本」が生じていたのかもしれない。
日銀の政策転換は、そんな「低金利」「低価格」「低賃金」の「3低時代」の終わりを示す号砲かもしれない。本来ならば、物価上昇を抑えるために金利を上げるが、金利上昇と物価上昇が併存する不景気下の物価上昇がやってくるのか。あるいは、輸入に依存するエネルギーや食料品、生活必需品の価格が大幅に上昇する一方、国内の消費低迷で国内産品の価格は下落するデフレとインフレの混在が起きるのかもしれない。
そんな中で、低賃金が解消されれば良いのだが、金利上昇と輸入物価の上昇が企業を襲う中で、実質賃金の上昇、つまり物価上昇を上回る賃上げが実現できるのか。大手メーカーの下請け会社からは、原材料価格の上昇に直面して、賃上げどころではない、というため息が漏れる。
企業に賃上げを働きかける一方で、政府は防衛費の増加分の一部を法人増税で賄う姿勢を見せている。金利上昇、物価上昇に加えて、増税という負担増がこの先、企業を襲うことが、ほぼ確実になってきた。そんな中で企業経営者が持続的な賃上げを行うことができるのかどうか。
痛みを乗り越えない限り
中小企業の中にはコスト上昇を吸収するためにこれまで抱え続けてきた余剰人員を整理する動きが出てくるかもしれない。新型コロナウイルス対策で政府が続けてきた雇用調整助成金の特例を1月末で打ち切ると政府は表明しているが、それがきっかけになる可能性もある。
岸田首相は繰り返し「構造的賃上げ」の実現を表明している。そのためには「人材の流動化」が不可欠だとしているが、その前提は、淘汰によって企業の数が減ることだろう。金利の上昇によって、本格的にそれが始まるのかもしれない。
だが、政府からは企業の破綻増を容認する政策を取るのだという明確な意思表示はない。それが現れた時、つまり破綻や廃業に直面する弱小企業が急増した時に、政府がそれらは「ゾンビ企業」だと見捨てることが政治的にできるのか。当然、一時的に失業率が上昇するが、その「悲鳴」に政治家は耐えられるのか。
おそらく「3低時代」が完全に終わりを告げ、再び経済が成長力を取り戻すには、相当な痛みを伴うことになるだろう。だが、その痛みを乗り越えない限り、成長を失った日本の構造から脱出することはできない。
10年間のツケを払う形で表面化している副作用がもたらす「経済危機」が刻々と迫っているように感じる。