現代ビジネスに1月15日に掲載された拙稿です。是非ご一読ください。オリジナルページ→
https://gendai.media/articles/-/144992
前年比34%減
日本郵便は「年賀状」をビジネスとして放棄することを決めたということなのだろうか。
昨年10月から「はがき」の料金を63円から85円に値上げしたが、この35%という大幅な値上げによって「年賀状じまい」が一気に加速した。2025年元旦の年賀郵便物の配達数は4億9000万通だったということで、前年から34%減ったという。
赤字の郵便事業を黒字にするための値上げという話だったが、それは、お役所仕事らしい机上の計算で、値上げした分と同率の売り上げ減が起きれば元も子もない。人件費やシステムなどの「固定費」は簡単には削れないので、売上減少によって、むしろ赤字が拡大する計算になる。年賀状だけで見ると、大幅な値上げは「大失策」だったことになる。
普通の民間企業ならば、値上げをするには相当の戦略を考える。値上げする分、消費者に納得してもらえるようなサービスの向上などをうたう。ところが日本郵便は、見事にサービスを劣化させながら値上げに踏み切った。
例年、わが家の地域の年賀状配達は午前中で、かつては朝9時過ぎには届いていたが、ここ数年は11時頃になっていた。ところが今年届いたのは午後3時過ぎ。配達員の人手不足が深刻なのか、出発式の時間を遅くしたのか。陽が傾いてからも郵便局員のオートバイが町中を走り回っていた。
2017年から1月2日の配達サービスを取り止めているので、元旦に配達されなかった分は3日に回されたが、今年は元旦とほぼ同数の年賀状が届いた。郵便局が元日配達に間に合う投函目安としている12月25日に間に合わなかった年賀状を、早々に3日に回したということだろうか。おそらく25日を過ぎて投函した筆者の年賀状は、先方に3日に届いたものが多かったのだろう。「賀状感謝」など一筆書かれた年賀状が届いたのは土日が明けた1月6日だった。松が取れた1月8日になっても年賀状が届いていたのが今年の特長だ。
元旦に届く比率が減っているとしたら、34%減という元日配達数の減少率よりも年賀郵便全体の配達数減少率の方が小さいということかもしれない。だが、いずれにせよ、年賀状が激減していることには違いない。
本当はボーナス事業だった年賀状
日本郵便のサービスの劣化を見ると、できるだけ早く届けることで年賀状を事業として育てる気概をもはや失っているように感じる。日本郵便が2025年用に発行した年賀状は10億7000万枚。前年比25.7%も減らした。郵政民営化以降では最少枚数だった。2003年に44億5936万枚とピークを付けて以来、減り続けている。2025年用の年賀はがきの実売数は発行数よりもさらに大きく減ったようだ。年末ギリギリになっても郵便局の窓口で年賀状が買えたことからもそれが伺える。
今年、年賀状をいただいた方のうち、少なくない数の年賀状に、今年をもって年賀状を止めますという「年賀状じまい」の一文が記されていた。「年賀状じまい」という言葉が広がったことで、年賀状打ち切りを言い出しやすくなったという面もありそうだ。大幅な値上げがその動きを後押ししたのは言うまでもない。
郵便はがき1枚を85円で届けるというサービスは、それで収支を取るのは難しい。郵便配達網と郵便物の仕分けの機械化など、郵便システムのインフラができ上がっているから日本郵便が赤字と言いながらも85円でやっていける。もはや郵便事業を民間が肩代わりするのは無理だろう。
30年近く前、宅配便の生みの親であるヤマト運輸の小倉昌男さんに取材した際、ヤマトは郵便事業に参入できないのか、と聞いたことがある。小倉さんは「あの料金でハガキを届けるのは無理ですね」と言った後、「年賀状だけなら何とかなるかもしれませんが」と付け加えた。通常郵便より配達まで時間的余裕があり、1軒にまとめて配達するのなら年賀状1枚あたりは安くても、1回の配達で得られる収入は大きくなる、という計算だったように思う。
つまり、装置産業である郵便事業にとって、年賀状と暑中見舞いハガキは冬と夏のボーナス収入のようなものだと考えることもできる。その年賀状を率先して放棄してしまって、郵便事業の収支が取れるのか。郵便事業そのものを継続していけるのか。
民間業者を締め出しておいた上で
「もはや信書便事業は民間でやるのは無理ですよ」と今は引退しているヤマト運輸の経営幹部は語る。実際、ヤマト運輸は2015年にクロネコメール便を廃止した。採算が取れないという理由もあったが、印鑑をもらわずにポストに投函するサービスで、その中に「信書」が含まれていて郵便法に違反するという日本郵便側の執拗な批判に耐えきれなくなったことも一因だった。日本郵便からすれば、手紙(信書)を運ぶ郵便事業を独占すれば、競争がなくなって値上げができると考えたのだろう。
実際、1997年にクロネコメール便が開始されて以降、据え置かれていた郵便料金は、クロネコメール便が廃止されると値上げが行われた。2024年1月にはダイレクトメールなどに利用されていた「クロネコDM便」も廃止。ヤマト運輸が集荷した薄型荷物を日本郵便に委託して配達することが決まると、日本郵便は前述の通り、大幅な値上げに踏み切った。
民間のサービスを追い出して競争を無くし、料金を値上げしていけば郵便事業が成り立つと考えたのだろう。だが、かつての国鉄(現JR)のように、国が丸抱えするサービスは、値段が上がり続ける一方で品質は下がるという苦い思いを国民はしてきている。
しかも、これまで日本郵便が独占を狙ってきた「信書」郵便の配達は、電子メールの普及で、どんどん利用されなくなっている。今回の値上げで、「請求書」を電子システムに移行し、これまでの郵送を止めるところが一気に増えている。
郵便事業が生まれて150年が過ぎ、時代が郵便の形を大きく変えるよう求めている。本来は民間事業者が切磋琢磨して新しい時代の郵便事業を作り上げるチャンスだったが、旧来の郵便事業のやり方にこだわった結果、このまま郵便事業は凋落を続けることになるだろう。
郵便事業と共に栄えてきた郵便局網も自前では維持できなくなり、再び国費を投じる動きになるに違いない。だが、国民の多くが利用しなくなった郵便事業を守るために多額の税金を投じることを国民が許容するのかどうか。「年賀状」ビジネスの崩壊は、日本郵便の終わりの始まりに見える。