「年俸1000万円の板前」も続々出現 給与を上げない経営者は見捨てられる

ITmediaビジネスオンライン#SHIFTに12月18日に掲載された記事です。是非ご覧ください。オリジナルページ→https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1912/19/news026.html

 10月から実施した消費増税の影響で景気が底割れしそうな気配だ。そうでなくても低迷していた国内消費が、増税を機に一気に悪化している。

 総務省が12月6日に発表した10月の家計調査によると、1世帯(2人以上)当たりの消費支出は27万9671円で、物価変動の影響を除いた実質ベースで前年同月比5.1%も減少した。政府は消費増税による消費の反動減を防ぐために、ポイント還元の導入などを実施、9月までの駆け込み需要は前回の消費増税時より小さかったので、反動減も小さいと見ていた。

 ところが、10月の消費に関わる統計はメタメタ。家計消費支出も、前回2014年に消費税率が5%から8%に引き上げられた直後の14年4月は4.6%減だったので、今回はそれを上回った。また、軽自動車を除く自動車(登録車)の販売台数も、10月としては統計を取り始めて以来の最低を記録。日本百貨店協会がまとめた10月の全国百貨店売上高(店舗数調整後)も前年同月比17.5%減少した。

 日本チェーンストア協会が発表しているスーパーなどの売上高(店舗調整後)も、9月には2.8%増とほとんど駆け込み需要がみられなかったものの、10月は4.1%減と大きなマイナスになった。日々の食料品などが多いスーパーの売り上げ減は、消費増税が家計を直撃した結果とみられる。

 この消費への打撃がいつまで続くか分からないが、2020年の景気の行方は、消費がさらに悪化するのか、どこかの時点で盛り返すのかにかかっている。政府は総額26兆円という巨額の経済対策を打ち出し、景気悪化を食い止めようと必死だが、旧来型の公共事業では個人の懐があたたまるまでに時間がかかることから、即効性は乏しいとみられる。

 消費が盛り上がらなければ、日本経済が回復しないことは、GDP国内総生産)の6割以上を「消費」が占めていることからも明らかだ。ところが、その消費を担う産業、小売りや飲食、宿泊といった事業が、日本の典型的な「低生産性産業」「低付加価値産業」になっている。働き手1人が生み出す付加価値(労働生産性)が低いために、結果として働き手が受け取る給与も低く抑えられている。どうやって、こうした分野で付加価値を増やし、給与を増やしていくかが、重要なのだ。働き手の数が多いサービス産業で働く人たちの給与水準が引き上げられれば、それが消費に回り、景気を底上げすることができる。

 日本生産性本部の調査を更新した滝澤美帆教授の推計によると、15年の産業別の生産性(1時間当たりの付加価値)は米国を100とした場合、「運輸・郵便」が47.7、「宿泊・飲食」が38.8、「卸売・小売」が31.5となっている。付加価値が低い産業は総じて給与も低いため、働き手が集まらず、慢性的な人手不足産業になっている。こうした分野の付加価値を上げるにはどうすれば良いのだろうか。

非正規に入れ替えてコストを下げるのが「生産性向上」?

 生産性というと日本人は、工場の生産性向上策を思い浮かべる。1時間に100個作っていた部品を110個にすれば生産性が10%上がるという製造業の考え方だ。部品の価格はまず上がらないから、生産性を上げて利益を確保する。もちろん同じ1時間だから従業員の給与は変わらない。場合によっては、賃金の安い非正規労働者に入れ替えて、コストを下げる。それこそが生産性の向上策だと信じてきた。

 だが、サービス産業の「生産性」は本来まったく違う。ところが日本では長年、製造業と同じ発想でサービス産業の「生産性」が語られてきた。つまり1時間にこなせる顧客の数を増やすにはどうするかばかりが考えられてきたのだ。1時間でこなせる顧客の数を増やし「回転数」を上げる、あるいは接客する従業員の数を減らして1人が扱う顧客の数を増やすことに躍起になってきた。そこに従業員の給与を増やしていくという視点は生まれない。

 本来、サービス産業で付加価値を増やす方法は「値段を上げる」ことだ。ところがデフレ経済の中で、価格を下げることが優先された。ようやくデフレから脱却しかけている現在、本来は価格を上げることが重要なのだが、値上げすれば客が逃げるのではないかと不安で、値上げできない。

給与が安い店は「見切られる時代」に

 だが、もはやそんな事は言っていられない時代になった。きっかけは人手不足だ。サービス産業は圧倒的に人手が足らない。しかも最低賃金は毎年上がっており、給与も徐々に上昇してきた。サービス産業は会社を変えても共通するスキルが多いので、人材の流動性が高い。つまり転職する人が多いのだ。給与が安い店には見切りを付け、少しでも高いところに移るという行動が容易にできる。

 つまり、人材を確保するには賃金を毎年上げなければならない。少子化が続く中で人手不足は今後、本格化するので、この傾向はしばらく続く。つまり、給与を上げるためには価格を上げざるを得ないのだ。

 ただし、例えば飲食店を例に考えると、どんな店でも価格を上げられるわけではない。「良いもの」「価格に見合ったもの」を提供している店に限られる。そうした店なら値上げしても客は離れない。つまり、「良いものをより安く売る」ことでライバル店に勝つ時代から、「良いものを適正価格で売る」時代になったのだ。提供するモノやサービスで勝負する時代ということである。

 一方で、価格で勝負するところも消費者の支持を得続けるだろう。だが、人件費を下げることは困難だから、どんどん機械化やシステム化を進めていくことになる。牛丼や立食い蕎麦(そば)を食べる人たちは、味と価格が第一で、店員の高いサービスを求めているわけではない。今は急速に賃金の安い外国人労働者に店員が置き換わっているが、早晩、店員はロボットになるのではないか。自動販売機のように牛丼がポンと出てくるという仕組みになるだろう。

外食は二曲化 板前は年俸1000万円がザラに

 一方で、外食に「特別感」を持つ人たちは、よりおいしい味と、より良いサービス、素晴らしい雰囲気を求める。これまでのデフレ下の日本では、こうしたサービスも安価で提供されてきたが、今後、こうしたサービスにおカネを払うのが当然、ということになるに違いない。つまり、ハイエンドの高級レストランはもちろん、ちょっとした外食でも「値上げ」が進んでいくと思われる。二極化するということだ。

 すでに宿泊業では変化の兆しが出ている。日本を訪れる外国人客の増加で、ホテル不足が顕著になったこともあり、価格を上げるホテルが増えたのだ。ニューヨークはもちろん、シンガポールなどアジアのホテルに比べても安かった日本のホテルが、徐々に国際水準に近づいている。

 東京オリンピックパラリンピックなどを狙って新規にオープンするホテルも増えたが、人手不足の中で人材の「引き抜き」も目立つようになった。ちなみに、前述の日本生産性本部の調査の、10年から12年の平均値は、「飲食・宿泊」は米国の34.0%で、「卸売・小売」(38.4%)より低かった。それが、15年の調査では「卸売・小売」を上回っている。

 今、力を付けた若手の和食料理人がどんどん海外に働きに出て行っている。和食ブームの中で、欧米だけでなくアジア諸国でも和食の板前の需要が大きいのだ。日本よりもはるかに高い年俸1000万円などがザラになっていると業界に詳しい経営者は言う。しかも、評判が高ければすぐにそれを上回る年俸で引き抜きの声がかかるという。

 かつて野茂英雄投手やイチロー外野手がメジャーリーグに移籍した頃、日本のプロ野球界の給与水準は今とは比べものにならないくらい低かった。その後、優秀な選手を確保しようと思えば、高額の報酬が当たり前という時代になり、日本のプロ野球選手の年俸もかなり高くなった。

 料理人の世界でも同じことが起きるに違いない。力のある板前を雇おうと思えば、海外の料理店に引けを取らない年俸を提示しなければ人材が確保できなくなるだろう。当然、その分、顧客には高い料金で食事を楽しんでもらうことになる。より良いものをより高く売り、他所よりも高い給料を払う、そんな会社が生き残っていくに違いない。