このままでは13年後に紙の新聞は消滅する…熱心な読者からも"質が落ちた"と苦言を呈される残念な理由 減少率は"7.3%"で過去最大となった

プレジデントオンラインに2月2日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/78272

2036年には紙の新聞は姿を消す計算になる

紙の新聞が「消滅」の危機に直面している。日本新聞協会が2023年12月に発表した2023年10月時点の新聞発行部数は2859万部と1年前に比べて7.3%、225万6145部も減少した。2005年から19年連続で減り続け、7.3%という減少率は過去最大だ。

新聞の発行部数のピークは1997年の5376万部。四半世紀で2500万部が消えたことになる。全盛期の読売新聞と朝日新聞毎日新聞の発行部数がすべてごっそり無くなったのと同じである。このまま毎年225万部ずつ減り続けたと仮定すると、13年後の2036年には紙の新聞は消滅して姿を消す計算になる。

昨今、朝の通勤時間帯ですら、電車内で紙の新聞を読んでいる人はほとんど見かけなくなった。ビジネスマンだけでなく、大学生の年代はほとんど新聞を読んでいない。

「デジタルで新聞を読んでいる」学生はごく一部

私は、教えている大学で学生に「紙の新聞をどの程度読んでいるか」を毎年アンケート調査で聞いている。2023年度に教えた、のべ1026人の学生のうち、紙の新聞を「まったく読まない」と回答した学生は728人と7割に達した。一方で「定期購読している」という学生はわずか13人、1.3%だった。この数には自宅通学生で親が購読している新聞を読んでいる学生も含まれているから、ごくわずかしか毎日読んでいる人がいない、ということになる。

たまに読むという学生も「レポートなどで月に数回程度読む」という回答で、もはや「紙の新聞」は学生の情報源ではないのだ。学生時代に紙の新聞を読んだことがなければ社会人になっても読む習慣はほぼないから、ビジネスマンが新聞を読んでいる姿をほとんど見ることがなくなったのも当然だろう。ますます紙の新聞の発行部数は減っていくことになるに違いない。

いやいや、デジタル新聞に移行しているのだから、紙の新聞が減るのは当然だろう、と言う人もおられるだろう。だが、電子新聞など新聞社の情報メディアを使っている学生もごく一部で、「新聞」という媒体自体が凋落しているのは明らかである。学生の情報源はタダのSNSが主体だし、ビジネスマンの多くも無料の情報サイトで済ませている人が少なくない。つまり、情報を得るために「新聞」を買って読むという行為自体が、失われつつあるように見える。

新聞社が儲からなくなり、人材も育たなくなった

紙の新聞の凋落による最大の問題点は新聞社が儲からなくなったことだ。新聞記者を遊ばせておく余裕がなくなり、今の若い記者たちは私が新聞社にいた頃に比べて格段に忙しくなっている。紙の新聞は日に何度かの締め切りがあったが、電子版は原則24時間情報が流せるから、記者にかつてとは比べ物にならないくらいの大量の原稿を求めるようになった。ハイヤーで取材先の自宅を訪れて取材する「夜討ち朝駆け」も減り、取材先と夜飲み歩く姿もあまり見なくなった。新聞社も働き方改革で「早く帰れ」と言われるようになったこともある。

新聞社は取材を通じて勉強していくOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が伝統で、ベテランのデスクやキャップから、若手記者は取材方法や原稿の書き方を学んでいた。そんなOJT機能が忙しさが増す中で失われ、人材が育たなくなっているのだ。儲からなくなった新聞社で人材枯渇が深刻化し始めている。

もちろん、それは新聞記事の「品質」にも表れる。長年、新聞に親しんだ読者からは、最近の新聞は質が落ちたとしばしば苦言を呈される。また、新聞の作り方が変わってきたことで、伝統的な紙の新聞のスタイルも変化している。

貴重な情報が隠されている「ベタ記事」が激減

最近の新聞からは「ベタ記事」が大きく減っている。かつて「新聞の読み方」といった本は必ず、「ベタ記事こそ宝の山だ」といった解説を書いていた。新聞を読まない読者も多いので、ベタ記事と言われても何のことか分からないかもしれない。紙の新聞では1ページを15段に分けて記事が掲載される。4段にわたって見出しが書かれているのを「4段抜き」、3段なら「3段抜き」と呼ぶ。これに対して、1段分の見出ししか付いていない記事を「ベタ記事」と呼ぶ。そうした細かい、ちょっとした記事に、貴重な情報が隠されているというのだ。

ところが最近は、このベタ記事がどんどん姿を消している。デジタルでネットに情報を出すことを前提に記事を作るため、ひとつの原稿が長くなったことで、ベタ記事が入らなくなった、という制作面の理由が大きい。長い読み物的な記事が紙の新聞でも幅をきかせるようになり、新聞が雑誌化している、とも言われる。一見同じページ数でも、記事の本数が減れば、実質的に情報量が減ることになる。細かいベタ記事に目を凝らして読んでいた古い新聞愛読層が新聞の情報量が減ったと嘆くのはこのためだ。

「成功している」日経ですら電子版は100万契約にすぎない

一方で、細かいベタ記事がたくさん必要だった時代は、記者が幅広に取材しておくことが求められた。駆け出しの記者でもどんどん原稿を出すことができたのだ。ところが、雑誌化すれば訓練を積んだ記者しか原稿が出せず、結果、若手の訓練機会が失われている。これも記者の質の劣化につながっているのだ。それが中期的には紙面の質の低下にもつながるわけだ。紙の新聞の凋落による経営の悪化や、デジタル化自体が、記者を劣化させ、新聞の品質を落としている。

デジタル版が伸びているので新聞社の経営は悪くないはずだ、という指摘もあるだろう。確かにニューヨーク・タイムズのように紙の発行部数のピークが150万部だったものが、デジタル版に大きくシフトして有料読者が1000万人になったケースなら、紙が半分以下に落ち込んでも十分にやっていける。

デジタル化で成功していると言われる日本経済新聞も、紙はピークだった300万部超から半分になったが、電子版は100万契約に過ぎない。紙の新聞は全面広告などで高い広告費を得られたが、デジタルの広告単価は低い。マネタイズする仕組みとして猛烈に優秀だった紙の新聞を凌駕できるだけの仕組みがまだできていないのだ。1000万部を超えて世界最大の新聞だった読売新聞はデジタルで大きく出遅れている中で、紙は620万部まで減少している。

「新聞の特性」自体が消滅しつつある

このまま紙の新聞は減り続け、消滅へと進んでいくのだろうか。本来、紙の新聞には情報媒体としての優位性があった。よく指摘されるのが一覧性だ。大きな紙面にある見出しを一瞥するだけで、情報が短時間のうちに目に飛び込んでくる。36ページの新聞でも、めくって眺めるだけならば15分もあれば、大まかなニュースは分かる。その中から興味のある記事をじっくり読むことも可能だ。

ネット上の記事は一覧性に乏しいうえに、自分の興味のある情報ばかりが繰り返し表示される。便利な側面もあるが、自分が普段関心がない情報が目に飛び込んでくるケースは紙の新聞に比べて格段に低い。自分の意見に近い情報ばかりが集まり、反対する意見の情報は入ってこないネットメディアの性質が、今の社会の分断を加速させている、という指摘もある。

そんな紙の特性を生かせば、紙の新聞は部数が減っても消えて無くなることはないのではと私は長年思っていた。ところがである。前述の通り、デジタル版優先の記事作りが進んだ結果、1ページに載る記事の本数が減り、ベタ記事が消滅するなど、新聞の特性自体が消滅しつつある。新聞社が紙の新聞を作り込む努力をしなくなったのだとすれば、紙の新聞の消滅は時間の問題、ということになるのだろう。

岸田内閣で株価上昇は「幻想」だ! 株・不動産の高騰の真相は「円の劣化」 「金建て」では内閣発足以来2割下落

現代ビジネスに2月6日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/123896

実は株価は下落している

「30年ぶりの水準となった賃上げ、設備投資、株価。日本経済が新たなステージに移行する明るい兆しが随所に出てきています」

岸田文雄首相は1月30日に国会で行った施政方針演説で、こう日本経済の状況を語った。確かに日経平均株価はバブル後の最高値を更新して3万6000円を突破。年初は3万3000円だったので1月で1割近くも上がっている。岸田内閣で唯一評価できるのが株高だ、といったこ声も出ている。

だが、それは「幻想」に過ぎず、実際の株価は岸田内閣発足時より安いと言ったら、読者各位は訝しく思われるに違いない。

30年ぶりだと岸田首相が胸を張る「賃上げ」にしても、表面上の賃金は上がっているが、物価上昇には追いつかず、「実質賃金」はマイナスが続いている。それと同様、見た目の株価は大きく上昇しているが、見方によっては実態価値は上がっていない、ということが起きている。これは物価との関係ではなく、株価を示している「円」という通貨の価値の問題だ。今の株価の急激な上昇は、円の価値が劣化しているために他ならない。

筆者が以前から使っている指標に、日経平均株価を「円建て」ではなく、貴金属である「金(ゴールド)」の小売価格で割った、いわば「金建て」の指数がある。証券界ではしばしば「ドル建て」の日経平均株価などが指標として使われるが、ドルという貨幣自体の価値も変動する。そこで人類の歴史と共に価値保存に使われてきた「金」をベースに日経平均株価を見ているのだ。

例えば2021年1月の「円建て」の日経平均株価と「金建て」の価格を100としてグラフを作ると、2021年秋までは似たような動きをしていたものが、それ以降、大きく乖離を始める。この乖離は岸田内閣発足後に円安が進むのと共に激しくなった。

岸田内閣が発足した2021年10月4日の両者の価格を100として指数化すると、2024年1月31日は「円建て」で127.6と3割近くも上がっている。これが岸田首相が胸を張る「見た目」の日経平均株価の大幅な上昇である。

ところが、「金建て」で見ると様相は一変する。1月末現在で指数は83.4。何と岸田首相が就任した時に比べて日本株の「実態価値」は2割近くも落ちているのだ。2021年10月4日の日経平均株価は2万8444円。金の国内小売価格は1グラム6981円だった。この1月末で日経平均は3万6286円になったが、金は1グラム1万674円まで上昇している。ドル建ての金価格は落ち着いているものの、円建てでは高値水準にある。つまり「円」が劣化しているのだ。

要するに円の劣化

確かに円安は進んでいるが、2022年秋のように1ドル=150円を超えていた頃に比べれば円高ではないか、という指摘もあるだろう。もうひとつの指標を見れば、その謎が解ける。「実質実効為替レート」だ。「円の実力」とも言われるもので、2020年を100とした指数が、毎月、日本銀行によって公表されている。

この実質実効為替レートは、実際の円ドル相場が150円を超える円安を付けた2022年10月の指数が73.70だった。ところが、2023年11月にはこれを下回って71.39と、過去最低を更新しているのだ。「見た目」の為替相場に比べて円の劣化は進んでいるということができる。

ちなみにこの指数の計算が始まった1970年1月は2020年を100として75.02なので、すでに円の実力は1970年を下回っているということになる。当時の「見た目」の為替レートは1ドル=360円の固定相場時代だ。その後、最も円の「実力」が強くなったのは1995年4月。2020年を100とした指数で193.97を付けた。円ドル為替レートが1ドル=79.75円を付けた時だ。猛烈に円が強くなり、海外旅行ブームが起きていた。その時の指数に比べて現在は3分の1近い。円の実質的な強さも3分の1になったということだ。

今、アジアに海外旅行をしても物価水準は日本と変わらないか、高い。米国でラーメンと餃子、ビールでチップを入れると1万円近くかかった、という話も聞くようになった。円の弱さを痛感している日本人は多い。

米国は経済成長しているので1995年の1ドルの価値は今と比べ物にならないくらい高かった。一方で、日本国内での円の購買力はさほど変わらない。なので、1ドル=150円の円安と言っても、その昔に1ドル=150円だった頃とドルの価値は大きく下がっている。つまり、見た目の「円」は同じ150円でも実態価値は劇的に下がっているということなのだ。

今の3万8915円は同じ価値ではない

それが、猛烈に進行しているのが岸田内閣ということになる。円安を放置し、物価上昇を起こさせる政策を取れば、当然、円の実態価値は下がる。長年、デフレに親しんだ日本国民からすれば、円建ての価格が上がって、価値が上がっていると思っているが、これは「見た目」の賃金が上がっても「実質賃金」が下がっているのと同じことだ。

これは明らかに過去のバブル時代とは違う。都心のマンション発売価格が1億円を超えたとしてニュースになっているが、これも「円」の劣化による「円建て」価格の上昇と見ることも可能だ。中国人富裕層など外国人が東京のマンションを買うようになって、日本の不動産市場は「円」の相場が実態を示さなくなったのではないか。バブル当時は賃金も大幅に上がり、資産を持っている人たちも「バブル」に浮かれて高級品消費に走った。今、そうしたムードは少なくとも庶民の間にはない。

2008年にベトナムに取材に行った際、通貨ドンの価値が日々劣化するのに対応して庶民が「金」に変える姿を見た。当時のマンションなど不動産価格はドンではなく金建ての「カイ」という単位で価格表示されていた。通貨が劣化して信用を失うと究極はそういう事態に陥る。

いやいや、日本株が上昇しているのは、企業収益が大きく改善しているからだ、という反論もあるだろう。確かに、売り上げも利益も大きく増えている。だが、注意しなければいけないのは、これらの数字も「円建て」であることだ。かつての輸出中心の時代とは異なり、連結決算の海外利益は、円に転換されてキャッシュが国内に戻ってくるわけではない。海外の利益を円に換算した際の「見た目」が実態以上に良くなっているという側面もある。

だが、今後も日本円の劣化が止まらないとすれば、海外の事業が好調な日本企業などの円建ての収益はさらに大きく伸び、それに伴って円建ての株価も大きく上がっていくことになる。日経平均株価の3万8915円を抜いて、過去最高値を付けるのも時間の問題だろう。だが忘れてはいけないのは当時の3万8915円と今の3万8915円は同じ価値ではないということだ。

「日経平均は絶好調」でも生活が苦しい…「物価上昇を上回る賃上げ」ができない日本人を襲う"厳しいシナリオ" 株価や不動産が上がっても庶民の生活はラクにならない

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https://president.jp/articles/-/77825

世界的にも目立つほどの日経平均株価上昇

日本の株価上昇が勢いづいている。日経平均株価バブル崩壊後の高値を連日更新し、34年ぶりに3万6000円に乗せた。1989年12月29日に付けた3万8915円87銭の史上最高値更新も視野に入ってきた、という声も聞かれる。

2023年の年間を通じても、世界の中で日本株は気を吐いた。日経平均株価の年間上昇率は28.2%。英国FTSE100指数の3.8%や米国ニューヨーク・ダウの13.7%、欧州ユーロ・ストックス指数の15.7%、ドイツDAX指数の20.3%を大きく上回った。好景気が続いた米国のナスダック総合指数の43.4%という上昇率には及ばなかったものの、世界的にも大きく目立つ存在だった。

世界の中でも株価が大きく上がっているのだから、日本経済は絶好調なのかというと、どうもそうではない。経済力を示す最も主要な指標であるGDP国内総生産)は、2023年にドイツに抜かれて世界4位に転落することがほぼ確実になった、と報じられている。かつてGDP世界2位だった日本は中国に抜かれて久しく、その背中も見えなくなったと思ったら、今度は人口がはるかに少ないドイツにも抜かれることになったわけだ。

物価上昇が見た目のGDPを押し上げている

もちろん、中国など人口が多い国のGDPが大きいのは当然とも言えるが、人口1人当たりのGDPでみても、日本はイタリアにも抜かれてG7(主要7カ国)で最下位となった。もはや「経済大国」などとは言っていられない事態に直面している。

株価は世界の中でも上昇が目立つのに、日本経済はすっかり落日の様相を見せているというのは、どうにもふに落ちない。GDPの順位低下と株価上昇。この一見矛盾する動きは、なぜ起きているのか。

1月15日にドイツ連邦統計局が発表したドイツの2023年のGDPは前の年に比べて6.3%の増加だった。日本の2023年のGDPは来月にならないと数値が発表されないが、概ね590兆円程度と見られる。前の年と比べると5.7%の伸びということになる。

もっともこの伸び率は、「名目」と呼ばれるものだ。物価が上昇している分、消費も生産も数値が上振れする。これを修正するために、物価上昇分を差し引いたものが「実質」だが、実質のGDP成長率は日本の場合は1.5%程度になると見られている。つまり、4%程度の物価上昇が見た目のGDPを押し上げているのだ。

これはドイツも同様で、実のところ、ドイツの実質GDPは0.3%のマイナスということになる。6%以上の物価上昇分が見た目のGDPを押し上げているのだ。物価上昇を引いた実質で見る限り、日本の成長率の方が、ドイツをはるかに上回っている。だから、日本の株価上昇率が高い、と考えることもできる。

円安が大きく進んだことも背景にある

もうひとつ大きいのが「通貨価値の下落」だ。円安が大きく進んだために、ドルベースで見たGDPは小さくなる。GDPのランキングは各国通貨の統計数字をドル換算したもので比べるので、ドルに対する為替レートが安くなれば、GDPは目減りし、順位を落とすことになる。それがモロに表れたのが2023年の日本のGDPだったと言える。

日本円建てで5.7%も伸びた名目GDPは、ドルベースに換算すると1.2%のマイナスになってしまう。専門家の中には「行きすぎた円安」によって実態以上にドル換算したGDPが小さく見え、実態を表していない、という人もいる。多くの為替専門家は、2024年は円高方向に振れると予想しているが、その根拠は「日米金利差」。米国のインフレが終息し、米国の金利引き上げが終わっただけでなく、今後、引き下げに転じる可能性があるとする一方、日本はマイナス金利を解除するので、今年は金利差は縮小する、だから円高に触れるというわけだ。

世界の中央銀行が通貨量を増やしたコロナ禍

もっとも、そうした「円高予想」にもかかわらず、昨年末から年明けの為替相場はなかなか円高方向に進んでいかない。昨年末には一時、1ドル=140円台を付け、年明けは1ドル=130円台に突入かと思われたが、ジリジリと再び円安になり、1月中旬には1ドル=147円まで戻している。為替専門家が言う「円高」も、最近は1ドル=130円が良いところで、2年前の1ドル=115円という水準に戻るという予想をする専門家はほとんどいない。仮に1ドル=130円になったとしても、本来は、到底「円高」とは呼べないレベルにまで日本円の通貨価値は下落していると見るべきだろう。

この通貨価値の下落が株高の理由と見ることもできる。新型コロナ対策で世界の中央銀行は、お金を刷ってばらまくことで景気の底割れを防ごうとした。経済活動が止まったら、1929年の世界大恐慌のような猛烈なデフレに襲われかねない。そこで通貨量を一気に増やすことで、経済縮小を防御したわけだ。これは一定の効果をあげたと見ていい。

不動産は「買いが買いを呼ぶ」バブル状態

その後遺症として表れたのがインフレである。経済実態以上に通貨供給を増やしたのだから、貨幣の価値が下がり、モノの価格が上がった。いわゆる「カネ余り」状態を人為的に作ったわけで、不動産や株式、貴金属、そしてビットコインまで資産の価格は大きく上がった。金融資産だけでなく、生活必需品の値上がりも激しさを増したので、中央銀行は一気に金利を引き上げて、過熱した景気を冷さざるを得なくなった。そしてようやくインフレが沈静化しつつあるというのが世界の状況だ。

一方で、日本でもマイナス金利政策や量的緩和などで「カネ余り」に拍車をかけた。これが株価を上昇させ、不動産価格を高騰させている大きな要因だ。

2023年の上半期(1~6月)に、東京23区の新築分譲マンションの平均価格が初めて1億円を超えた。前年同期に比べて6割も高い1億2962万円という驚愕の価格だ。もちろん東京で働くほとんどのビジネスパーソンには手が届かない価格になっている。中古マンションの価格も上がっているので、保有資産価値の上昇が購買力を生む「買いが買いを呼ぶ」バブル状態になり始めている。もちろん、円安によって「超お買い得」と感じた外国人が日本の不動産を買っているのも事実だが、そうした「実需」だけで不動産が上がっているわけではない。

物価は上昇しているのに、給与が増えない日本

年明けに3万3000円台だった日経平均株価が、わずか6営業日で3万6000円を付けることなど、バブル期を彷彿とさせる値動きだ。もちろん、新NISA制度が始まったことで、新たな長期投資資金が株式市場に流入しているのも事実だが、だからといって、あまりにもハイペースであることに変わりはない。

問題はそうした資産以外の生活必需品の物価上昇が、世界と様相を異にしていることだ。米国の場合、物価上昇と共に給与の引き上げも進み、購買力は維持された。物価上昇が経済成長へとつながったと言ってもいい。日本でも岸田首相が「物価上昇を上回る賃上げ」と繰り返し発言しているのは、日本の物価上昇が輸入原材料やエネルギー代に消えてしまい、企業や個人事業主の儲けにつながり、それが給与の形で還元される「好循環」になっていないことだ。

購買力が維持できなくなれば、経済成長は止まり、日本の経済力はますます低下していく。一段と円安が進めば、円建ての株価や不動産はまだまだ上昇する可能性がある。だが、円安で輸入物価の上昇に再び火がつけば、資産価格の上昇に何の恩恵も受けない庶民の生活は一段と厳しさを増すことになる。

自民党・政治刷新の数少ない目玉が派閥へのナンチャッて「外部監査」、本当に政治資金は透明になるのか

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https://gendai.media/articles/-/123365

企業への外部監査とはまったく別なもの

パーティー券収入など政治資金の不透明な扱いに揺れる自民党は、党政治刷新本部(本部長・岸田文雄総裁)が中間報告をまとめた。

派閥の解散を党として打ち出すことはできず、政策集団としての存続を容認する煮え切らない内容になった。政策集団によるパーティー開催を認めないことや、人事とポストから切り離すことなどが盛り込まれたが、どう実効性を保つのか不透明な点が多い。

政治資金収支報告書への不記載などの場合に会計責任者だけでなく政治家の責任も問う「連座制」も検討されているが、これは国会での政治資金規正法見直しが必要になり、どう決着するかは見通せない。

そんな中ですんなり盛り込まれたのが、政策グループの政治資金に「外部監査」を導入するという点。これまで国会議員の資金管理団体などは「外部監査」が義務付けられていたのに、派閥は対象外だったので、その対象に加える、というわけだ。

外部監査を入れるというと、資金の流れが外部の目で厳しくチェックされるようになると感じるだろう。だが、政治資金の世界で言う「外部監査」は、上場企業などで行われている「外部監査」とはまったく別もの。日本公認会計士協会の幹部ですら、「あれはナンチャッて監査ですから」と言う代物なのだ。

会計士協会の中には「政治監査禁止」の声も

まず、監査を行うことができる人の「専門性」と「独立性」がまったく違う。上場企業では会計専門家である公認会計士しか監査を行うことができず、それも個人ではなく、専門家集団である監査法人が監査を行う。監査法人は監査対象の企業とは利害関係のない独立性が求められる。

ところが政治の世界で言う「外部監査」は、監査法人でなくても、会計士個人や税理士、弁護士なども行うことができる。現在義務付けられている資金管理団体で、監査法人が監査を担当しているところはほとんどない。しかも、政治家の後援会に所属している税理士が担当するなど独立性が疑われるケースも少なくない。党に入った政党助成金から資金が流れることから外部監査が導入されたが、とても国民の血税が正しく使われているかを厳正にチェックする体制からはほど遠いのだ。

 

会計士協会の幹部などが集まる会合では、「いっそのこと政治資金がらみの監査からは手を引いた方がいいのではないか」と協会会長OBからも意見が出たという。金融庁などから「監査の質」を常に問われている会計士協会としては、「ナンチャッて監査」を会計士が引き受けることを禁止した方が良い、というわけだ。だが一方で、「そんなことをしたら、税理士に監査を取られる」という反対論が根強いという。

実は、会計士と税理士は長期にわたって職域論争を展開している。会計士は監査業務のほか税務も行うことができるが、税理士は税務だけで監査を行うことができない。税理士会は会計士協会に比べて政治家とのパイプが太く、選挙協力も行うため、政治力が圧倒的に強いとされる。過去にも税理士会が政治に働きかけて会計監査を税理士にも認めるよう求めてきた経緯がある。政治資金監査を手離したら税理士会の思うツボだというわけだ。

資金管理団体で行われている監査を仮に政策集団の資金団体にも義務付けたとしても、今回のような不記載はまったく防げない。上場企業でも経営者が意図して売り上げを隠したり、架空計上する「粉飾決算」を行なった場合、なかなか監査で見抜くことは難しい。銀行口座の残高証明や通帳の記録などをチェックしたり、取引先とのモノやお金の動きを調べることで粉飾決算を防いでいる。ところが政治資金監査の場合、領収書と帳簿の付き合わせぐらいしか行う権限がなく、今回の政治資金パーティー収入の不記載などを調べる方法がない。会計士幹部が「ナンチャッて監査」と言う所以だ。

こんな慣行はもうやめるべき

政治資金は政党助成金という国民のお金が政党を通じて政治家の資金団体などに流れているほか、課税が免除されるなど高い公益性を持つ。それは、上場企業の比ではない。それだけに、外部による厳しいチェックを入れるのが当然だろう。上場企業に義務付けている監査法人による厳密な意味での「監査」を導入するのが当然と言えるだろう。「外部監査を導入する」という言葉を鵜呑みにするのではなく、本物の監査を通じて透明性を図るべきだ。

今後、国会では政治資金規正法の改正が議論になる。日本の政治で資金集めの大きな手段になっているパーティー券の扱いを変えるべきだろう。1回20万円以下ならば購入者の名前を明らかにしなくて良いという「抜け穴」が最大の問題だ。企業からみても「交際費」や「寄附金」として経費処理でき、しかも名前が出ないことで株主などの批判をかわすことができるため、便利な仕組みとして定着してきた。だが、そろそろそうした「慣行」は止める時だろう。手っ取り早いのは、上場企業に政治家や政党、政治資金団体などへの支出はすべて情報開示させることだろう。

今回の「裏金」問題が発覚したのも資金の出と入りが一致していないことが明らかになったのがきっかけだった。政治資金の出し手つまり個人や企業側の情報開示を徹底すれば、受け手である政治資金団体は不記載ができなくなる。

岸田首相に近い政治家は「出し手が記載していない以上、受け手が記載するわけには行かなかった」と語っていた。受け手の不記載を防ぐ手立てを考えるよりも、出し手の情報開示を進めることが重要である。

2024年は「不正」にまみれた日本社会と 決別できるか?

定期的に連載している『COMPASS』に2024年1月19日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://forum.cfo.jp/cfoforum/?p=29576/

 2023年は、経済界をはじめ、政界、芸能界、教育界など、日本のいたるところで「不正」や「不祥事」が発覚した。ビッグモーターの保険金不正請求問題、旧ジャニーズ事務所の性加害問題、日本大学アメリカンフットボール部の違法薬物問題、そして、ダイハツの長期にわたる品質不正問題。政界では、政治資金収支報告書の不記載から始まり、安倍派などのパーティー券収入のキックバック問題など、いわば「長年黙認されてきた行為」が断罪されることになった。

 なぜ、こうも立て続けに、不正が発覚しているのだろうか。ひと昔前ならば闇から闇へと葬り去られていた「悪しき慣行」が、許されない社会になったということだろう。不祥事が報じられるたびに「ガバナンスの不備」が言われるが、逆に言えば、ガバナンス体制が大きく変わってきたからこそ、かつては暗黙裏に見逃されてきた問題が表面化するようになったとも言える。


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「人口崩落」が止まらない日本が直面する事態、もはや社会を維持できなる寸前 岸田首相の「異次元対策」に期待感なし

現代ビジネスに2024年1月1日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/122276

減少拡大

2023年の出生数が80万人を割った2022年の77万人をさらに下回り72万6000人程度になると見られることが分かった。減少率は22年の5.0%を上回る5.8%程度に達する見通しで、まさに「人口崩落」が止まるどころか拡大している。

岸田文雄首相は2022年1月の通常国会冒頭、施政方針演説を行ったが、その中で、出生数80万人割れの状況について、「わが国は、社会機能を維持できるかどうかの瀬戸際と呼ぶべき状況に置かれている」と強い言葉で危機感をあらわにした。地方での人口減少は深刻で、まさに、社会システムを維持できなくなる寸前にまで来ている市町村もある。

最近では、医療や介護、運輸などの現場で人手不足が深刻化し、地方の病院や老人ホームの運営が危機的な状態に陥ったり、タクシーやバス運転手の不足で、交通インフラも維持できなくなりつつある。しかもこうした産業では70歳以上の高齢者が人手不足を補っているが、人口がまだ多い70歳以上が年々労働市場から退出していくことによって、こうした産業の人手不足はさらに深刻になると見られている。

2022年10月時点の各歳別人口推計をそのまま使うと、23年10月時点で75歳の男女は199万人で、74歳は203万人いる。ところがこれ以降、急速に減少。73歳は187万人、72歳は176万人、71歳は167万人、70歳は159万人と落ち込んでいくのだ。もちろん、これは死亡者がゼロとした最大人口だから、さらに減る可能性が高い。つまり、この15年、アベノミクスの「人生100年時代」の掛け声によって労働市場に参入してきた高齢の労働力が、今後、急速に減っていくのである。

地域も、産業も、消えていく

一方で、出生数の激減が続いていることによって、様々な産業が縮小を余儀なくされている。例えば、小学生向けの学習塾は対象年齢が今後急速に減っていくことから、存亡の危機が訪れることは明かだ。2年前に100万人いた6歳の人口は今93万人。2025年には87万人以下、2028年には79万人以下になることがはっきりしている。

対象年齢人口が2割も減るのだ。すでに幼稚園などで経営危機に陥るところが出始めているが、これはまだまだ予兆に過ぎない。

1歳あたり100万人いた人口が80万人以下になる「人口減少の崖」は、間違いなく日本の産業構造を破壊しながら年々進行していく。11年後には大学入学年代が100万人を割り、「崖」を下り始める。当然、その前に大学の合従連衡が本格化するだろう。高校卒業の働き手に依存している製造業などの人でも壊滅的に足らなくなる。さらに、15年後に企業は大卒の新卒社員採用がままならなくなる。

それ以前にも人手不足は深刻さを増していく。現在60歳の定年相当の人口は156万人、逆に新卒の22歳は124万人しかいないからだ。その差32万人をどう穴埋めするかに企業はすでに腐心している。それが、15年後の22歳は100万人なのに対して、定年の60歳に達する人口は199万人。その差約100万人である。人手不足倒産などという生やさしい話ではない。産業が丸ごと姿を消す衝撃度だ。しかし、それも「崖」を下る前の話なのだ。

20年後、社会に出る人口が80万人を切っている頃、現在200万人いる団塊ジュニアは75歳の後期高齢者になる。今の社会保険システムを維持しようとすれば、現役世代は負担増に押し潰されることになるだろう。どう考えても社会システムは壊れる。

可処分所得先細りの中で

岸田首相は「異次元の少子化対策」によって人口減少に歯止めをかけると訴えた。その後、2023年6月には具体的な対策が打ち出されたが、それによって子どもを産もうという機運が生じたとは言い難い。残念ながら期待感は高まらず、今のところ少子化はさらに深刻化している。前年比の減少率は5.8%と大きくなり、2019年と並んで過去最大になった。まったくといっていいほど歯止めがかかっていないのだ。

少子化の原因について、経済的な問題が大きいという見方が現状では多い。子どもが希望の人数を持てない理由として経済的理由を上げるアンケート調査結果なども存在する。若年層の給与が増えていない一方で、社会保険料負担や消費税の負担が増えて、子育て世代の可処分所得がむしろ減少傾向にあることが、結婚できずに子どもも持てない理由だというのだ。だとすると、今後の少子化でさらに高齢者の割合が増えれば、現役世代への経済的負担は増すことになり、ますます子どもが生まれない悪循環を断ち切ることができないのではないか。

岸田首相は企業に対して賃上げを働きかけている。だが、それも物価上昇率に追い付くことが目標で、子育てできる十分な賃金水準を維持することが目標になっているわけではない。しかも、賃上げ率は物価上昇率に追いつかず、実質賃金は下がり続けている。厚労省の毎月勤労統計調査では、2023年10月まで19カ月連続で実質賃金はマイナスが続いている。

若年層の負担増が経済的困窮度を増し、結婚や出産を諦めざるを得なくなる。それによって、生まれてきた子どもたちの経済的な負担が増える。そんな悪循環を断ち切らない限り、出生数は増加に転じないだろう。

「立候補するために2億円払った」と吐露する議員も…パーティー券問題だけではない"自民党が抱える闇"の深さ 有能な若者が国会議員になる道をふさぐ"悪しき慣行"

プレジデントオンラインに12月22日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/76940

自民党は悪しき慣行と決別すべきだと思います」

「当たり前と思ってやってきたことが世間から指弾されているわけですから、自民党は悪しき慣行と決別すべきだと思います」

自民党議員に長年仕えてきたベテラン秘書はそう語る。

自民党の派閥が開いた政治資金パーティーを巡る東京地検特捜部の捜査が本格化している。関係する議員秘書だけでなく、議員本人からの事情聴取が始まり、安倍派(清和政策研究会)や二階派志帥会)の事務所などが家宅捜索を受けた。問題は派閥のパーティー券収入の不記載という世間から見れば「軽い罪」で終わるのか、それとも自民党が長年抱えてきた闇が暴かれ、「悪しき慣行」と決別することができるのか。

自民党政治家とカネを巡る問題は、政権の足元も揺るがせている。岸田文雄内閣の支持率は朝日新聞の調査で23%、毎日新聞では16%にまで落ち込んだ。自民党の支持率も朝日23%、毎日17%と急低下している。内閣と党の支持率の合計が50を下回ると政権は倒れるとする故青木幹雄幹事長が唱えた「青木の法則」にいずれもヒットした。本来ならば首相を交代させ、「表紙を替える」ことでイメージ刷新を図るところだろうが、疑惑が安倍派など一部にとどまらず自民党全体に波及する可能性がある中で、そうはなかなか踏み切れない。不甲斐ない野党の支持率が上がらないことを祈るばかり、といった様子だ。

自民党議員たちにとっては長年当たり前のことだった

それぐらい今回の問題は自民党議員たちが長年当たり前のことと思ってきた「慣行」だった。だが、現段階では岸田首相も自民党幹部もその「悪しき慣行」を一掃しようと動いている気配はない。

12月13日の国会閉幕後に記者会見に臨んだ岸田首相は、「総理総裁として政治の信頼回復に向けて、自民党の体質を一新すべく、先頭に立って闘ってまいります。これが自分の務めであると思い定めています」と述べたものの、その声に力はなかった。事実の説明などもできず、「改革については、これから確認される事実に基づいて明らかにしてまいります」と述べるにとどまった。

事前の報道では、安倍派閥を含む自民党のすべての派閥を解散することで国民の信頼回復を狙うという説も流れたが、記者会見では派閥の先行きについては何も言及することができなかった。結局、国会審議を通じて繰り返した「捜査に差し支えるのでお答えするのは控えなければならない」という姿勢を変えなかったわけだ。

「落とし所」を探っている首相と自民党幹部

唯一、具体的なこととし、派閥のパーティーの当面不開催と共に、自らが派閥から離脱したことを明らかにした。だが、首相が派閥から離脱することや現職大臣が政治資金パーティーを開催しないことは、過去の政治とカネを巡る数々のスキャンダルを受けて申し合わされてきたことで、それを破っていたのを元に戻したに過ぎない。岸田首相は「まずは、第一歩として」と言ったが、「一歩」でも何でもないのである。

つまり、岸田首相を含む自民党幹部は東京地検特捜部の捜査の流れを見て、落とし所を探っている感じだ。派閥のパーティー券をノルマ以上に販売してキックバックとして受け取った金額が大きいごく一部の政治家だけが政治資金規制法違反(収支報告書の不記載・虚偽記載)として有罪になって幕引きとなることを望んでいるのではないか。2023年1月に裁判で有罪が確定した薗浦健太郎・元衆議院議員はパーティー券収入など4000万円超の収入を記載しなかったとして罰金100万円、公民権停止3年の略式命令を受けている。今回も新聞が「不記載1000万円以上」などと金額にこだわるのは、金額によって検察が立件するかどうかが分かれると見ているからだ。

古い自民党の悪しき慣行が舞い戻ってきた

国民からすれば、100万円の罰金というのは何とも「軽微」な罰則に見えるが、議員からすれば罰金よりも「公民権停止」が死活問題になる。選挙に立候補できなくなるからだ。派閥の幹部が軒並み立候補できなくなると政界地図は大きく描き変わることになる。議員が頑なに口を閉ざしている理由はここにある。立件される金額が3000万円以上になれば、今報道されているキックバックの額では派閥の幹部は軒並み立件されることはない。つまり罪に問われないのだ。そうなることを自民党の幹部たちは望んでいるのだ。

だが、そうなれば、自民党はウミを出し切ることができず、「悪しき慣行」も当面は自粛するとして、いずれまた復活していくに違いない。民主党から政権を取り戻した安倍晋三首相(当時)は、繰り返し「古い自民党には戻らない」と語ってきた。ところが、世の中の政治とカネへの関心が薄れ、自民党の支持率が戻ると共に、古い自民党の悪しき慣行が舞い戻ってきた。岸田首相が派閥のトップに座り続け、せっせと資金集めパーティーを開くようになったのがそれを端的に表している。

かつての派閥領袖の資金分配モデルを「システム化」

なぜ、派閥はそんなにしてまでカネを集める必要があるのか。

かつて自民党の派閥領袖は「餅代」や選挙の「軍資金」を与えることで、議員を配下に置いてきた。選挙事務所に激励に来る時は紙袋にぎっしり詰まった札束が差し入れられたのもそう古い時代の話ではない。もちろん、そうしたカネは領収書のいらないカネだ。近年、派閥の結束力が弱った背景には、領袖たちが配るカネを調達する力がなくなったことが大きい。

今は多額の政党助成金議席数に応じて政党に配分されるようになった。その分配権を握る党の幹事長が大きな力を持つようになったのはこのためだ。派閥の領袖は党から分配されるカネを派閥所属の議員に分配するが、原資は潤沢とはいえず、何らかの方法でカネを集めなければならない。それが派閥の政治資金パーティーということになる。ノルマさえ達成すれば、後は議員にキックバックする。そのカネは収支報告書に載せないので、領収書のいらない使い方自由の金になる。かつての派閥領袖の資金分配モデルをシステム化したわけだ。

「政党支部」が政治資金団体になっている

今回明らかになったようにパーティー券を購入したのが政治資金団体の場合、その団体の政治資金報告書には支出先が明記されていた。一方の派閥の政治資金報告書と付き合わせれば「不記載」が判明するわけだ。だが、自民党派閥のパーティー券購入の中心を占めると見られる企業が購入者だった場合、20万円以下ならば名前が出ることはないので、付き合わせは不可能だ。捜査の過程で派閥側の議員別キックバック額などが出てくれば、企業を含めた購入の不記載が見えてくるはずだが、そうなると不記載額、つまり裏金化した金額はさらに膨らむ可能性がある。

「悪しき慣行」は他にもある。自民党は選挙区ごとに「政党支部」を置いており、これが政治資金団体になっている。今回発覚したのは安倍晋三氏が代表を務めていた「自民党山口県第4選挙区支部」が、妻の安倍昭恵さんによって「相続」されていたというもの。安倍氏が死去した2022年7月8日に、安倍後援会である「晋和会」と共に、昭恵氏が代表に就任していたというのだ。その後、選挙区支部など関係する政治団体から多額の資金が晋和会に「寄付」され、支部が解散した時点では資金はほぼ使い果たされていた。

親の「地盤」を引き継げば「カバン」も引き継げる仕組み

自民党の場合、「政党支部」と言っても結局は議員個人の持ち物になっていることの表れだ。死亡した当日に妻が代表になったことがそれを端的に示している。今でも企業献金は政党や政党が指定する政治資金団体に対してしか行うことができない。自民党の選挙区支部は「政党」という建前なので、そこで企業献金を受け取ることができる。また、政党助成金などもこの政党支部に分配される。

個人では受け取れない企業献金の受け皿として「政党支部」は使われているが、実際は政党の下部組織ではなく、政治家個人のものと自民党では理解されてきた。だから親の議員が引退して選挙の「地盤」を引き継ぐと、政党支部の「代表」を交代して多額の政治資金、つまり「カバン」を引き継ぐことができる。もちろん親の「看板」も使えるから、2世3世議員が自民党の中心になるのは必然なのだ。

ちなみに、どんな中小企業でも、親から会社を引き継ぎ、株式などを譲り受けた場合、当然、相続税がかかる。政党支部を夫婦や親子で引き継いでも相続税はかからない。政治家でも何でもない安倍昭恵氏がすんなり代表になって資金を「相続」できたのも、自民党の「慣行」に従ったまで、ということになる。

新聞などはこの資金移動などを取り上げて批判しているものの、これがすぐに法律違反になるものではない。あくまでも「慣行」だが、それを自民党は放置し続けることになるのか。

「立候補するために2億円支払った」と参議院議員

さらに、領収書のいらないカネを生み出す自民党の「慣行」がある。参議院議員が立候補する場合、県会議員などにカネを渡すのだ。10年以上前に現職参議院議員が吐露したのは「立候補するために2億円支払った」という話だった。最近はそんな慣行は消えたのかと思ったら、現職参議院議員に聞いたところ、「今はインフレで2億円では済まない」と小声で答えた。まだ続いているようだ。

これは全国一律の慣行というよりも県ごとに違いがあるようだ。選挙に協力するにはカネがいるという話だが、選挙に近い時期にカネを渡せば買収で逮捕されるリスクがある。組織的な金銭要求だけでなく、地域でミニ集会を開いてやるから100万円出せ、と県会議員などから言われるケースもあるようだ。

参議院議員は解散がないため6年間の任期が保証されている。議員の給料だけでなく、公設秘書の3人の人件費など国から支給される経費を含めれば2億円を払っても十分にお釣りが来る、という計算なのだろうか。だが、それが有能な若者が国会議員になる道をふさいでいる。

自民党の政治とカネを巡る「悪しき慣行」はまだまだ枚挙にいとまがない。そんな慣行を打破して、近代的な政党に生まれ変わっていけるのか。岸田内閣だけでなく自民党にとっても正念場だ。