第三者委員会報告書格付け委員会を作った 久保利英明弁護士インタビュー 「会社が潰れかねない厳しい報告書が結果的に会社を救う」

数年前の事、青山学院大学の八田進二教授に取材した時のこと、「いい加減な第三者委員会で弁護士が金儲けするのはけしからん」と怒っていました。弁護士の久保利英明さんが始めた第三者委員会報告書の格付け委員会に監査論の八田教授が加わったのは、ある意味、秀逸な人選と言えるでしょう。格付けする報告書は年に4つですが、うるさ方の久保利さんや八田教授、國廣弁護士に一刀両断にされるかもしれないと思うと、いい加減な報告書は出せないと「抑止力」が働くのは間違いないでしょう。現代ビジネスでインタビューを掲載しました。→
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39585

企業が不祥事を起こすたびに第三者委員会を設け報告書をまとめるのが定番になっている。ところが、会社が意のままになる弁護士らを雇って、問題を事なかれで丸く収めようという下心が感じられる報告書も少なくない。

そんないい加減な第三者委員会は許さないと立ち上がったのが、「第三者委員会報告書格付け委員会」である。さっそく厳しい評価を下し始めた委員長の久保利英明弁護士に狙いを聞いた。

企業と弁護士双方に襟を正してもらうのが目的
 問 格付けを始めて反響はいかがですか。

 久保利  弁護士業界からはエライもんを作ったな、と言われているようです。第三者委員会に関与する弁護士は少なくありませんが、うちの委員会の格付けで不合格である「F」を食らったら面目が丸潰れになるというわけです。格付け対象にできるのは年間4社の報告書だけですが、予想以上に波及効果がありそうです。企業と弁護士の双方が襟を正してくれれば、目的は達成できたことになります。

 問 一発目の格付け対象として、みずほ銀行が設置した「提携ローン業務適正化に関する特別調査委員会」の調査報告書を取り上げました。格付けは厳しい結果でしたね。

 久保利 本文を読んで、ダメだなと思いましたね。評価に加わった私以外の7人も同じように感じたのではないでしょうか。評価が不合格のFを除いた最低のDに4人とその上のCに4人でした。CとDの違いは同情する余地があると感じたかどうかではないでしょうか。

報告書は20日で仕上げたそうですが、これを同情すべき点と考えた委員はCを付け、私のように20日で不十分なら中間報告として出して、さらに調査を続けるべきだったと考えた委員はDを付けたということでしょう。

厳しい報告書を書いたほうが結果的に会社は救われる
 問 金融庁などと違い委員会には調査権限がないから限界があると言う人もいます。

 久保利 NHKの記者らによるインサイダー取引疑惑を調査した第三者委員会で私が委員長、國廣正弁護士が委員を務めたことがありますが、この時は業者を使って消去されたパソコンデータの再生までやりました。委員全員への報酬以上の費用がかかったはずです。

三者委員会が会社と本気で向き合い、存在する資料をすべて提出させる権限を引受時に契約に盛り込めば、かなりの事が分かります。そこまでやらずに調査権限がないとか、日数が少なかったと言うのは言い訳に過ぎません。

 問 不祥事を事なかれで済ませたい馴れ合いの第三者委員会が多いということですか。

 久保利 そうですね。本来、第三者委員会は、会社が潰れるか、委員を引き受けた弁護士が潰れるかぐらいの真剣勝負の場だと思います。会社が潰れかねないくらい厳しい報告書を書いたほうが、結果的に会社は救われる。自浄作用が働いていると世間から見られるからです。

そもそも第三者委員会が安易に作られ過ぎのように思います。社内の調査委員会でも良いものを、わざわざ社外とうたうことで、世の中に信用していもらおうという甘い考えがあるのではないでしょうか。その実、顧問弁護士の紹介で融通の利く弁護士を委員に据え、会社の意向を忖度してもらう。これでは調査の深度もスコープも不十分になるのは言うまでもありません。

 問 会社から報酬を得ている以上、第三者と言っても独立性はないのではないか、という意見もあります。

 久保利 第三者委員会委員の報酬を開示させるのは1つの方法でしょう。個別に報酬開示することには抵抗が強いようですが、せめて総額の報酬と、何時間かかったかを示すべきです。弁護士は基本的にタイムチャージで仕事をするようになっていますので、おおよその報酬の見当が付きます。国選弁護にせよ、仕事の相場というのはプロの間では分かっているもので、本来は開示しても何ら問題ないように思います。

あくまで第三者委員会の報告書いっぽん主義
 問 格付け委員会では優れた報告書を表彰すると言っていますが、評価に値する報告書は出てきそうですか。

 久保利 会社も委員も本気になって原因究明をするケースはあります。私が委員として参加した例で言えば、冷凍食品への農薬混入事件があったマルハニチロのグループ会社だったアクリフーズ(当時、現在はマルハニチロに合併)の第三者検討委員会では、一社員による事件とは捉えず、会社全体のガバナンス(統治)システムの問題と捉えて、徹底究明を図ったのです。

4月30日に中間報告を出し、5月29日に最終報告書をまとめました。そこでは、ぜい弱なガバナンス体制やコンプライアンス(法令順守)意識の低さなど事件を招いた企業風土にも切り込んでいます。グループの中でアクリフーズが「疎外」されていたことが事件の背後にあったと分析しました。

さらに、第三者検討委員会から社会への提言と題した別紙を付けました。委員に加わった科学ジャーナリスト松永和紀さんの発案で加えたのですが、プライベート・ブランドのオーナー企業ごとに、本来は同じ製品なのに管理がバラバラだという社会全体として改善しなければならない問題点を指摘しています。これは従来の第三者委員会にはなかったユニークな発想です。

 問 格付け委員会は久保利さんを含む9人の委員で構成されています。運営はどうやっているのですか。

 久保利 独立性を確保するために、委員各自が資金を出し、足りない分は私が出しました。外部からの資金は一切もらっていません。ホームページの作成費用がかかったくらいで、委員は無報酬、つまり手弁当で評価しています。各委員ともそれぞれ報告書に目を通しています。

どの会社の報告書を格付け対象にするのかを話し合うために1回集まり、その後はそれぞれの評価を持ち合って再び議論します。これは意見を調整するためではなく、気が付かなかった視点などを共有するのが狙いです。これで3カ月の1社をこなします。すでに第2弾として粉飾決算問題を起こしたリソー教育が設置した第三者委員会の調査報告書を取り上げることにしました。8月末には格付け結果を公表します。

 問 報告書の格付けに当たって会社や委員から意見聴取はしないのですか。

 久保利 あくまで報告書いっぽん主義です。書かれている事を評価するというスタンスです。いくら調べていても報告書に書いていなければ世の中には伝わらないわけですから。公共財として開示の深度というものも大事だと思います。

委員の意見が前向き評価のAやBと、後ろ向き評価のCやDに二分するような報告書が出て来ると面白いと思います。どういう点で評価が分かれるのか、今後の第三者委員会のあり方を問い直すような格付けができればと思っています。

年間444億円の保険を売った日本一のセールス・レディ柴田和子さんの「成功哲学」

伝説のスーパー・セールス・レディ、柴田和子さんは不思議な魅力を持った人です。そんな柴田さんが書いた「終わりなきセールス」には、モノの売り方だけではない人生を生き抜く極意が書かれています。
現代ビジネスに書いた記事です。→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39323

柴田和子 終わりなきセールス

柴田和子 終わりなきセールス

年間444億円の保険を売ったセールス・レディ
不思議な魅力が身体中から噴き出している。超美人というわけではないが、可愛いらしい。押し出しは強いが、決して図々しくはない。「頭が悪い」と言いながら、話せば猛烈な勉強家だと分かる。何しろ、話していて時を忘れる。恐らくそんな魅力に多くの経営者は惹かれたのだろう。


柴田和子さん、75歳。

39歳で生保セールス日本一となり、以後連続30年間その座を守り抜いた。ギネスブックに2度も載り、年間に444億円の保険を売った記録はいまだに破られていない。

生命保険業界で「柴田和子」の名を知らない人はいない伝説のセールス・レディだ。

昨年、第一生命保険の役員待遇である営業調査役を長女の知栄さんに譲ったのを機に、自らの営業ノウハウや人生哲学を『柴田和子 終わりなきセールス』(東洋経済新報社)という一冊の本にまとめた。

そこには柴田さんの魅力の源になった思考法や行動の極意が説かれている。いわば成功のための哲学書だ。

「ひと言で言えば、偉大なる母だな」

四半世紀の付き合いがある花房正義・元日立キャピタル会長は柴田さんをこう評する。「人間としての生き様の凄さがある」というのだ。若くして家計を支え、売り上げの多くを稼ぎ出して会社を支え、娘2人を日本を代表するセールス・レディに育て上げた。

花房氏が見る柴田さんの成功術は「人を大切にしていること」だという。「ひと言で言えば、人脈を生かした営業なのだが、その生かし方が絶妙」なのだという。誰かに紹介されて訪問して、1度や2度断られてもあきらめない。この会社のこの人と決めたら、腰を据えて付き合っていた、という。

「お客さんの利益第一」で経営者たちから絶大な信頼を得る
柴田さんは会社が法人として取締役にかける役員保険を中心に手掛けてきた。契約金額が大きくなるのは、1つの会社から契約を取ると、全役員に保険をかけることになるからだ。

そんな役員保険を手掛けるきっかけになったのが、日産自動車の久米豊・元社長との出会いだった。柴田さんが卒業した東京都立新宿高校の先輩だった寺内大吉さん(故人)が、当時常務だった久米氏を紹介してくれたのだ。

おそらく作家ならではの名文で、美人が訪ねていくと書いたらしい。柴田さんが訪ねると、久米氏は開口一番「な〜んだ」と口にしたらしい。そこで黙っていないのが柴田流。「常務さんも下駄みたいな顔」と言ってケタケタ笑ったのだそうだ。

その時、すぐに「保険契約を下さい」とは言わなかった。「社長になったら保険契約してください」と頼んだのだという。常務とはいえ、社長レースを勝ち抜くと決まった人ではない。柴田さんはひと目見て「この人は偉くなる」と思ったのだろう。

その後、7年を経て久米氏は社長になる。そして約束どおりに日産自動車の役員保険の契約を獲得したのだ。そんな久米氏は、仲間の経済人を数多く紹介してくれた。

誰もが知るある大企業の社長もそんなひとりだったが、契約を取るのは大変だった。「系列でも何でもない第一生命となぜ保険契約するのか」という意見も役員から出たという。結局、提案すら出さない系列保険会社よりも、柴田さんの努力を買おうということになったという。

もちろん、営業マンが通い詰めたからと言って契約が取れるわけではない。「必要性を訴えたから契約していただけた」と柴田さんは言う。日本の大企業の役員は、責任ばかり重くて大した報酬も得ていない、と柴田さん。

保険を社外に積み立てておけば、会社の業績変動にかかわりなく退職金や弔慰金として役員に報いることができる。そう説明して歩いた効果が大きかった。前出の花房氏も、「会社が作った保険を単に売りに来るのではなく、自ら会社のニーズを汲み取って設計する力があった」という。柴田さんは「何しろお客さんの利益を第一に考えた」と言う。

自然に心から出て来る笑顔が大事
『終わりなきセールス』の中にも「人脈について」という章がある。そこで柴田さんは「人脈作りにコツはない」と書いている。「テクニカルなやり方で人の心は絶対につかめないからです」というのだ。


一方で、「話題が豊富なのは良い」として、「政治、社会、外交問題、経済など様々な話を貪欲に吸収しておけば、相手に応じてどんな話題も一緒に話すことができる」と述べている。

テクニックはない、という柴田さんだが、人間関係を良くするコツはあるという。それは「笑顔」だというのだ。作った笑顔ではなく、自然に心から出て来る笑顔が大事だという。

確かに、柴田さんも2人の娘もとにかく明るい。自然に笑顔がこぼれてくる。人知れず、向き合っている人の顔も笑顔になっている。

それは友だちであろうが、同僚であろうが、お客さんであろうが変わらない。

本書の随所にみられるのが「気配り」の具体例だ。


帯に書かれた文句を見ると「セールスは話法よりもハート」「お辞儀は45度、お客様は左側に、目に微笑を」

「弱い立場の人をないがしろにしない」と言ったキーワードが並ぶ。

6章では「人の育て方」に触れている。自らが率いる「柴田軍団」の若手を育てた際のエピソードなどが面白い。

75歳で“引退”した柴田さんは、「80歳までは仕事を続ける」と笑う。やはり大御所の柴田さんでないと話が進まないケースがあるのだろう。

そんな柴田さんも後継者になった知栄さんにかける期待は大きい。自分に似た明るさや気配りなどは引き継ぐ一方で、柴田さんにない「頭の回転の速さ」「知識を吸収する貪欲さ」があるのだという。

経営者の間には知栄さんのファンも少なくない。

本書は単なる営業のノウハウ本ではない。柴田和子さんという未曾有のスーパー・レディの生き様を記し、その哲学をやさしく説いている。書店に数多く並ぶ自己啓発本などを読むより、はるかに元気になれる本である。

安倍首相が進める憲法改正は「影響を受ける若い世代こそ議論すべきだ」 鈴木崇弘・城西国際大客員教授インタビュー

集団的自衛権の扱いを巡る議論が国会で始まります。憲法改正は国の形を大きく変える可能性も内包しています。民主主義のあり方を語らせたら第一人者である鈴木崇弘さんのインタビューです。是非ご一読ください。現代ビジネスのオリジナルページはこちら→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39247


集団的自衛権の扱いなど、憲法のあり方を巡る議論が国会で佳境を迎える。そんな中で、鈴木崇弘・城西国際大客員教授は、国民の間での議論があまりにも少ないと問題視する。とくに「若い世代が最も影響を受けるのに、ほとんど若い人の意見は反映されていない」と指摘する。
そんな鈴木氏が10代の若者との議論をまとめた小冊子『僕らの社会の作り方〜10代から見る憲法〜』をまとめた。出版の狙いを聞いた。

実際に負担を背負う若い世代の議論のきっかけに

 問 若者と憲法について語ろうと思われた理由は。

 鈴木 今の若い世代は様々な負担を背負わされています。財政赤字による国の借金にしても、環境破壊や資源枯渇にしても、そのツケを払うのは間違いなく若い世代です。制約条件がどんどん増える中で、若い人たちの活躍の場がどんどん狭まりつつある。大学で教えていて、そう痛感するのです。

ところが、憲法改正など将来の国の形を決める議論で、まったくと言ってよいほど、若い人たちの意見は反映されていません。国会議員や財界人、言論人など多くが高齢者です。そうした高齢者の意見ではなく、実際に負担を背負うことになる若い世代こそが国の将来について議論すべきだと考えました。

 問 本の中では10代の若者と議論されています。

 鈴木 はい。投票権のない世代です。彼らの声が憲法改正議論に反映される仕組みはないわけです。また10代の人たちもなかなか議論しようとしません。

『僕らの社会のつくり方』では各章ごとに課題を掲げ、私と若者の意見を議論のきっかけにして欲しいと考えました。憲法学者や政治家の意見だけを聞いて考えるのではなく、同世代の若者たちの声を聞いて、自分自身で考えてみる。議論してみることが大事です。若い人どうしだけではなく、一般の社会人に若者の考え方を聞いてもらうきっかけにもなります。

 問 憲法改正に反対の立場から作られた本なのですか?

 鈴木 いいえ。私個人にはもちろん意見はありますが、それを押し付けるための本ではありません。司会も中立を心掛けました。

議論される内容については、間違っていてもよい。それを材料に自分たちの憲法について、きちんと考え、議論することが重要だと思っています。末尾の参考文献を見ていただければ分かりますが、改正に賛成・反対両方の本が並んでいます。また、自民党の「草案」などのURLも示してあります。

重要なのは「どういう社会を作りたいのか」
 問 安倍晋三首相や自民党憲法改正を目標にしています。

 鈴木 与党が圧倒的な多数を握って憲法改正も現実味を帯びています。しかし、改憲議論を聞いていて欠落しているものがあるのではないか、と感じます。9条をはじめとする条文をどうするか、というのももちろん大切な問題なのですが、それ以前に、われわれがどういう社会を作りたいのか、ということが真剣に議論されていないと思うのです。


 問 それで『僕らの社会のつくり方』というタイトルなのですね。

 鈴木 どんな社会にしたいか。結論はいろいろあると思います。そのコンセンサスを作るためのプロセスにコストと時間をかけること。これが民主主義です。ですから、民主主義は結論以上に、その結論を得るためのプロセスが重要なのです。

国民全員が賛成する結論などというものはあり得ません。決まったことに納得し、反対してきた人も諦めて決めた事に協力する。それが民主主義ですよね。デモクラシーを日本語では民主主義と訳しますが、本来、資本主義や社会主義といった「イズム」ではないんです。モノ事を決めるプロセス、方法です。


 問 若者と議論したうえでの率直なご意見は。

 鈴木 議論する前に勉強をしてもらったので、それなりの議論はできたと思います。読んでいただければ分かりますが、若者の意見も思ったよりも色々な意見があります。

私が感じたのは、若者とはいえ、それぞれの経験と意見が密接に関係していた。例えば留学をしているとか、NPOの活動をしているといった事で意見が形成されている。これは驚きでした。当たり前の事ですが、いかに経験を積むことが大事か、ということです。

今回、議論した10代の若者10人はすべて実名で登場しています。「僕らの一歩が日本を変える。」代表の青木大和君にメンバー集めを協力してもらいました。

 問 現代ビジネスでも「絶望世代が見る日本」というコラムを書いています。

 鈴木 本を見た人に、議論しているのは優秀な大学や高校の学生ばかりじゃないか、と言われました。私が様々な大学で教えた経験から言うと、一般に優秀ではないと思われているような大学の学生でも、話をするといろいろ考えていることに気が付きます。話す方法が上手くないのであって、意見を持っていないわけではない。

ですから、もっと議論することが大事だと思っているのです。本書を授業の副読本などとして活用していただけるケースも出てきました。

日本の民主主義は張り子の虎
問 鈴木さんは「東京財団」や自民党の「シンクタンク2005・日本」の設立などに携わられました。『日本に民主主義を起業する〜自伝的シンクタンク論』という著書もあります。シンクタンクを作ることで民主主義を徹底しようと考えられていたのではないのですか。

 鈴木 政治家や政策人などを育てることで日本にきちんとしたシンクタンクを作れば、民主主義は機能すると考えてきました。

しかし、長年やってきて、どうも日本の民主主義というのは張子の虎なのではないかと感じています。民主主義というのは制度ですので、どうやってモノ事を決めるか、きちんと国民の声が反映されなければいけない。ですから、若者の政治参加といったことに力を注ぐようになったのです。

 問 張り子の虎ですか。

 鈴木 三権分立とか言葉では習います。国会は国権の最高機関だとも習います。しかし、現実はそうなっていません。安倍首相ですら、国のトップだと自らを言う。でも国会の方が上にあるというのが憲法の理念です。

 米国の独立戦争の時に言われた「代表なくして課税なし」という言葉があります。モノ事の決定プロセスに関与できないのに、将来の負担ばかり負わされる若者を放置するとどうなるでしょう。

 ちょっと成功してグローバルに闘える有能な若者がどんどん日本を捨てて外国に行き始めています。そんな悪循環を止めるためにも、若者にもっと声を上げてもらい、その声を吸い上げる仕組みを整備していくべきなのです。


編著者: 鈴木崇弘 青木大和
『僕らの社会のつくり方〜10代から見る憲法』(遊行社、税込み1,080円)

僕らの社会のつくり方―10代から見る憲法

僕らの社会のつくり方―10代から見る憲法

「骨抜き」公務員制度改革法が可決!大熊利昭衆議院議員が明かす「内閣人事局は絶対機能しない」

安倍首相は改革派なのか、反改革派なのか、今ひとつ分からないのは公務員制度改革への取り組みです。第一次安倍内閣の時とは明らかにムードが異なります。現代ビジネスに掲載された原稿です。オリジナルhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/38710


 国家公務員制度改革関連法案が3月14日の衆議院本会議で、自民、公明、民主3党などの賛成多数で可決された。参議院での審議を経て4月中にも法案が成立する見通しである。政府は法案成立を待って、中央省庁の幹部人事を扱う「内閣人事局」を5月中にも設置したい意向だ。幹部人事の一元化は第1次安倍晋三政権からの課題だったが、霞が関には反対論が根強く、内容は大幅に後退した。

公務員制度改革を強く訴えてきたみんなの党日本維新の会は対案を出して抵抗したが受け入れられず、政府案に反対した。みんなの党で内閣委員会に所属し、法案審議に携わった大熊利明・衆議院議員に聞いた。

内閣人事局ができても今までと何も変わらない   

  公務員制度改革関連法が衆院を通過しました。

大熊 官僚機構の勝利ですね。2010年に野党だった自民党みんなの党とともに提出した法案からは大きく後退しましたし、2009年に自民党政権時代に出して廃案になった、いわゆる「甘利法案」と比べても後退している内容になりました。

  政府案ができれば、いちおう「内閣人事局」は設置されるわけですが。

大熊内閣人事局ができても、今までと何も変わらないと思います。政府提出の法案は、総務省人事院が持つ人事関連の機能の一部を移管するだけで、人事院などの従来の機能はほぼそのまま温存されます。

そこに内閣人事局が加わるわけですから、従来、三元人事行政体制と批判されていたものが、四元人事行政体制になり、機能不全がますます深まるだけです。みんなの党の対案では、人事院総務省財務省の人事関連機能を統合して内閣人事局を創設するとしていました。2010年の自民党案と同じ趣旨です。

  今回の法律が成立すると、幹部公務員を降任できるようになります。

大熊 いわゆる特例降任という規定ですが、一般職のまま幹部の枠内にとどまるので、実際にはほとんど降格はできないでしょう。法律に規定はあっても1件も実際には適用しませんでした、ということになるのではないでしょうか。今後も私たちは、国会質疑でしつこく、特例降任は何人出したかということを聞き続けていこうと思います。

  日本の公務員に対しては、しばしば「省益あって国益なし」と言われ、自分が所属する役所の利益ばかり考えると批判されてきました。600人の幹部公務員を首相官邸が一元管理する意味は大きいのではないでしょうか。

大熊 もちろんそうです。ただ、それを機能させる法律になっていないのです。官僚機構の抵抗の結果でしょう。

例えば、今回の法律で、幹部公務員に対しては適格性審査というものが実施されますが、内閣委員会の質疑でその審査基準を聞いて驚きました。従来所属する組織内の仕事ができているかどうかが審査基準になるというのです。

これでは国全体の事を考える能力や問題意識があるかどうか審査しようがありません。せっかく幹部人事を一元的に行うといっても、従来の基準でやっていたら意味がないでしょう。

「言語明瞭、意味不明瞭」だった稲田朋美大臣

  大熊議員はNPO法人の万年野党による全国会議員評価(185国会)で三ツ星の評価を受けました。質問時間や回数が多かったわけですが、公務員制度改革を巡る政府の答弁は明快だったのでしょうか。

大熊 大臣など政府側答弁の伝統的な作戦は、答えが何だか分からなくすることではないでしょうか。

「言語明瞭、意味不明瞭」と言われた政治家がいましたが、そういう大臣が今もいます。長く話すのだけれど、結局、やるのか、やらないのか分からないというわけです。公務員制度改革担当の稲田朋美大臣も問題が多かったですね。

 問 例えばどんな点ですか。

大熊 公務員の人事制度では「級別定数」というのがあって、どこの役所に何人配属するかが決まっています。この級別定数の設定と改定について、稲田大臣は、人事院の意見を尊重しつつ、内閣人事局で決めると答弁していました。

ところが、人事院総裁は「人事院の意見に基づいて実施される」と答弁していて明らかに食い違っていました。

予算を減らした官僚の人事評価を上げればよい

  公務員の人事評価の基本的な考え方が間違っている、と言っておられます。

大熊 日本の政府のバランスシートは大きすぎます。本来は不要な特別会計があるのにスクラップしません。官僚機構が自己増殖する体質があるからです。予算規模もどんどん膨らみ、それに伴って国の借金も増えてしまいます。

ですから、予算を減らしたら人事評価が上がるようにすれば良いのです。自分が所管している仕事のどこに無駄があるのか、一番知っているのは官僚自身です。

  現在は、予算をたくさん取ってくる課長が省内でも高く評価されているように見えます。このカルチャーをどう逆転させますか。

大熊 本省の局長以上の人件費は年間300億円ほどです。予算を減らした幹部には削減額に応じてボーナスを出したらよい。

それで人件費が10%増えたとしても、100兆円に迫る国の予算全体がわずかでも削減される効果の方が大きいでしょう。合理化を進めた幹部が偉くなったり、ボーナスが増えるのは民間企業ではごくごく当たり前の事です。

内閣人事局を機能させる気が今の官邸にはない

  先ほどの国会議員評価に関連して、国会議員の質問力についてどうご覧になっていますか。

大熊 テレビ中継が入る予算委員会にしばしば出てくるような有名議員の質問よりも、内閣委員会や財務金融委員会といった委員会で地道に質問している議員の質問の方が面白いですね。しっかり調べていて、議論も内容があります。

自分の仲間や先輩は別とすれば、民主党後藤祐一衆議院議員の質問は良いですね。経済産業省のご出身で、制度の仕組みなどを良く勉強しています。長妻昭さんも野党議員として質問する時のキレはいいですね。

民主党は中堅議員を中心に人材がいると思います。共産党の質問はさすがだと思いますね。佐々木憲昭議員の質問など聞いていて勉強になります。

  一方でダメな質問もありますか。

大熊 ええ。民主党の大臣経験者が。その分野の事をまったく知らないので驚いたこともあります。役所が作った質問をそのまま読み上げていましたね。大臣時代も役所の言いなりだったんでしょうね。

政治か手動で官僚機構を使いこなしていくのは大変な事だと感じます。

  みんなの党が「骨抜きだ」と批判する今回の法律でも、霞が関にはいまだに強い抵抗があります。官僚出身の自民党参議院議員などにはまだまだ反対意見が多いようです。内閣人事局は首相や官房長官がその気になれば機能させることもできるのではないですか。

大熊 確かに官僚組織との軋轢を覚悟できれば、機能させられると思います。しかし、内閣委員会などでの議論を通じて、安倍内閣には公務員制度改革を本気でやる気がないと感じています。

内閣人事局を機能させようという気持ちは今の官邸にはないのではないでしょうか。われわれが政権を取れば話は別ですが。

「空気・根回し・年功序列は不要」「英語だけでは役立たず」…日本企業と外資双方を知る人材会社社長に聞く「世界標準の仕事力」とは

岡村進さんはUBS日本法人の社長だった時からのお付き合いですが、日本の人材育成の仕組みを変えることに情熱を傾けています。昨年7月には外資の高給を投げ打って「人財アジア」という会社を起業しました。その岡村さんが新著を上梓されたので、インタビューさせていただきました。現代ビジネスに掲載された記事です。→ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38354


世界で最も仕事がしやすい国を目指す「アベノミクス」は日本企業に大きな変化を迫る。当然、そこで働く社員も「世界標準の仕事の常識」が求められ、世界標準で報いられる事になる。そんな中で、どんな人材が生き残るのか。『外資の社長になって初めて知った「会社に頼らない」仕事力』(明日香出版社)を上梓した岡村進・人財アジア社長は、変われない日本企業を一刀両断にし、若い人たちに「わがままに生きろ」と語る。

「変われない日本企業」を変えるのは「わがままな若者」

──岡村さんは第一生命保険に20年勤めた後、UBSグローバル・アセット・マネジメントで社長を務めました。日本企業と外国企業の両方の働き方を経験したうえで、日本の若者に自己変革を訴えています。

日本の経営者が日本経済の再生をいくら語っても、様々な既得権を意識しているうちに、会社を変えることはできません。悪意を持って変わらないわけではなく、自分を社長に据えてくれた先輩経営者やOB、自分を支えてくれる取締役、後輩社員の事を考えると、今までのやり方を大きく転換できないのです。

ですから、トップダウンで日本企業を国際標準に変えていくのは難しいと感じます。若い人たち個々人の働き方や価値観を国際標準に変えることで、日本企業の組織も変わっていくのではないか。それが私のアプローチです。

──外資の社長という恵まれたポジションを投げ打って人材育成会社を起業されたのですが、なぜですか。

昨年7月に「人財アジア」という会社を立ち上げました。今のままでは日本は沈んでしまうと思っていましたが、安倍晋三首相は自らが掲げるアベノミクスで、変わるべき道を分かりやすくクリアに示した。今こそグローバルな人材を本気で育てないといけないと思ったのです。

──グローバル化が一気に進むと。

まだ日本国内に住んでいる人はグローバル化なんて関係ないと思っています。しかし、そうではない。武田薬品工業のような伝統的な日本企業の社長に外国人が就く時代です。グローバル化と無縁にビジネスマンとして生きていくことはもはや不可能です。だとすると、日本の今までの働き方では通用しなくなります。いやおうなしに「国際標準」になっていくのです。

──ひとことで言って、国際標準の働き方とは。

国にも企業にも依存しないで、自分自身が仕事力を身に付けることです。

今の若い世代、とくに大学生と話していると、やる気もあり優秀な人が少なくない。ところが大企業に入って半年一年たつと、すっかり牙が抜けてしまう感じがします。寄らば大樹の陰というのか、依存心が芽生え、生存本能を失ってしまうのです。ですから、若い人たちに言いたいのは、初心を忘れるなということ。これからは自分の思い通りに素直に生きることが大事です。わがままに生きろ、と。

10年後には終身雇用はなくなっている?

──私はUBS時代から岡村さんを存じ上げていますが、かつては日本企業の人事制度の良さを強調されていました。

前に書いた『自己変革─世界と戦うためのキャリアづくり』(きんざい)という本でも、終身雇用は守れ、と書きました。年功序列の人事を壊して、年齢に関係なく実力のある人を登用する仕組みに変えれば、終身雇用は守れると考えてきました。

しかし、起業した後、大企業の人事研修の講師をたくさん引き受けているのですが、研修の現場で企業が求める人材像を見ていて、やはり変われない日本企業では、終身雇用も守れないと感じ始めました。10年後には終身雇用は残っていないのではないか、と思います。

──変われない日本企業の問題点は何でしょうか。

モノカルチャーなことです。欧米企業の圧倒的に多様なカルチャーと、まともにぶつかったら勝負になりません。

阿吽の呼吸ですべてが分かる、空気を読める人が重用される。会議の根回しなどというものは欧米人にはほとんど理解不能です。議論しない会議などやる意味がないからです。

日本の若い人たちには、先輩だからといって立てるな、働いていない奴は突き上げろ、と言っています。互助組織のような緩い社風でやって来られた時代は、確かに幸せでした。国内市場が安定的に成長し、外国企業も入って来なければ競争する必要はありません。しかし、グローバル化の時代には国際標準の戦い方が求められます。

──アベノミクスはクリアに方向を示したと仰いました。

第3の矢の構造改革が必要だと明確に示しました。世界で最もビジネスがしやすい国にするとも言っています。一方で労働規制の見直しや産業の新陳代謝もやるとしている。グローバル化する世界経済に合わせて日本経済や日本企業の仕組みを変えようとすれば当然のことです。

ただ、やらなければいけない事を明示したことは評価していますし、アベノミクスも応援しているのですが、それをトップダウンでやり切ることができるかどうかは心もとないですね。もちろん、安倍首相がアベノミクスで明示しなければ、世界は日本を見捨てていたと思います。よく言われる「ジャパン・パッシング(日本素通り)」です。

──政府もグローバル人材の育成が不可欠だとしています。


認識が間違っていると思います。英語教育や試験による資格制度をいくら作っても本来のグローバル人材は育ちません。グローバルなビジネスの世界で求められるのは「生き残る力」です。英語が流暢に話せれば生き残れるわけではありません。

私が20年お世話になった第一生命保険には、柴田和子さんというギネスブックにも載ったカリスマ営業レディがいます。彼女は英語はできませんが、米国の大会に招かれて5000人の前で丸暗記した英語のスピーチを行い大喝采を浴びました。英語が上手かどうかではなく、伝えるものがあるかどうか。まさに人間力の勝負なのです。

──どんな人材が生き残れるのですか。

私は「スキル×経験・実績×変革心×気合い」だと言っています。どんなに能力や経験があっても、変革心がゼロではまったくダメ。さらに気合いがゼロだったら絶対に勝負には勝てません。

日本企業の中で「変人」と言われるような人がいますが、グローバル企業の視点でみれば、日本の画一的な社員と大差なく見えます。海外の企業には個性むき出しで戦っている人材がごろごろいます。

──起業された人財アジアではどんな事業を展開されていくのですか。

今は大手企業の人事研修の受託がメインですが、何とかここ1年で、グローバルビジネス予備校のようなものを丸の内に開きたいと計画しています。一方で、大学や高校で、おカネや経済にまつわる講演や講義などを引き受けています。もちろんこれはビジネスにはなりませんが、これからの日本を担う若い人たちに少しでも自信を持ってもらえればと考えています。

外資の社長になって初めて知った「会社に頼らない」仕事力 (アスカビジネス)

外資の社長になって初めて知った「会社に頼らない」仕事力 (アスカビジネス)

岡村進(おかむら・すすむ)
1961年生まれ。1985年東京大学法学部卒。同年第一生命保険に入社し、20年間勤務。その間に、米国運用子会社DIAM USA社長兼CEOなどを歴任。2005年に、スイス系金融コングロマリットUBSグループの運用部門、UBSグローバル・アセット・マネジメントに入る。2008年より日本法人の代表取締役社長を務めた。2013年6月に巨額の報酬を自らの判断で投げ捨て退社。7月に人財アジアを設立し社長就任。大手金融機関、メーカーを中心に企業研修事業を行う。対象は経営層から若手層まで幅広い。若手ビジネス・パースンを対象としたグローバル人材を育てる予備校設立を準備中。

江頭実氏(熊本県菊池市長) 「スイス駐在を経て」第8回

スイス大使館の企業誘致局が発行する日本語ニュースレターのインタビューも8回目になりました。今年2014年はスイスと日本の国交樹立150年。2月6日には六本木ヒルズの広場でオープニングイベントがあり、その後今年一年いろいろな記念イベントが行われます。


スイス在住を経て -スイス滞在経験を持つ日本人にインタビュー
「スイス・ビジネス・ハブ(スイス企業誘致局)ニューズレター 2013年12月号
聞き手:元日本経済新聞社チューリヒ支局長磯山友幸



 スイスといえば「ゲマインデ」と呼ばれる町村レベルの自治体の力が強く、「住民自治」が進んでいる国として世界的に知られている。国(連邦政府)や州が方針を決めても、時として自治体が反対すれば実現できないことも多い。スイスならではの風土や伝統が守り続けられているのも、こうした“強い”自治体の存在と無縁ではない。そんなスイスの風土の中で生活したことが1つのきっかけとなって帰国後に自治体の長となった人がいる。スイス在住経験者に聞くインタビュー・シリーズ。今回は江頭実・熊本県菊池市長にご登場いただいた。

  江頭さんが銀行にお勤めで、スイスに赴任されたのですね。住んでいたのはいつごろでしょうか。
江頭 1998年5月から2002年3月の約4年間です。スイス富士銀行の社長として赴任しました。在任中に富士銀行が日本興業銀行、第一勧業銀行で合併し、スイスの現地法人も統合しましたので、統合後は「スイスみずほ銀行」となり副社長でしたね。
  お住まいはチューリヒですか。
江頭 4年間はチューリヒ大学近くのVoegelsangstr.に住んでいました。初めての単身生活だったので、料理が上手くなりました。週末は登山とスキー三昧で、平日は毎日ジム通いでした。今振り返ると、かなり自由を謳歌していましたね。もちろん仕事もしていました。
  スイス滞在中にマッターホルンに登頂されたそうですね。
江頭 登ろうと決めたものの、岩登りはまったく経験が無かったので、事前に何回も岩場のトレーニングをしました。4000メートル級の山にも随分登りました。マッターホルンに挑戦したのは、2001年の8月でした。
  危険は感じなかったのですか。
江頭 準備に時間をかけましたので、危険は感じませんでしたね。落とし穴だらけのバンカー生活の方が、マッターホルンより余程リスキーだと分かりました(笑)。
  その後、日本に帰国され、みずほ銀行からソフトバンクの業務監督部長に天職されたのですね。
江頭 菊池は故郷ですが、社会人になってずっと離れていました。2010年頃でしょうか。町おこしを手伝うようになって、月1回、菊池市を訪ねるようになりました。今はモノがなかなか売れない時代ですが、一方で、命とか自然、健康といったものは強く求められている。そうした支店でみると菊池は「宝の山」なわけです。ところが地元に住んでいる人たちは、なかなかそのことに気付かない。ふるさとの宝の山をみていると、それが生かされていないのが何とももったいない。色々なアイデアが湧いてくるわけです。それを実現するには自分が市長になるしかない、と思ったわけです。
  選挙準備は万全だったのですか。
江頭 2011年の秋に決断し、2012年7月に会社を辞めて、9月に出馬表明しましたが、地盤はゼロです。知名度もゼロ。それから街頭演説、いわゆる辻立ちを始めました。まったくの素人ですから、県庁の記者クラブに出馬表明の会見に行ったのですが、私と家族で行きました。後援会長や支持者が付いて来ないのは珍しいと言われましたね。地方自治体は様々な「しがらみ」があるのですが、そのしがらみがない点を強調し、ふるさとの再生を訴えました。
  2013年4月の選挙では、予想以上の大差で勝利し、市長に就任されました。その後、次々と斬新なアイデアを打ち出し、実行に移しています。
江頭 菊池は、江戸時代には「菊池米」が取引の基準になっていたほど、有名な農業地帯でした。それは今も変わりません。農業を育んできたのは豊かな自然です。とくに阿蘇からの伏流水は菊池の宝の代表格です。農業者の意識は高く、無農薬栽培や自然農法などに取り組んでいる人もたくさんいます。菊池の農産物はブランドに磨きをかければまだまだ売れる。そこで、無農薬など農産物の品質基準を独自に決め「菊池基準」として売り出そうと考えています。健康志向や環境重視の都会の生活者にインターネットショップを通じて売り込んでいきます。これまでもJAS基準や県の認証制度はありますが、さらにその上を目指します。
  農業が売り物ということですか。
江頭 約1800ある市町村のうち人口は560番目、税収は650番目ですが、農業生産額は27位、畜産は7位です。菊池が勝負できるのは、農業と観光ですね。菊池の農産物を食べてみて、行きたくなる。菊池にはすばらしい温泉があります。さらっとしたお湯なのに、中に入って肌にふれるとヌルヌルする。美人の湯です。農業と観光などを組み合わせる6次産業化ですね。
  1次の農業と2次の加工、3次のサービス産業で、1+2+3=6次産業ということですね。農業が売り物ということですか。
江頭 少子化の影響で市立小学校が閉鎖になっています。この旧校舎などを使って「菊池農業未来学校」を作りたいと考えています。都会で農業にあこがれる人たちに入学してもらい、2年間勉強してもらう。先進的な農業をやっているお年寄りなど菊池の農業者が先生です。
  観光はどうやって盛り立てますか。

江頭 「自然への回帰」「心の時代」と言われます。まさに菊池にはぴったり。自然の癒しを提供できる街へと変えていきます。まずは空き地などに木を植えることを呼びかけます。雑木林を育て、森の中の街を市民の手で作っていく。菊池川の堤防には桜の木を植え、並木を育てて行く。実は、私が子供の頃、菊池の市街には水路が網の目のように張り巡らされ、きれいな水が流れていました。今はすべて蓋をしています。これを少しずつはがしていきたい。これに文化や音楽と組み合わせ、癒しの場を提供したいのです。スイスでは例えばツェルマットの町に入ると、窓辺に花が植えられていますよね。しかも通りで色が統一されていたりします。とても綺麗です。そんな町を作りたいのですが、これは行政だけでは無理です。市民の皆さんの力が必要ですね。

  市長になろうと考えられたのも、そんなスイス時代の経験があるのですか。
江頭 はい。スイスは美しい自然を保全しながら活用しています。そしてそれを住民が結束し守っています。世界中の人たちがそれを楽しみに集まる訳です。世界中の人たちがそれを楽しみに集まる訳です。菊池も是非、そんな町にしていきたいと思います。

江頭 実(えがしら・みのる)氏

1954年4月、熊本県菊池市生まれ。菊池高校から九州大学経済学部へ進み、1976年卒業、富士銀行に入行。ニューヨーク、ロンドンなど海外畑を歩む 。スイス富士銀行社長、ロンドン支店長などを歴任。2009年〜12年ソフトバンク勤務。2013年4月菊池市長に初当選。59歳。


Newsletter December 2013

吉國ゆり氏・同時通訳(サイマル・インターナショナル所属) 「スイス在住を経て」第7回

スイス在住を経て ‐ スイス滞在経験を持つ日本人にインタビュー⑦
第7回:吉國ゆり氏


スイスは四つの公用語を持つ言語環境の多様な国である。そこに言語の専門家が住んだらどんな感想を持つのだろうか。ベテラン同時通訳として国際会議などで活躍する吉國ゆりさんはご主人の転勤で1年間バーゼルに住んだ経験を持つ。しかも、滞在中も同時通訳の仕事を続け、あのダボス会議でも公式通訳の大役を果たした。今も現役の通訳として活躍している。そんな吉國さんに登場いただいた。

吉國さんがスイスにお住まいになったのはいつ頃ですか。
吉國 2005年の夏から2006年の夏までの1年間です。日本銀行に勤めていた夫がバーゼル国際決済銀行(BIS)勤務となったため、1年間だけ一緒に行きました。

お住まいになったのはバーゼルですか。
吉國  はい。バーゼルです。市立美術館のすぐそばの家を借りて住んでいました。バーゼルの町はとてもきれいで、とても気に入りました。もともと欧州は大好きなのですが、欧州の他の国だと、やや気性が激しい国民性だったりしますが、スイス人はとてもやさしく、穏やかだと思いました。非常に日本人と共通する国民性だなと感じたものです。物価はものすごく高いのですが、町なかにホームレスがいるわけではなく、非常に豊かな国ですね。バーゼルなどすごいお金持ちがいるわけですが、それでもごく質素に暮らしている。「それは必要ないわね」というのがスイスのお金持ちの口癖だと聞いたことがありますが、質素倹約をよしとする国民性が表れています。その一方で、多額のおカネを寄付したりする。市立美術館も多くの寄贈品がありました。

吉國さんはベテランの同時通訳として国際会議などで活躍されています。バーゼル時代も仕事を続けられたのですか。
吉國 ええ。BISなどから通訳の仕事をいただきました。バーゼルを拠点に欧州各地に仕事に出かけていたと言って方が正しいかもしれません。幸運だったのは、ダボス会議の名前で有名な世界経済フォーラム(WEF)の総会で通訳させていただく機会を得たことです。2006年1月末でしたでしょうか。それほど広くない会場を、世界の著名人が歩いている光景を見るだけで楽しい経験でした。WEFの事務局が準備していた2人の通訳では足らず、急きょ3人目として採用していただきました。

吉國さんはいつ頃から通訳をされているのですか。
吉國 大学在学中から通訳の仕事をしています。父が外交官だった関係でドイツで生まれ、その後も米国やドイツで生活する機会がありました。ニューヨークに住んでいたころ、学校の行事だったと思うのですが、国連本部に見学に行き、そこで通訳の仕事を目にしたのです。その時から絶対に通訳になると心に決めていました。帰国して国際基督教大学編入した際に、同時通訳のコースに入ったんです。その後、ジョージタウン大学の大学院で言語学修士を取りました。

言語学の専門家から見て、スイスの言語環境はどうでしょう。
吉國 すごく恵まれているなと思いますね。いやおうなしに色々な言語に接することができるわけです。スイス人の言語能力が高いのはこうした環境によるところが大きいと思います。鉄道の駅員さんなども何か国語も流暢に話すのには驚きます。日本はもとより他の国でもあまり見られない光景ですね。ただ、4つも公用語があるせいか、英語が後回しになっている感じがします。私たちが家を借りる時の契約書もドイツ語で、ちょっと閉口しました。薬の説明書などもドイツ語、フランス語、イタリア語が書いてあるのに、英語の説明がありません。ちょっと困りましたね。

日本人はなかなか英語が上手になりません。なぜでしょうか。
吉國 本当ですね。なぜでしょう。実は言いたい事がないのかもしれません。言いたい事があればどうやって伝えようかと考えるわけで、語学は身に付くように思うのですが。

スイスでの通訳のお仕事というのは日本とは違う点もあるのでしょうか。
吉國 基本的には一緒ですが、スイスのような国だと「リレー通訳」をする機会が増えます。日本語を英語にした訳語を聞いて、別の通訳がフランス語に通訳するといった手法です。日本ではあまり機会がありません。通訳という仕事は自分で訳しているばかりで、他の人の訳を聞く立場にはなかなかなりません。ところがリレー通訳となると他の人の通訳を聞いて通訳するわけです。通訳が聞きやすいように通訳する必要があります。日本ではお客さんが神様ですので、お客さんが分かるような日本語の訳にしなければいけません。ところがリレー通訳だと、同僚の通訳を意識します。チームの結束力が求められるわけです。
BISなど国際機関には「チーフ・インタープリター(首席通訳官)」という役職が存在して、その人に認めてもらえないと次から仕事が来なくなります。日本ではまだまだそういう専門ポストは少ないですね。

良い通訳って何なのでしょう。
吉國 どこの国の人でもなまりというかアクセントというのはあります。そんなアクセントは問題ではないと思います。英語らしく聞こえることが大事なのではなく、瞬間的に要点をつかんで分かりやすく訳する。話している人が必ずしも論理的に話しているとは限りません。その人が言わんとしている意味を瞬時につかむことが大事ですね。そのためには、予習が不可欠なんです。経歴はもちろん、その人が過去にどんな発言をしているかなど事前に調べます。インターネットができてだいぶ楽になりましたが、毎日受験勉強をしているような感じです。

これまで通訳をして印象に残った人はどなたでしょう。また、今後通訳をしてみたい人はいますか。
吉國 ダボスでラーニヤ王妃のディベートを伺い関心しました。王族のなかでもあれだけしっかりと議論なされるかたは少ないのではないかと思いました。通訳してみたい人はオバマ米大統領とかキャメロン英首相でしょうか。首脳どうしの会見の場合、外務省の職員が通訳するので、私たち民間に回ってくることは稀です。

帰国後もスイスとのご縁はありますか。
吉國 ジュネーブ人権裁判所の仕事で日本から出張したのが最後でしょうか。バブル経済期には日本のビジネスマンが通訳を連れて出張することが多くありましたが、最近は減っています。なかなか欧州に行くチャンスはありませんね。スイスは愛着のある国なので、何か仕事が来れば、喜んで引き受けたいと思います。

吉國ゆり(よしくに・ゆり)氏
ドイツ生まれ。幼少期を日本、米国、ドイツで育つ。国際基督教大学コミュニケーション科卒。ジョージタウン大学大学院言語学修士。大学生時代から通訳の仕事を始める。夫は日本銀行でロンドン駐在参事などを務めた吉國眞一氏の転勤に伴い、1987年〜90年米国、97年から2000年英国などで暮らし、05年〜06年スイス・バーゼル在住。ベテラン同時通訳として活躍中。サイマル・インターナショナル所属。