スイスへの日本企業の誘致などを行う「スイス・ビジネス・ハブ(スイス外国企業誘致局)」という組織があります。スイス大使館の中に事務局を置き、投資促進セミナーなど数々のイベントを実施しています。その誘致局が発行する日本語版ニューズレターで2011年11月号から連続インタビューを聞き手としてお引き受けしました。スイスに駐在した経験のある日本人に、スイス時代の経験が今の日本でのビジネスや生活にどう役立っているか、スイス時代の思い出などを率直に語っていただいています。是非、スイスにご関心を持っていただければと思います。
ご参考:スイス外国企業誘致局→ http://www.invest-in-switzerland.jp/internet/osec/ja/home/invest/jp.html
Newsletter November 2011
スイスで暮らした経験を持つ各界の著名人は少なくない。 スイスで見聞きした事が、その後の仕事や人生にどう影響を与えたのか。 連続インタビューの1回目は、元警察庁長官で3年間にわたってスイス大使を務めた國松孝次さん。
問 國松さんは1999年から2002年までスイス大使としてベルンに滞在されました。現在はドクターヘリの普及促進を進める認定NPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)の理事長を務めておられます。
國松 スイスに行ってRegaという航空救助隊をみて、立派な仕組みだと感心しました。スイスの国土は九州ぐらいの大きさですが、当時13機ものドクターヘリが飛んでいました(※現在はヘリ17機、航空機3機)。しかも国の予算で支えられているわけではない。国民からの会費と寄付で賄われているのです。これを知って、大変な知恵だと関心したものです。
問 その知恵がHEM-Net にも生きているのですか。
國松 日本ではドクターヘリを運行するのに年間1機当たり2億円はかかります。全国をカバーしようと思えば年1 0 0 億円は必要になります。その規模の資金が必要となると、日本ではどうしても国頼みになってしまいます。ですが、私は、Regaを知ったこともあり、当初から「民間で公を支える」仕組みを作らなければいけないと考えています。なかなか簡単ではありませんが、ドクターヘリに搭乗する医師や看護師の研修費用を民間からの寄付で賄う仕組みを始めました。これは「民が支える公」というスイス的な発想だと思います。
問 スイスから帰国されてHEM-Net の理事長に就任されたわけですが、 これはスイス滞在と関係があ
るのですか。
國松 いえ、実は偶然なんです。私がスイス大使に赴任する前からHEM-Netを設立する話がありました。私は警察庁長官だった1995年に何者かに狙撃され、九死に一生を得ましたが、その時の命の恩人である日本医科大学の辺見弘先生と益子邦洋先生がドクターヘリの推進者だったのです。1999年の初めに、HEM-Netを設立するので理事長を引き受けてくれないかという話がありました。その段階で大使として国外に出ることが内定していましたので、帰国したら引き受ける、という話になったのです。ただ、その段階では大使として赴任する国は決まっていませんでした。世界で
最もヘリコプター救急が進んだスイスに行くことが決まったのもご縁だと思っています。大使として赴任中にRegaを何度も訪ねましたし、辺見先生も視察にいらっしゃいました。スイスの人たちの政府に頼らず自分たちでやろうという心意気にとても共感しています。
問 大使在任中から、サンクトガレン大学の学生たちが主催するシンポジウムを支えています。当時、トヨタ自動車の社長だった張富士夫氏をスピーカーに招くのにも力を発揮されました。
國松 トヨタの張さんとは大学の剣道部で共に汗を流した仲ですから、いろいろ協力してくれます。張さんが主将、私が副将でした。財界首脳に集まっていただいたドクターヘリ普及推進懇談会も会長をお願いしていますし、犯罪被害者救援基金の理事長も引き受けてもらっています。今でも、大将副将の関係が続いているようなものです。サンクトガレンのシンポジウムは私が大使で赴任した当初は、日本の大学の学生はほとんどいませんでした。クレディスイスの日本の会長だった鈴木悠二さんが非常に熱心で、彼の努力により、最近では、日本からも参加者がふえた。元財務官の行天豊雄さん なども協力して下さっています。日本の大学に留学しているアジア人などが多く、まだまだ日本人が少ないのが残念ですが。
問 スイス在任中に書かれたエッセイをまとめた『スイス探訪―したたかなスイス人のしなやかな生き方』(角川書店)はベストセラーになりました。
國松 単行本と文庫を合わせて6万部です。これからスイスに赴任しようという方々の参考になっているようです。もともとは大使在任中に角川書店の『本の旅人』に連載していた随筆を、帰国後にまとめたものです。
問 大使在任中はスイス国内をかなり回られたとか。
國松 26あるカントン(州・準州)のうち20はいきましたね。在任中、スイスと日本の間にはこれといった懸案事項はなかったので、地方を回って州の首相や閣僚に話を聞いたりするチャンスを作るように心がけていました。アッペンツェル・インナーローデン州のランツゲマインデ(直接民主制の住民集会)も見学に行きました。メッツラーさんという連邦政府の司法大臣が、群衆の中に交じって一市民として参加していたのが印象的でしたね。
問 他に印象的だった州は。
國松 ウーリ州ですね。市庁舎の前に大きなウイリアム・テルの像が立っています。建国の英雄ですが、伝説上の人物とされています。ところが、州の官僚と話していると、ウイリアム・テルは実在した、と異口同音に言う。ウーリではそう信じているのですね。
ウイリアム・テルはスイスのシンボルですが、日本では知る人が減りました。大使の時に絵本を探しましたが、見つかりませんでした。岩波文庫のシラーの戯曲「ウイリアム・テル」も絶版になっていた。私が帰国した後に復刊されましたが、ハイジほどポピュラーではありません。ハイジは観光立国スイスのシンボルですが、スイスという国の国民性を知るうえではウイリアム・テルももっと知られるべきではないでしょうか。
問 州の首相とはどんな話をしたのですか。
國松 私は警察庁出身なので、スイスの治安の良さなど内政に関心がありました。州の首相などは日本の大使が来るというので、経済連携の話かと思えば、警察はどうか、治安はどうか、と聞くので拍子抜けだったのではないでしょうか。
社会の安心・安全というのは均質性から生まれている部分が大きいように思います。スイスを見ていると、自分たちの町や村の安全は自分たちで守るという国民のモノの考え方が似ているように感じました。ゲマインデ意識とでもいいましょうか。いわばムラ社会です。そうした社会では犯罪も起きにくのだと思います。反面、排他的なところがあるのは日本と似ています。
問 帰国後、スイスとの関係は何か続いていますか。
國松 スイスと日本の中学生を6人ずつ相互に訪問させる日本・スイス青少年交流使節団というのがあります。スイスはバーゼル、日本は大阪の学生で、日本側は大阪市教育委員会と住友金属工業が中心になって支えています。スイス側の学生たちが来た時には、霞ヶ関ビルのレストランで食事をご馳走することにしてきました。霞ヶ関ビルからだと、日本の政治・経済の中心が一望できるので、いろいろ説明してあげるのです。こうした規模は小さいけれども、地に足の付いた草の根交流を深めることがとても大事だと思います。
問 スイスという国にどんな印象を抱いていますか。
國松 国に頼らない伝統のある自立心に富んだ国民性はすばらしいと思います。とても好きな国ですね。最近、スイスを訪れる機会がないのが残念です。2012年には是非とも家内ともども訪ねたいと思っています。
國松孝次(くにまつ・たかじ)
1937年6月生まれ。東京大学法学部卒。1961年警察庁入庁、警視庁本富士警察署長、在フランス日本国大使館一等書記官、大分県警察本部長、警視庁公安部長などを経て、1994年警察庁長官。1995年に自宅前で何者かに狙撃され一時危篤に。1999年9月から2002年12月まで在スイス特命全権大使。2003年4月から特定非営利活動法人救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)理事長。
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磯山友幸(いそやま・ともゆき)
1962年生まれ。早稲田大学政経学部卒。1987年日本経済新聞社入社。証券部記者、日経ビジネス記者などを経て2002年〜2004年までチューリヒ支局長。その後、フランクフルト支局長、証券部次長、日経ビジネス副編集長・編集委員などを務めて2011年3月に退社、経済ジャーナリストとして独立。熊本学園大学招聘教授なども務める。
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