仲田正史・野村信託銀行社長 「スイスに在住を経て」第2回

「スイスビジネスハブ(スイス企業誘致局)」
ニュースレター連続インタビュー
スイス企業誘致局→http://www.invest-in-switzerland.jp/internet/osec/ja/home/invest/jp.html
2012年4月号
聞き手:元日本経済新聞社チューリヒ支局長磯山友幸


 スイスと言えば金融業である。日本でもバブル経済華やかかりし1980年代後半から90年代前半にかけては金融業の重要性が叫ばれた。そんな中で、金融産業のメッカとも言えるスイスに日本の金融機関はこぞって現地法人や支店を出した。日本人でスイスに駐在した経験を持つ人のかなりの割合が銀行や証券会社勤務だ。連続インタビューの2回目は、大手証券会社である野村ホールディングス現地法人「スイス野村銀行」の社長としてチューリヒに赴任した経験を持つ野村信託銀行の仲田正史社長にお話を伺った。


  仲田さんは大手証券会社の野村ホールディングス現地法人である「スイス野村銀行」の社長としてチューリヒに赴任しておられました。どんなお仕事をされていたのですか。
 仲田 1999年末から2003年半ばまでスイスに駐在しました。スイス野村銀行も本店はチューリヒにあります。スイスの金融機関、例えば銀行とか、保険会社、資産運用会社、投資ファンドなどをお客さんとして、日本株や米国株、アジア株とその派生商品などを引受、売買していました。また、日本企業がスイスの市場で社債を発行して資金調達するお手伝いもしていました。三つ目の仕事として富裕層などのお客様の資産を預かるプライベートバンキングもありましたが、正直これはまだまだという感じでしたね。
  日本の金融機関もたくさん進出していたのでしょうか。
 仲田 1990年代はじめのピークには日本の金融機関はスイスに60近くあったそうです。大手の都市銀行や当時の四大証券会社はもちろん、地方銀行や中堅金融機関も現地法人や支店を置いていました。日本企業の債券発行が活発だったためです。それが日本のバブルが崩壊して90年代後半になると急速に債券発行が少なくなりました。私が赴任した2000年の頃には20数社に減っていましたが、撤退は止まらず、スイスを離れた2003年には1ケタになっていたと思います。世界的にITバブルも崩壊し、金融機関にとっては厳しい環境の時でしたね。
  スイスの印象はどうでしたか。
 仲田 率直な印象を言えば、しなかやで、したたかで、しぶとい国だなと思いました。世界的にもユニークな国ではないでしょうか。例えば、今ではスイスの代表的な産業となっている銀行業にしても時計産業にしても、チョコレートにしても、もともとスイス起源のものではありません。時計産業で言えば、ナントの勅令を機にフランスから移住してきた職人たちの技術が元にあると言われますよね。その外から入ってきた人や技術を、技術革新によって大きく飛躍させたのがスイスです。時計の部品を作る機械やクオーツ、防水技術など発明したのが大きかった。
 チョコレートにしても、もともとはオランダから欧州全域に広がったそうです。カカオ豆からカカオバターを大量に作る機械などはオランダにあった。スイスは、ミルクチョコレートやプラリネ、ヘーゼルナッツチョコレートのようなものを作り出し、一躍大ヒット商品になっていくわけです。発明というかR&D(研究開発)がものすごく得意な国民なのではないでしょうか。
 それらが産業化し成長をしていく中で、金融資本がそれを支えることによって産業とともに発達してきた。
  スイスは金融の世界的な中心地になったわけですが、その金融業に直接触れた感想は。
 仲田 よそ者には非常に入りにくいという印象を受けました。逆に言えば、コミュニティの共同体意識が非常に強い。国民皆兵で軍隊組織のつながりが、そのまま銀行の中にも息づいていたりします。よそ者はなかなか中に入っていけないわけです。
 ところが、そのコミュニティと利害が一致するとなれば中に入れてもらえる。野村はスイスに現地法人を作って30年以上になります。社長も私が9人目か10人目でした。野村ホールディングスの氏家純一前会長もスイスの社長経験者で、UBSやクレディ・スイスなど金融界の幹部と個人的な人間関係が出来上がっていました。とくにバブル期には日本経済が注目されたこともあり、スイスの金融界での日本の金融機関の認知度はかなり高かったですね。住友銀行がゴッタルド銀行を傘下に持っていたりしたこともあります。スイス野村も現在拠点を持つチューリヒジュネーブ以外に、バーゼルとルガノにも店を出していました。
  スイスと言えばプライベート・バンク(PB)ですが、当時、スイス野村はPBを拡大しようとは考えなかったのですか。
 仲田 あの当時は野村がスイス型のPBを拡大するのは時期尚早だと思いました。野村は証券業務がコア・ビジネスなので、スイス型PBをやるとなるとギャップがあった。私は伝統的なスイス型PBの本質の一つは無限責任のパートナーシップだと考えています。パートナー自身の信用力が基本で顧客と運命共同体になっているような形です。上場しているスイスの大手銀行がやるPBというのは、スイス型PBとは厳密には別物だと思っています。
  仲田さんは野村ホールディングスCFO最高財務責任者)を経て、現在は野村信託銀行の社長をお務めです。スイス時代の経験は役に立っていますか。
 仲田 スイス型PBにおいても基本にあるのは「信託(トラスト)」という考え方です。スイスに行って初めてきちんと「信託(トラスト)」について考え、勉強もしました。野村が代々培ってきた人脈で、スイスのバンカーのお話もたくさん伺うことができました。その時の経験や知識が大いに役立っています。
 その当時感じた点の一つですが、銀行や証券会社のような、おカネを扱う商売の周囲に集まってくる人の多くは、時と場合によっては「自己の利益を最優先に考える」輩です。そういう輩と接する時には油断や隙があってはいけない。スイス型PBの本来の姿はそれとは全く対極にあるもので、激動の中を100年、200年と世代を越えて生き残ってきたのは、パートナー個人の財力に裏打ちされた信用力というのもあるが、忠実義務、善管注意義務を貫徹するという「信託(トラスト)」の考え方が根付いていたからだと思うんです。面白い点は、その「信託(トラスト)」の本場であるはずのスイスには『信託法』というものが存在しない。きっと、基本理念がすでに社会のインフラの一部として根付いているから、改めて法律を定めるまでもなかったということかもしれません。
  金融機関にとっての最大の財産は顧客情報だとも言えるわけですが、最近スイスで面白い所を見学されたとか。
 仲田 ええ。スイスの軍隊とそのOBが設立した企業がアルプスの山の中でデータ保管センターをやっています。もともとは軍がアルプスをくり抜いて作った古い軍事基地の跡地で、核攻撃にも耐えるというのがウリです。取引が電子化された今日、金融機関にとっても顧客にとってもデータは最も重要な財産です。それを徹底して守ろうという発想に、スイスらしさを感じました。それを軍と共にやるというのがスイスですね。日本では考えられない事です。すでに大手の金融機関も利用し始めているという話でした。

 ところで、スイスでの駐在生活はいかがでしたか。
 仲田 生活の質については申し分のないところですね。野村ではドイツ、香港、オランダ、スイスに駐在しました。どこもそれぞれに好きな場所ですが、スイスは子供たちがちょうど多感な時期を過ごした場所でした。非常に思い出深いです。
  今でもスイスとの接点はありますか。
 仲田 野村の株主となっている投資家がスイスにもいますので、CFOの時には定期的に訪問していました。これからも折をみて訪問したいと考えています。



仲田正史(なかだ・まさふみ)氏
1958年生まれ。1981年慶應義塾大学卒、野村証券に入社。フランクフルト、香港、アムステルダム駐在などを経て1999年末からスイス野村銀行社長を務めた。2003年本社業務管理部長。2005年執行役就任。最高財務責任者CFO)として野村ホールディングスの財務やIRを担当した。2011年から野村信託銀行取締役代表執行役社長。家族は妻と娘2人。

聞き手:磯山友幸(いそやま・ともゆき)
1962年生まれ。早稲田大学政経学部卒。1987年日本経済新聞社入社。証券部記者、日経ビジネス記者などを経て2002年〜2004年までチューリヒ支局長。その後、フランクフルト支局長、証券部次長、日経ビジネス副編集長・編集委員などを務めて2011年3月に退社、経済ジャーナリストとして独立。熊本学園大学招聘教授なども務める。

ブランド王国スイスの秘密

ブランド王国スイスの秘密