誰も本当の事を言わない“甘言選挙” 「さらなる増税」もなし、「年金」「医療費」の圧縮もなし

古巣の「日経ビジネス」のオンライン版に11月からコラムを頂戴しました。政策をテーマに政治に斬り込むコラムです。11月30日いアップした記事を以下に再掲します。オリジナルページは以下ですので、是非登録してお読みください。無料です。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121126/240073/


 安倍晋三総裁率いる自民党が発表した政権公約マニフェスト)。自民党内で評判が悪い小泉・竹中改革を彷彿とさせる「構造改革路線」と共に“封印”された言葉がある。「社会保障費圧縮」だ。
 2006年から2007年にかけての安倍内閣は、小泉構造改革を引き継ぎ、増え続ける医療費や年金など社会保障費を圧縮することを掲げた。ところが、政権復帰を目指す安倍自民党の公約からは、すっかり抜け落ちている。

 政権公約社会保障に対する方針を示した「安心を、取り戻す。」という項目には、こう記されている。

 みんなが安心できる持続可能な社会保障制度に向けて、「自助」・「自立」を第一に、「共助」と「公助」を組み合わせ、弱い立場の人には、しっかりと援助の手を差し伸べていきます。

 これでは具体的に社会保障制度をどう変えていこうとしているのか、皆目分からない。実は、安倍自民党が「構造改革」や「社会保障費圧縮」という、国民に痛みを求める政策を、公約から排除した背景には、前回の選挙でのトラウマがある。

 2009年の前回の選挙では、政権交代を目指していた民主党から、構造改革こそが「格差拡大」の原因だと攻撃され、社会保障費の圧縮が「医療崩壊」を生んだと責められた。「自民党は弱者切り捨てだというイメージを作られたことが総選挙で惨敗し、政権交代を許した大きな要因だった」と自民党の現職議員の多くは信じているようなのだ。だから、今回の選挙では口が裂けても「社会保障費を圧縮するとは言えない」というわけだ。

次の大きな課題は「社会保障」なのだが…

 衆議院が解散され、総選挙に向けた各党のつばぜり合いが続いている中で、各党各会派が掲げる政権公約が出そろいつつあるが、いずれも、選挙民の耳に心地よい“甘言”ばかりが目立つ。現職議員が再選されて国会に戻ってくることが最優先され、堂々と真正面から主義主張を展開することを避けているようにさえ見える。ましてや、国民に痛みを訴えることなどほとんどない。

 だが、日本が直面する国家財政の危機は、そんな甘い政策では到底乗り越えることができない段階に達している。耳に心地よい政策には必ずおカネがいるのだが、一方で、簡単に財源が出てこないことは民主党の3年あまりの政権で立証されている。

 「消費税増税」を決めた社会保障・税の一体改革法案が成立した現段階で、次の大きな課題が「社会保障」にあることは多くの政治家が分かっている。少子高齢化が進む中で、毎年1兆円近く、社会保障費が増えていくのをどうするか。2006年の安倍内閣は党内外の反発を押し切って「社会保障費を2200億円圧縮」することを決めた。

 この2200億円の削減という政府の方針は、小泉内閣当時の2007年度予算から始まった。当時の谷垣禎一財務相川崎二郎厚労相が、社会保障費の自然増分7700億円のうち2200億円を削減することで合意したのが最初だ。安倍内閣はその方針を引き継ぎ、2008年度予算で自然増分7500億円を5300億円増に抑制した。福田康夫内閣が作った2009年度予算でも8700億円の自然増を6500億円増に抑えている。

 これに猛烈に批判を加えたのが民主党だった。いわゆる「医療崩壊」キャンペーンを受けて、政権交代後の民主党政権は、むしろ医療費を増やす方向に舵を切ったのである。

 今年4月の参議院予算委員会で答弁に立った野田佳彦首相は、政権交代後の民主党の政治は自民党と何が違うかを問われて、こう答えた。

 「大きく変わった代表的なものは社会保障だと思っている。それまで(自民党政権で)2200億円を毎年削る方向だったものを立て直して、介護難民とか医療崩壊と言われたものに歯止めをかけてきている」

 つまり、野田首相は「医療崩壊」を止めるために、2200億円の社会保障費削減を止めた、と言い切っているのだ。

政権交代後、猛烈な勢いで増え始めた医療費

 その結果どうなったか。

 医療費が猛烈な勢いで増え始めたのだ。厚生労働省が発表した2011年度の医療費総額は約37兆8000億円と、前年度に比べて3.1%、約1兆1500億円も増えた。2006年度は0.1%増、2007年度3.1%増、2008年度1.9%増と推移した医療費は、2009年度3.5%増→2010年度3.9%増→2011年度3.1%増と、大幅に増えることとなった。ちなみに医療費はこの20年来、ほぼ減ったことがなく、37兆円という金額は9年連続で過去最高である。

 その増え続ける医療費をどう圧縮していくかが問われている中で、民主党政権は医療費増を許容する姿勢に転換してきたわけである。

 では仮に自民党が第一党となり、再び安倍氏が首相となった場合、安倍内閣はどんな社会保障政策を取るのか。再び医療費抑制に動くのか。

 医療費増加の主因は高齢者人口の増加だ。37兆8,000億円の医療費のうち70歳以上の患者の医療費が全体の44.9%に当たる17兆円を占めている。1人当たりの医療費では、健康保険組合に加入するサラリーマンやその家族の医療費は14万4000円だが、70歳以上は80万6000円だ。

 民主党は「後期高齢者医療制度」の廃止を公約に掲げたが、現実にはそれに代わる新制度の導入ができずじまいだった。では、自民党は増え続ける高齢者医療費をどうしようとしているのか。

 消費税率の引き上げが予定通りに実施され、2015年10月に税率が10%に引き上げられても、税収増は年間13兆円に過ぎない。2012年度予算では、年金・医療・介護などを合わせた社会保障給付費は109兆円にのぼるが、保険料などでまかなえる支給は61兆円弱で、40兆円あまりが国税地方税を合わせた公費負担になっている。消費税増税によって医療や年金など社会保障費は十分にまかなえるような錯覚を国民に振りまいているが、現実はそれとは程遠い。

 国の一般会計予算90兆円から国債の利払いや償還費用を差し引いた「基礎的財政収支(プライマリー・バランス)対象経費」は68兆円。一方で税金などの歳入は42兆円に過ぎない。消費増税分では、いわゆるプライマリーバランスの黒字化には程遠い状況で、毎年、赤字をまかなうための国債を増発し続けなければならないという「自転車操業」の状況が続くわけだ。そんな中で、医療費や年金を増やし続けることは本来許されないのである。

甘言にだまされるほど日本国民はバカではない?

 社会保障制度に詳しい自民党の幹部は、「経済を大きくすることで社会保障費をまかなう」と語っている。経済が成長すれば税収が増える、という論理だ。だが、税収増を上回るペースで医療費や年金支給の国庫負担が増えれば、財政は回らない。そもそも、すべての問題を一気に解決できるほど、日本経済を高い成長軌道に乗せることは短期間のうちに実現できる話なのだろうか。

 自民党の公約に言う「自助・自立を第一に」というのは、自立できる人の年金は減らし、医療費負担は増やす、という事を言外に含んでいるのだろうか。税や保険料などの国民負担が4割を超えてくる中で、今後も健康保険料や年金の掛け金を引き上げ続けることは難しい。年金支給額のカットには国民の合意が必要だろう。さりとて、さらなる増税も簡単ではない。

 「消費税のさらなる引き上げ」も「医療費の抑制」も「年金のカット」も公約に出てこない選挙戦。もはや「マニフェスト選挙」が、「実現できない政策を掲げて戦う選挙」に落ちぶれたとすると、民主党への政権交代が残した負の遺産は大きい。もっとも、そんな「甘言」にだまされるほど日本国民はバカではないという事実を政治家が痛感させられる選挙になるかもしれない。