監査法人は「企業の敵」になれるか

オリンパスなどの監査を巡る不祥事を受けて、監査基準が見直されました。担当した監査法人の監査の問題ではなく、制度、仕組みが悪かったというわけです。誰も傷が付かない結論ですが、それで会計士監査の質は上がっていくのでしょうか。少し専門的な話ではありますが、重要な問題だと思っています。ファクタの1月号に掲載されていた連載原稿を、少し時間がたってしまいましたが、編集部のご厚意で再掲します。オリジナルページは→ https://facta.co.jp/article/201301023.html

FACTA1月号 連載「監査役最後の一線」第21回 By磯山友幸 

突然、会社に背広を着た集団が現れ、経理書類をダンボールに入れて押収していく。そんな検察の強制捜査のようなことを、監査法人にもやらせるというのだろうか。

金融庁企業会計審議会監査部会が2012年春から進めてきた、不正会計防止の新監査基準の原案がほぼまとまった。企業が粉飾決算を行っている疑いがある場合に、「抜き打ち」で監査に入るよう監査法人に義務づけるのが柱だ。オリンパスによる巨額損失事件を受けて、長年にわたって不正を見抜けなかった監査のあり方が問われたのが基準改正の理由。金融庁は13年度の決算から新基準を実施する考えだという。

「監査基準に問題があったわけではない」。オリンパス事件が発覚した後、日本公認会計士協会の山崎彰三会長はそう発言していた。

実は日本の監査基準は、世界共通のルールである国際監査基準(ISA)に準拠している。ISAは会計士の世界組織である国際会計士連盟(IFAC)が作っているもので、日本の会計士協会もその主要メンバーの一つ。IFACの会長ポストも日本人会計士が務めた歴史がある。国際的な一本化の受け入れを巡って揉めている会計基準IFRSと違い、監査の世界ではひと足先に国際基準化が進んでいたのだ。山崎会長の発言の裏にはそうした事情があった。

そうなると、今度できる「新基準」は日本独自の基準ということになる。なぜそこまで金融庁は新基準の制定にこだわるのだろうか。民主党政権の金融担当相が制度の見直しを求めたのが一因だが、そもそも監査に対する考え方の違いが根底にあるようにみえる。

監査はもともと、企業経営者が自社の決算書が正しいことを第三者に証明してもらう仕組みだ。資本市場から資金を調達するためには株主や投資家に決算内容を信じてもらわなければならない。数字に不正がないことを監査法人のお墨付きによって示しているわけだ。だから、当然のこととして、監査法人への報酬は企業が払う。

ところが日本では「企業から報酬をもらって監査しているから癒着が起きて不正が見逃される」との主張が根強くある。公的な第三者機関が監査法人を指名すべきだという「監査公営論」が、不正が起きるたびに頭をもたげてくるのはこのためだ。国会議員や、自らの監督権限拡大に正義を見いだす官僚たちに、こうした発想が多い。

本来、監査法人が不正を見逃せば、問題が発覚して企業が潰れた際に、株主や投資家から損害賠償の訴えを起こされる。監査法人の信頼は一気に失われ、経営が揺らぐ。実際、米エンロン事件では名門のアーサー・アンダーセンが解散に追い込まれた。

経営者も不正を行えば訴追され、監獄に放り込まれるから、経営者と監査法人がグルになって不正をすることは稀。信頼を失った企業も監査法人も、市場からの退場を求められるのだ。経営者と監査法人の関係は緊張感のある運命共同体といえる。

監査は、経営者と監査法人の信頼関係がなければ機能しない。監査では大小さまざまな問題が見つかるが、会計士からの指摘で経営者がそれを修正する例がしばしばある。世の中に「不正」として表面化する前に、会計士が問題を潰しているケースは少なくない。これはお互いが信頼しているからできることだ。監査の際に経営者から、正しい決算書を作るのはあくまでも経営者の責任だと「不正はない」旨の確認書を取っているが、そんな文書を取る以前に、両者の信頼こそが監査制度の前提なのである。

今回の監査基準の改正は、こうした前提をぶち壊すことになりかねない。「抜き打ち監査」は、信頼が「壊れた」という宣言に他ならない。これまでも金融商品取引法の193条の3に、監査法人が不正行為を発見した場合には金融庁に届け出ることが求められていた。オリンパス事件では監査法人監査役にこの行使をほのめかしたが、結局、届け出はされずに終わった。会計士が自ら信頼を断ち切ることは難しいのだ。

本来、信頼関係が壊れれば監査法人は辞任するのが筋だ。そうなれば、監査意見は得られず、結果的に企業は上場廃止になる。

今回の改正では、信頼関係が壊れても企業を監査しろ、と言っているに等しい。どうも金融庁監査法人の監査は自らが監督する際の手足だと思っているのではないか。しかも、抜き打ち監査などの手続きを取らずに不正が発覚した場合、金融庁監査法人を処分する権限も持つという。金融庁監査法人への監督権限を一段と増し、監査法人を通じて全上場企業の不正に関し監督権・調査権を持つに等しいようにみえる。これは国際的な監査のあり方から大きく乖離している。

では、「制度上問題ない」と言っていたはずの会計士協会が制度改正を容認したのはなぜだろうか。制度上問題ないとすると、監査を行った監査法人に問題があったということになる。オリンパスを長年担当してきたあずさ監査法人も、問題が発覚した時に担当だった新日本監査法人も、「監査手続きに問題はなかった」という主張を続けてきた。会計士協会は身内の監査法人を守るために「制度」のせいにするのを容認したのだろう。これを見透かしたかのように、金融庁による両監査法人への処分は大甘だった。

10年以上にわたって損失を隠し続けてきたオリンパスは結局、上場廃止になることもなく、一部の経営者の犯罪ということで幕引きがなされた。「市場からの退場」という資本市場のタガが緩めば、民間の制度である監査そのものを支えてきた市場原理も働かなくなる。そうなれば、「監査公営論」ならぬ「官による統制」が台頭してくるのは当然の帰結だろう。

それで不正が減るならばまだ救いがある。だが、信頼できる第三者だったはずの監査法人や担当会計士が、突然監査にやってきて、当局に不正を告発する存在になるかもしれないと企業経営者が思ったらどうなるか。社内に抱えるどんな小さな問題も監査法人には隠しておこう、と思うようになるのではないか。日本独自の新監査基準は、監査法人が企業の敵になる危険性を秘めている。