これがアベノミクス「機動的な財政出動」の現実なのか!? 住民無視で着々と進む現代版「万里の長城」を歩いてみた

被災地で粛々と建設が進む「巨大堤防」をみてきました。以前現代ビジネスでも県議のインタビューを載せたことがありますが、地元で根強い反対のある“無粋な”堤防です。こんなコンクリートの壁が津波が懸念される太平洋沿岸にズラーっと連なる光景を、日本の代表的な風景にしてよいのでしょうか。現代ビジネスに書いた拙稿を編集部のご厚意で以下に再掲します。是非お読みください。オリジナルページ→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35871


冷たく無機質なコンクリートの巨大な壁が海岸線に沿ってどこまでもまっすぐに屹立している。数十年に1度、あるいは数百年に1度という頻度で荒れ狂う海と闘うために、そこに海があることさえ頑なに拒絶しようとしているかのようだ。さしずめ現代版「万里の長城」といったところだろうか。人は技術によって自然を屈服させることができるのだ、と天に向かって叫んでいるようで、そら恐ろしくなる風景である。

東日本大震災の巨大津波が襲った東北地方沿岸で、いま、粛々と「巨大堤防」の建設が進んでいる。やっとの思いで復興を遂げた「ゆりあげ港朝市」(宮城県名取市閖上)の取材に行った際、朝市で偶然出会った建築家はこう言った。

「堤防見ましたか。涙が出ますよ。あんなものをどんどん造ってしまって、いいんでしょうか」

 建築家の案内で現場を見に行くことにした。巨大堤防の計画については、以前このコラムでも取り上げたことがあったからだ。 地元の根強い反対にもかかわらず、国の事業として着々と建設が進んでいることは知っていた。

「静岡から四国・南九州までこんな壁を造る気かも」
閖上から車で南へ20分ほど。仙台空港の南に位置する岩沼市寺島。防潮林として整備されてきた松林を抜けると、その「壁」がみえてきた。高さ7.2メートル。もちろん、その先にあるはずの海はまったく見えない。空の高さに人工物の高さは遠目には実感できないが、歩を進めるに従って、その巨大さが心に重くのしかかってくる。日曜日の早朝とあって、誰ひとりいない。

 堤防の上に登ってみた。頂上部の幅は3メートルぐらいだろうか。海に並行してどこまでもまっすぐ伸びている。この工区だけで3キロにわたる巨大な壁が作られている。

震災の巨大津波によって東北沿岸にあった大きな堤防は軒並み壊された。そんな"反省"から、堤防の高さを積み増すだけでなく、堤防斜面の傾斜を緩やかにした。国交省の予算書などには「海岸堤防の粘り強い構造での整備」とうたわれている。

津波に対して「粘り強い」ということなのだろう。素人目には傾斜がゆるやかで、波を防ぐことはできずに、波が堤防を乗り越えていくのではないか、とすら思える。それでも堤防は壊れずに残る「粘り強さ」があるということか。


「放っておいたら、国交省はこんな堤防はどんどん作ります。南北に延びていきますよ。岩手から千葉まで。いや、最近は東南海地震の巨大津波の危機感が煽られていますから、静岡から四国・南九州までこんな壁を造る気かもしれません」

 建築家はそう言うと、海のかなたに目線をやった。

 緩やかな斜面にした結果、基盤部の幅は30〜40メートルになっているだろう。日本の海岸線はすべて壁でおおわれるのか。もはや白砂青松という麗しい日本語は死語になるのか。

自治体や住民の声はほとんど反映されない
前述の通り、この巨大堤防の建設には地元でも根強い反対がある。宮城県議会は昨年秋、全会一致で、住民合意を尊重した海岸防潮堤の建設を求める決議を行った。国が一方的に決めている防潮堤の建設計画に、自然と調和する「森の防潮堤」などのアイデアも含め、周辺住民の合意を前提に建設を進めて欲しいという内容だった。

「森の防潮堤」とは、横浜国大名誉教授の宮脇昭氏が震災直後に提唱した「いのちを守る森の防潮堤」のこと。宮脇氏の著書『瓦礫を活かす「森の防波堤」が命を守る』に詳しい。瓦礫で高台を作り、そこに広葉樹の森を作ってしまおうという構想だった。

津波が来た場合、コンクリートの堤防のようにシャットアウトはできないが、津波の勢いを減殺する。とくに大きな被害をもたらす「引き波」の防御に効果を発揮するとされる。広葉樹の森の場合、津波に対しての「粘り」があることが今回の被災地でも実証されている。国交省が言う「粘り強い」堤防という言葉が、この森の「粘り」を多分に意識していることは想像に難くない。コンクリートでも粘り強い堤防はできるのだ、と言いたいのだろう。

そんな地元の声があるにもかかわらず、「復旧・復興」「安全・防災」をうたう国の公共事業はどんどん進んでいる。通常の公共事業は地元自治体が建設費の一部を負担するため、財政に余裕のない自治体ほど、建設計画には慎重になる。ところが、東日本大震災からの復旧・復興事業に関しては国の予算で100%賄うことになった。自治体の負担はゼロになった代わりに、自治体や住民の声もほとんど反映されなくなったのである。

 何せ、国の予算は潤沢だ。日本国の財政状態は厳しかったはずだが、「復興・復旧優先」などの掛け声と共に膨大な予算が付いた。国会がまとめた資料によると、震災後の平成23年度(2011年度)補正予算以降、25年度(2013年度)の当初予算までの累計の「国交省関係の復興予算」は3兆4,021億円。公共事業関係費全体をみると、25年度だけでも4兆5,000億円近くが投じられる。

 がれきの処理など復旧工事に資金が必要だった震災直後から、インフラの再建へと重点が移りつつあるが、そこにも潤沢な予算が付いているのだ。

国交省は今年度の予算要求に当たって、「予算の重点化」として以下のように主張した。

東日本大震災からの復興対策を着実に推進し、また、大規模災害等に備えつつ、災害に強い国づくりに向け、防災・減災対策等を推進するとともに、民間活力の活用を図りつつ、ハード・ソフト両面から施策を推進し、持続可能で活力ある国土・地域の形成及びこれを通じたデフレ脱却・経済活性化(モノ・人・お金を動かす)を図ることとし、これらの分野に重点を置き、『選択と集中』を徹底し、予算のメリハリをつける」

 昨年末に誕生した安倍晋三内閣が掲げるアベノミクスのキーワードを盛り込んでいる。「災害に強い国づくり」は自民党がご執心の「国土強靭化」だし、「デフレ脱却」「経済活性化」はアベノミクスの目的でもある。

 そのうえで、いの一番に「東日本大震災からの復興の推進」を掲げ、「被災した堤防等の災害復旧(海岸堤防等の粘り強い構造での整備を含む。)を進める」ことを重点項目としているのだ。ちなみに、一から作り直しているように見える岩沼市の堤防にしても、工事の名称は「海岸堤防本復旧工事」である。

コンクリートの壁が東北を代表する風景になるのか
アベノミクスが掲げる3本の矢。1本目の「大胆な金融緩和」については黒田東彦日本銀行新総裁による「異次元緩和」でその内容が明らかになっている。ところが2本目の矢である「機動的な財政出動」については、具体的な内容が国民の目にはなかなか見えて来ない。

 地方の道路建設に代表される不要不急の公共事業に巨額の資金を投じてきた「古い自民党」には戻らないと安倍首相は言うが、では具体的にどんな新しい公共事業に資金を投じているのかは分からない。「震災復興」「防災」と言えば、何でも予算が付くような印象なのだ。

 巨大堤防は防災のためには必要不可欠だというのが国交省の立場だろう。では、いったい、岩沼市の巨大堤防は何を守ろうとしているのか。「岩沼市寺島」とパソコンで検索して地図をみて欲しい。名亘浄化センターのあるあたりだ。

 海岸線に沿って巨大堤防は南北に伸びるが、その西側には防潮林があり、さらに西側には伊達政宗時代から掘削が続いた「貞山堀」がある。その西側には田畑が広がるがしばらく行くと阿武隈川にぶつかる。もちろん住民もいるが大きな町があるわけでもない。水に囲まれたこの土地で、巨大堤防は何を守るために作られているのか。また、本当に巨大な津波が再び押し寄せた時に、シャットアウトするという発想で自然のエネルギーを抑え込むことができるのか。

 東北地方でも、リアス式海岸や沿岸部の町の場合、高さが11.4メートルもあるさらに巨大なものが計画されているという。もちろん、町と海を謝絶するそんな壁には大反対が巻き起こる。そうした反対の声が起きにくい住民の少ないところから、既成事実を積み上げるように巨大堤防の建設が進んでいるのではないか。そんな印象を強くした。

 北方異民族の侵入を防ぐために作られた中国の万里の長城は、数千年の時を経て、世界遺産になっている。東北の被災地で着々と進む現代の"万里の長城"は宮城県民など被災地域の住民が誇る遺産となり、コンクリートの壁が東北を代表する風景になるのか。地域住民ばかりでなく、国民全体が議論すべきことだろう。