ウェッジ3月号に掲載された原稿です。是非ご一読ください。
- 作者: Wedge編集部
- 出版社/メーカー: 株式会社ウェッジ
- 発売日: 2015/02/20
- メディア: Kindle版
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東日本大震災から4年。宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区は今も荒涼とした空地が広がる。かつてそこに、細い路地をはさんで家々が建ち並び、5500人が暮らし、賑いに満ちた商店街があったとは想像するのも難しい。震災で漁港の町は10メートル近い巨大津波に呑みこまれ、800人を超す人々が命を落とした。震災後、土地をかさ上げして町を再興する計画が作られたが、今も遅々として進んでいない。
そんな閖上の一角が日曜・祝日の朝には活気づく。港に面した広場にある「ゆりあげ港朝市」に数千人の人たちが集まってくるのだ。
朝6時から午後1時まで。50店ほどの店には魚介類や野菜、惣菜などが並び、名物の水餃子などの飲食店が店を開く。公共交通機関はまったくないが、雪や雨が降ってもマイカーでやってくる常連客が少なくない。
「地域の人たちの普段の食生活を支える、美味しい物を安くというスタンスを貫いてっから」と、朝市を運営する「ゆりあげ港朝市協同組合」の櫻井広行代表理事は言う。朝市を目当てにやってくる観光客は少なくないが、あくまでメインは近隣の名取市や岩沼市、仙台市からやってくる人たちだというのだ。
ゆりあげ港朝市は30年以上の歴史を持つ。閖上の住民たちが自転車でやって来るような庶民的な朝市だった。閖上の町が津波で流された直後もスーパーの駐車場を借りて続けてきたが、震災から2年余りたった2013年5月に元の閖上港の広場に戻った。
広場には6棟の建物が建ち、ブース形式に区切られた店舗で組合員がそれぞれに仕入れてきた品物を売る。6棟のうち3棟は、カナダ政府の援助でできた。残りの3棟は協同組合が助成金を原資に自前で建てた。復興ブームによる建築価格の上昇で、組合も8000万円の借金を背負った。
そんな、リスクを取って復活させた朝市に、地域の人たちの支持が集まった。13年秋のグランドオープンには1万7000人が詰めかけたのだ。メディアにたくさん取り上げられたことも宣伝になった。
震災前に51人だった組合員は震災直後には31人まで減った。被災して廃業に追い込まれる人が出たのだ。だが、その後、朝市の活況とともに、新しい仲間が加わった。現在では組合員は48人だ。
「店によってばらつきはあるが、震災前の1.5倍から2倍の売り上げになった」と櫻井さんは語る。昨年12月には年末市を開催したが、4日間で600万円以上を売り上げた店もあったという。大成功を収めているのだ。
「せっかく来てもらうのだから楽しめる場所にしないと」と語る櫻井さんは、次々にアイデアを実現させてきた。
すっかり人気イベントとして定着したのが「競り市」だ。
「3000円の新巻サケ2人限り、1500円!」
そんな櫻井さんの掛け声に、集まった客が番号が書かれたウチワを一斉に挙げる。
「はい34番と56番」
番号が呼ばれれば商い成立だ。各店が出品した目玉商品がほぼ半値で売れていく。
広場には炭火を燃やした炉端焼きの台も置かれている。朝市で買った魚介類をその場で焼くことができる仕掛けだ。家族連れなどがイカやホタテ、手づくり笹かまぼこ、焼きおにぎりなど思い思いに焼いている。
朝市会場で震災の経験を伝える
もともと震災前の朝市は朝6時からスタートしてピークは7時。9時には売るものがなくなり客もまばらだった。櫻井さんは組合員に号令して、閉店時間を午後1時まで延長した。「少なくとも、ランチタイムを過ごしてもらえる場所にしなきゃね」、というわけだ。
カナダ政府から寄付を受けた「メープル館」にはテーブルが置かれ、カフェや海鮮丼、中華粥などのお店が入る。ここは夕方まで。平日も営業する。被災地の視察として閖上を訪れる人たちが必ず立ち寄るスポットになった。
一角に置かれた大型液晶画面には、巨大津波が襲う震災直後のニュース映像が繰り返し流されている。当初は、「思い出したくない」と言って映写に反対する声もあった。だが、櫻井さんは押し切った。
「全国から義援金や復興税で応援していただいたんだ。俺たちにできるお礼は、同じ津波が来た時にできるだけ生き残る人を増やすことだろ」
まとまった人が来た時には、映像を見ながら櫻井さんが体験談を交えて、生き残るための術を伝授する。迫力ある語り口に誰もが無言で聞き入っている。もちろん、地元の人たちが津波の恐ろしさを忘れないために、語り伝えることが大事だという思いが根底にある。
朝市の広場の漁港に面した側にウッドデッキを敷く作業も進めている。半畳分の建設資金として1万円の募金を呼びかけた。「ゆりあげ はんじょう募金」。半畳と繁盛をかけている。全国からの善意と共に、どんどんデッキは伸びていく。
「このデッキの上で、ジャズフェスティバルをやりてんだ」
櫻井さんの次の夢だ。震災前から続く人気イベント「さんま祭り」を超える目玉に育てられるかどうか。地元の人たちが楽しめる仕掛けづくりを考えているのだ。目の前の漁港をプレジャーボートの基地にして、遊びに来てもらう場所にしたい。仙台から車で30分という地の利を考えれば、湘南にあるようなヨット・ハーバーを作ることだってできる。櫻井さんの夢はどんどん広がる。
地域の顧客が第一
朝市は組合員全員が儲かっているわけではない。商売は才覚である。同じような食材を扱っていても売り上げは店によってまったく違う。どうすれば、お客さんに喜んでもらい、儲けることができるか。組合員は仲間でもあり競争相手でもある。まさに切磋琢磨だ。
ダメな店にはやめてもらって結構、というのが櫻井さんのスタンス。すでに空き待ちをしている業者もいる。
「もっと飲食ブースを増やしたい」と櫻井さんは言う。お客さんに楽しんでもらうためには多様な飲食店が不可欠だと考えているからだ。
復興ブームが一段落して、被災地を訪れる人の数は大きく減った。観光客や復興支援の波に乗って業績を大きく伸ばしていた事業やお店は、客数減の影響をモロに受けている。そんな中で「ゆりあげ港朝市」がいち早く復活し、今も繁盛しているのは、地域の顧客を大切にすることを第一に考えてきたからだろう。
常連客にこそ楽しんでもらおうと、常に新しいアイデアを追い続ける─。荒地だけが広がる閖上では「朝市」が楽しいかどうかだけが勝負である。一度失望させたら二度と客はやって来ない。そんな真剣さが、ゆりあげ港朝市を成功に導いたのだろう。