『役人の掟』を書いた元経産官僚、原英史・政策工房社長が語る 「なぜ官僚は国民の利益より業界のシガラミを優先するのか」

改革仕掛け人として知られる原英史・元行政改革担当相補佐官が小学館の月刊誌「SAPIO」に連載しているコラムを本にまとめました。いわゆる「おバカ規制」のオンパレード。官僚の自己増殖機能に対する怒りがフツフツと沸いてきます。是非ご一読を。インタビューを現代ビジネスに掲載しました。オリジナルは→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39729


「仕事ができる」官僚は、新しい規制を次々に生み、どんどん権限を拡大して、予算も獲得していく。

決して悪意はないのだが、結果として官僚機構は肥大化し、国民の税金を貪り食っていくことになる――。

そんな霞が関の実態を具体的な「規制」に焦点を当てて暴いた『日本人を縛りつける 役人の掟』が小学館から上梓された。

著者で、規制改革担当大臣の補佐官などを務めた元官僚の原英史・政策工房社長に、霞が関の問題点や安倍内閣が取り組む公務員制度改革の行方について聞いた。


民主党の政治主導よりも官僚任せがまし?」
 問 官僚に対する国民の批判が高まり、「脱官僚依存」を掲げた民主党が政権を奪取したのは2009年でした。その後、国民の官僚批判はすっかり影をひそめましたが、霞が関は変わったのでしょうか。

 原 物事は何も変わっていないというのが私の認識です。官僚批判が影をひそめたのは民主党政権が失敗したからです。民主党は残念ながら、日本の官僚体制の問題点を理解せず、政治主導をはき違えました。本質を理解しない間違った政治主導で政権が機能不全に陥りました。

その結果、国民からの信頼を失ったということです。民主党の政治主導よりも官僚任せの方がましだと国民が思ってしまったのです。

 問 問題の本質とは何でしょうか。

 原 永田町と霞が関が日本国の経営陣として機能していないということが最大の問題です。今、コーポレートガバナンスの強化が叫ばれ、企業の経営体制が問題視されています。株主などの利益を背負った取締役が社長を監視し、社長をトップとする執行役が経営実務を担う。これが企業ガバナンスの1つの形です。

国も、国民の利益を背負った国会議員が「社長」である大臣を監視し、大臣をトップとする官僚機構が実務を担うのがあるべき姿です。

ところが、官僚は大臣を社長だとは思っておらず、事務次官が社長だと思ってきた。政治家にはできるだけ関与させずに自分たちだけが政策を策定・実行していく体制が出来上がっていたわけです。

 問 民主党はそれを否定しました。

 原 役人を政策決定から追い出し、自分たちの思い付きや信念で政策を決めて実行しようとしました。1つの典型例が沖縄・普天間基地の移転問題でした。つまり、民主党公務員制度改革の本質をまったく理解していなかったのです。

失敗に学び、官僚機構の掌握を目指す第2次安倍内閣
 問 2006年から2007年にかけての第1次安倍内閣は、公務員制度改革に重点を置きました。現在の第2次安倍内閣はだいぶトーンダウンしているようにも感じられます。

 原 第1次安倍内閣は本質をすごく分かっていた政権だったと思います。とくに安倍首相は十分に理解したうえで、リーダーシップを発揮されていました。これに対して霞が関は、人気取りのために役人バッシングをしている、というネガティブキャンペーンを展開しました。当時、あまりにも真正面から切り込んだために官僚機構が猛烈に反発したわけです。その結果、退陣に追い込まれたわけです。

現在の第2次安倍内閣も首相をはじめ多くの閣僚が問題の本質を理解していると思います。ただ、衣の下の鎧を見せないというか、水面下で実質的に官僚機構を掌握しようとしているように見えます。第1次内閣の失敗に学んだということでしょう。今回の内閣人事局の局長人事などを見ていてそう思います。

 問 このほど設置された内閣人事局の局長には、大方の見方では官僚出身の官房副長官が任命されるとみていたが、安倍首相は政治家である加藤勝信官房副長官を任命しました。

 原 聞くところによると、人事局長は各省庁の幹部ポストについて、どんな政策が重要になるか、という洗い出しをおこなっているそうです。つまり、適材適所の人材を幹部に据えようとしているのでしょう。

 問 これまでに無かった。

 原 はい。年次の順送りでしたから。官僚が人事異動した時の挨拶で多いのは、「この分野は初めてで素人なので何分よろしく」というのがあります。

1ヵ月もするといっぱしの専門家のような顔ができるほどキャッチアップしてしまうので、確かに優秀なのだなと思いますが、その能力を別のところで使ったもらいたいですよね。

官僚機構は国民の利益より、業界のシガラミが優先される
 問 公務員制度改革をやらなければならない官僚制度の限界というのは何ですか。

 原 いくつかありますが、まず第1に大改革ができないということでしょう。ボトムアップで政策を積み上げていく手法に慣れているので、トップダウンでの改革はできません。もう1つは縦割り構造になっていて、所管の事業者などの利益と結び付き、日本国全体の利益を考えて政策作りができなくなっていることでしょう。そうしたシガラミは官僚機構だけではなく民間にもあるでしょう。現場が様々なしがらみで動くことはよくあります。しかし、会社の場合、しがらみが会社の利益よりも優先されることはまずありません。会社全体の利益を考える中で、そうした問題は補正されるわけです。ところが官僚機構にはそれがありません。どんどん所管部署のシガラミが深くなり、国民全体の利益に反するようになっていても補正されないのです。

 問 それを補正する仕組みが必要だということですね。

 原 はい。政治が官僚のやるべき仕事の方向性を示し、それが実行できているかどうかを評価する人事制度が必要だと思います。

 問 しかし、政治家が官僚の人事を握ることには強い抵抗があります。なぜですか。

 原 政治家は馬鹿だと思っているからです。政治家に任せたら大変なことになる、と。もちろん一面の真理はあります。質の低い政治家もいますから。

しかしだからと言って官僚にすべて任せておけばよいのか、というとそうはならないでしょう。政治家ならば選挙で選び直すこともできます。

「おバカ規制」のネタは尽きない
 問 ご著書の『人の掟』では、どうみても間尺に合わない「おバカ規制」が紹介されています。なぜ、こんなことが起きるのでしょう。

 原 権限は官僚の力の源泉なので、放っておけば規制がどんどん増殖していくのが自然の流れです。こんな規制は無くてもよいのではないか、と規制緩和が議論になっても、官僚は自分がコントロールする権限を残そうとしがちです。

もう1つは、規制を無くした時に、もし何か問題が起きたら、官僚の責任が問われるのではないか、と恐れている面もあります。規制が増えるのは役人のせいばかりではなく、日本の文化、日本人の国民性という面もかなりありますね。

 問 ご著書の中にもありますが、国民自身がなかなか規制に縛られていることに気が付かない面もあります。メディアの責任も重いですね。

 原 しばしば講演などで話すのですが、国民の中には特定の利権を持った人は少数しかいないのに、その人たちの利益を代弁する「族議員」が政治家の大半を占めています。また、役所に積極的に働きかけるのも、そうした特定の利権を持っている人たちですから、役所の担当部局はいつのまにかそういう特定利権とシガラミが深まっていきます。

メディアは記者クラブを通じて担当部局を取材しているので、知らず知らずの間に、特定利権を擁護する論調を発するようになるのです。メディアの責任は重いと思います。

こうした各段階での構造を変えないと、日本は変わらないですね。特定の利権を持った人たちは業界団体などの組織を持っています。一方で一般の国民や消費者にはそうした団体がありません。今年1月に万年野党というNPOを立ち上げたのは、そうした国民目線で政策監視できる団体を作ろうと思ったのがきっかけです。

また、記者クラブにいて官僚から取材している記者はなかなか本質が分かりません。ジャーナリストや一般の国民に事実を知ってもらうために、今回の本をまとめました。私の中では今回の本の出版と万年野党は同じ活動の一環です。

 問 この本は小学館の月刊誌『SAPIO』のコラム『おバカ規制の責任者出てこい!』をまとめたものですが、連載はまだ続くのですね。

 原 ええ。2012年に連載を始めた時には1年もしないでネタが尽きると思っていたのですが、次々に新しい規制が生まれるのでネタには困りませんね。