かつての名経営者と現場社員たちが見た「消滅」の内幕−日本企業の現実を描く

週刊現代」に掲載された書評です。大西編集委員の力作、なかなか読みごたえがあります。

会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから

会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから

話は三洋電機の総帥だった井植敏氏の芦屋にある自宅を日本経済新聞編集委員である著者が「夜打ち」するところから始まる。
三洋電機の凋落と消滅を見守り続けてきた著者は、2006年に『三洋電機 井植敏の告白』という前著を書いた。本人によれば、「創業者がいい加減な経営をしてきたから、会社が没落したのではないか」というのが最大のメッセージだった。その後、三洋電機は著者にとって予想外の展開を遂げる。
 出資を仰いだ金融三社にバラバラにされ、残った本体もパナソニックに売却。パナソニック三洋電機のブランドまで消し去ってしまう。なぜこんなことになってしまったのか、もう一度、井植氏に聞きたいというのが自宅を突然訪ねた理由だった。
 大企業の社員なら、自分の会社が潰れるなどと考える人は少ないだろう。だが、この本を読み進むと、三洋電機の話は決して他人事ではないと分かってくる。「銀行にハメられたのではないか」という著者の仮説をよそに、かつて名経営者と持ち上げられた老人は静かに言う。「資本主義というのは、そんなもんとちゃうか」
 この20年、世界では経済のグローバル化が進展し、企業の生き残りをかけた勝負の決め手は経営力になった。一方で、日本のモノづくりは世界一だという神話に慢心した日本の経営者は大きく劣後していった。日本のぬるま湯的な経営や組織が、世界に通用しなくなった。
 本書の締めくくりでアイリスオーヤマの大山健太郎社長に語らせている。「事業の目的は利益であってシェアではない」。資本主義の中で生きる会社である以上、当然過ぎる話だが、日本の大企業の多くは、いまだにシェアを気にして、低収益に甘んじている。
 本書の後半は三洋を去った何人かの人たちの生きざまを追っている。一企業を舞台にしたヒューマン・ドキュメントは往々にして、ノスタルジーに満ちた日本型経営やモノづくりへの礼讃になりがちだ。だが、本書は現場の具体的なエピソードをつづる一方、世界や日本の経済の大きな流れを踏まえる視座の高さ、スケールの大きさを併せ持つ。それも日経産業部きっての現場派記者である著者ならではだろう。時に目頭を熱くさせ、時にやり場のない焦燥感を抱かせながら、一気に読破させる一冊だ。