40歳以降を迷わず走り切るために必要なこと 薮野紀一氏に「転職できる人材」について聞く

日経ビジネスオンラインに11月25日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/112200028/?P=1

 日本企業と外国企業ではビジネスマンの働き方やキャリア形成のあり方が大きく違う。外資系企業が日本に進出する際、日本の拠点の幹部をヘッドハントするケースが多いが、なかなか日本でふさわしい人材を見付けるのに苦労するという。40代で経営力を身に付けた人材が伝統的な日本の大企業の中には育っていないからだ。

 企業の経営者や管理職の人材をあっせんする「エグゼクティブ・サーチ」の仕事に20年にわたって携わるスペンサースチュアートの薮野紀一パートナーに聞いた。


50歳を過ぎ、先が見えてから動くのでは遅い

――転職を前提に薮野さんが会う人はどんな人材が多いのでしょうか。

薮野:ほとんどが高学歴で東大、京大、慶応、早稲田、海外の一流大学などを出て、その多くが大学院でMBA経営学修士)や理科系の修士課程などを終了した人です。中には留学を終えて30代前半で自発的に転職しようという人もいますが、多くは50歳を過ぎてから。今いる会社で先行きが見えた段階でようやく動き出すわけです。マーケット・バリューがもっと高いうちにお会いしたかったな、というケースが少なくありません。転職市場で、自分自身が置かれている状況を分かっていない人が多いですね。

――それはなぜでしょうか。

薮野:伝統的な日本の大企業に勤めるサラリーマンのメンタリティーは、終身雇用を前提に同じ会社で30年以上にわたって働く事でした。最近はそれが崩れたと言われていますが、メンタリティーは変わらない。欧米では30代の課長レベルでも損益に責任を持たされる、若くして経営者としての経験値を上げる訓練を受けているのです。伝統的な日本企業の執行役常務ぐらいまでなった人でも、欧米のグローバル・カンパニーが本社の役員待遇で採ることはまずありません。子会社の経営を立て直したとか、部門の利益を何倍にしたといった経営者としての実績を示せない事が多く、われわれとしても推薦状が書けないのです。


日本企業の役員は、経営のプロというより社内政治の勝者

――国内企業で転職してキャリアアップする、という事も少ないですね。

薮野:まだまだ転職することに、マイナスイメージがありますから、人材の流動化が進んでいません。企業は自社の中で選抜システムを作っているわけですが、ポストで採用しているわけではないので、ローテーションが頻繁に行われます。じっくり5年とか7年とか同じプロジェクトにかかわって実績を上げさせるといった仕組みになっていません。

 取締役にしても経営のプロという認知度は低く、社内ポリティクスに打ち勝って昇進し、たどり着くポストという色彩が強いですね。人材の流動化が進んでいる欧米では、経営幹部を選ぼうとすれば、大きなプールの中から探せるわけですが、そもそも日本にはそうしたプールがほとんどありません。


社内政治に巻き込まれ干されている人に会いに行く
――薮野さんはどうやって人材を探し出すのですか。
薮野:先方から会いたいと言われて会うケースは少ないですね。こちらから、これは、という人に会いに行きます。ただ、日本企業の場合、役員になる一歩手前の部長さんには一番会いにくいですね。子会社に転出したり、ラインから外れて本人が「ゲーム・オーバー」だと自覚した人には会えるのですが、まだまだ役員になる可能性があると思っているうちは、私たちに会うのをためらいます。

 日本企業の人事はさすがだと思うのですが、やはり専務や常務になる人は、立派だと思うことが多いですね。そんなこともあって、本来は偉くなってしかるべきなのに、社内ポリティクスに巻き込まれて干されているとか、飛ばされたという人の話を聞いたら、積極的に会いに行きます。俺はこんなポストで終わる人間ではない、「何クソ」と思っているような人は、転職してもバリバリ仕事をこなします。50代になると、燃え尽きたというか引退モードになっている人も少なくないのですが。

 欧米企業でも後継経営者の候補を社内で3人ぐらいに絞っておき、最後の最後でひとりに決めるというケースがあります。そうなると、残りの2人は他の企業のトップにあっという間にスカウトされる。日本企業でもそうした事が起こればよいのですが、日本の場合、年齢が圧倒的に高い。最後の選別が終わったら60歳近いというケースが少なくなく、実際にはそれから別の会社に移るというのは難しいわけです。それに日本企業の場合、同業のライバル会社に転職するというのは難しいですね。


日本企業では経営者がどんどん小粒化していく

――最近は、日本企業でも経営幹部を中途採用するケースが増えているのではないでしょうか。エグゼクティブ・サーチは根付かないのでしょうか。
薮野:ひとつは給与体系の問題が大きいですね。年功序列を前提とした給与体系の中で、専門人材に高い報酬を支払うことがなかなかできません。米国の経営幹部なら年俸1億円ぐらいは当たり前ですが、日本では5000万円を出すような感覚がない。「それではうちの社長より高くなってしまう」といった具合に、常に内向きの議論になるのです。これこれの専門性を持っていて、価値を生み出す人材のマーケット・バリューがいくらなのか、といった視点に立てないわけです。

――つまり、日本企業の報酬や雇用形態はマーケット・バリューを意識したものになっていない、ということですね。経営者が後継者を選ぶ方法にも問題がありますか。
薮野:日本企業の場合、リセット・ボタンを押すケースがあまりにも少ないですね。経営者が自らの忠実な部下を後継者として選ぶケースが多い。そうやって選ばれた経営者はリセット・ボタンを押すことはありませんから、どんどん経営者が小粒化していく。不祥事でも起きないと、今の日本企業では外部から有能な人材を抜擢しようといった雰囲気にはならないでしょう。


40歳までに自分の方向性を明確にしておく
――しかし、経済のグローバル化が進む中で、今、働き方が大きく変わろうとしています。これから社会に出ようとしている若い人たちに、アドバイスはありませんか。
薮野:20代、30代の17〜18年の間は、重要な助走期間です。この間を無駄にしてはいけません。今の多くの大学生は在学中に「これをやりたい」と見極めている人は少ないでしょう。就職して3年くらいは1つの仕事に打ち込みながら、将来、自分は何をやっていくのか、一生懸命考えることです。40歳になった時に、自分自身が目指す方向が明確になっていれば、60歳までの20年間、迷いなく走ることができる。脱線しても自分で方向を修正できます。

 何を目指すか、どこへ行くかは、「夢」と言ってもいいかもしれません。若い人が夢を語ることがなくなったら、世の中は進歩しません。

 もうひとつは、20代、30代の間に、成功体験を得ることです。支店営業で3年連続でトップになったとか、社長賞をもらったとか、何でもよいのですが、成功パターンを身に付けることです。



薮野紀一(やぶの・としかず)氏
スペンサースチュアート・パートナー

1967年大阪生まれ。1990年に慶応大学法学部卒、大和証券入社。1995年にノースウエスタン大学ケロッグ校でMBA取得。1996年に大和証券を退社し、ラッセル・レイノルズ・アソシエイツに入社、経営人材仲介のコンサルタントとなる。1999年にスペンサースチュアートに移り、2002年からパートナー。